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【ソロモン王の秘密】聖書・キリスト教の研究-04/#137


ソロモン王は、古代イスラエル王国において最も象徴的な人物の一人であり、その時代は国家の絶頂期とされる。彼の治世(紀元前10世紀頃)は、繁栄と知恵、そして建築的業績が際立つ。特に有名なのは、エルサレムに建立された第一神殿で、これが後に多くの伝説や神秘主義の中心となる。
ソロモン王にまつわる物語の一つに、フリーメーソンの伝説が絡んでいる。フリーメーソンは、18世紀にイギリスで公式に組織された秘密結社だが、そのルーツはソロモン王が建設した神殿にさかのぼるという。フリーメーソンの象徴体系や儀式の多くは、この「ソロモンの神殿」やその建設を指している。神殿建設に携わった「ヒラム・アビフ」という架空の建築家も、フリーメーソンの儀式における中心的なキャラクターだ。
しかし、ソロモンの神殿は単なる建物ではなく、地下に秘密の施設があったと言われている。この地下施設は一種の神秘的な儀式や知識が保管されていた場所とされ、後の時代のオカルト的な伝承に多くの影響を与えた。『旧約聖書』には、この地下施設について明示的に語られていないが、伝承や黙示録的な文献においては、この施設が「隠された知恵」や「神の秘密」に関連するものとして描かれている。
このように、『旧約聖書』そのものを表層的に読むだけでは、ソロモンの神殿が持つ隠された意味や、フリーメーソンに通じる神秘主義的な流れを解き明かすことは難しい。フリーメーソンの儀式は、建築技術のシンボリズムと、神聖な知識を探求するものとしてデザインされており、これがソロモンの神殿の建設と結びつけられているのだ。
ソロモン王の物語は、権力と知恵、そして失われた神秘の知識をめぐる深遠なテーマを持っている。そして、この知識が後にフリーメーソンの象徴体系に流れ込むことで、神聖な秩序や建築的調和、そして隠された真実を探求する動きが形作られたのだ。エルサレムの神殿が持つ真の意義は、単なる宗教的な施設ではなく、時代を超えて継承された「秘密」と「啓示」の場所だったともいえる。

イスラエルの王ソロモン

まずは『旧約聖書』のあらすじを通じて、一般的にソロモンがどのように描かれているかを確認する。通常、彼は知恵ある王として知られ、イスラエルの繁栄を象徴する人物として高く評価されている。しかし、ソロモンにはもう一つの側面が存在する。『列王記上』では、彼が老年期に入ると、異教の神々を崇拝するようになった姿が描かれているのだ。この事実を踏まえると、ソロモンの本当の姿が何だったのかについて再考する余地がある。実は、この側面こそが現代に至るまで続く重要な意味を持っている。


イスラエル王国はダビデによって建設され、その後、ソロモン王の時代に栄華を極めた。この時代は非常に重要なものであり、実はフリーメイソンの伝説もここから始まっているとされている。ソロモンの時代がその起源とされるが、フリーメイソンの伝説はあくまで「伝説」であり、明確な事実というものは存在していない。
しかし、なぜそうした伝説が生まれてきたのか、その背景や理由は確かに存在する。フリーメイソンやテンプル騎士団のような団体の話を、単に聖書を読んでいるだけでは読み解くことができない。
聖書だけに頼ると、そのような組織に関する歴史や背景は見えてこないため、聖書以外の資料にも目を向ける必要がある。通説としても、聖書以外の部分を見ない限り、全体像が理解できないだろう。


全盛期の王ソロモン-偉大な父の跡を継いで栄華を極める
ダビデが戦いによって築いた王国を最盛期へと導いたのが、息子ソロモンである。ソロモンはエジプト王の娘との政略結婚で国境を固め、父ダビデが戦いに明け暮れて築き上げた領土の内を整備していった。
その主たるものが大規模な建設事業。エルサレムの防備を強化し、宮殿や中央政庁、神殿の建設を進めたのである。なかでも、父ダビデの代からの念願であるエルサレムの神殿ぜいを極めた。奥行き50メートル、幅25メートル、高さ15メートルの神殿が、すべて純金で覆われていたのだ。完成までには約7年半の歳月が費やされている。
彼はこうした諸々の建設計画を支えるため、従属民からの貢物だけで なく 永続的な徴税組織を樹立する必要性を 感じた。そこで、昔、各部族が割り当てられた領土の境界に従って、北イスラエルを12の行政区に分けている。

『図説:地図とあらすじでわかる!聖書』船本弘毅監修、青春出版社

ソロモン王は多くの外国の女を愛した。すなわちパロの娘、モアブびと、アンモンびと、エドムびと、シドンびと、ヘテびとの女を愛した。
2 主はかつてこれらの国民について、イスラエルの人々に言われた、「あなたがたは彼らと交わってはならない。彼らもまたあなたがたと交わってはならない。彼らは必ずあなたがたの心を転じて彼らの神々に従わせるからである」。しかしソロモンは彼らを愛して離れなかった。
3 彼には王妃としての妻700人、そばめ300人があった。その妻たちが彼の心を転じたのである。

列王記上 11:1-3

狂っているとしか思えない。ソロモンがまともな人間でないことは、この一節だけを取っても明らかだ。まともな人間なら、こんなことはしない。彼は700人の王妃を持っていたが、王妃にはそれなりの生活をさせる義務があった。服装や食事、護衛を整え、住む場所も与えなければならない。これらにかかる財政負担、すなわち税収は凄まじく、国民に大きな負担を強いていたことは想像に難くない。それが平然とできるというのが、彼がまともでなかった証拠だ。

この状況は、少しどころではなく、完全に狂っている。ユダヤ教徒がソロモンをどう見ているのかはよくわからないが、一部の人々は彼を激しく憎んでいる一方で、偉大な王だと称える者もいる。評価が分かれる存在だ。

ただし、聖書によると、エルサレムの神殿が重要な意味を持っている。ダビデ王にはこの神殿を建てることは許されなかった。理由として、ダビデは多くの戦争で人を殺しており、神(おそらくエノクを指す)が、ダビデの手が血で汚れているとして、恒久的な神殿を建てるのにふさわしくないと判断したからだ。そこで息子ソロモンの代まで待たされた。結果、ソロモンが神殿を建てたが、この事実が非常に重要だ。

しかし、ソロモンが去ってから王国はすぐに崩壊した。イスラエル王国は長続きせず、重税に対して民衆は非常に不満を持っていた。ソロモン政権に対する不支持が根強く、最終的にはクーデターのようなものが起こったと思われる。つまり、ソロモンの治世は記録されているほど素晴らしいものではなく、彼自身もまともではなかったのだ。

繁栄すればするほど近づく堕落の危険と破滅の影
ソロモンといえば賢者としても名高いが、その名声と知恵をたたえる逸話のなかで有名なのが、シバの女王との伝説だ。シバの女王の国の場所は不明だが、イエメンか、紅海を隔てて向かい合うエチオピアが有力候補となっている。物語は数々の難問をたやすく解くソロモンの知恵と、宮殿や神殿の豪華さに心を奪われた女王が、多くの贈りものを残して国へと帰っていくという流れ。そして同時にシバの女王はソロモンとの間にロマンスも残す。ふたりの間に生まれたメネリクの直系の子孫がエチオピア皇帝であるとされ、このことは1931年に成立した同国の国家憲法に明示されている。
王国の栄華を現出したソロモンだが、一方で、豪華な王宮に住み、純金の食器を使う贅沢な暮らしが、次第に人々の反感を買うようになっていった。さらに彼は、勢力のある近隣の国から多くの妃たちを迎え、しかも彼女たちには、自分の崇める神やその祭祀を司る神官を伴うことも許していたのである。その結果、エジプトのイシス神、フェニキアのバアル神など、異国のさまざまな神を祀る神殿が、イスラエルの王宮のなかに建立されたのだ。
このような状況をイスラエルの神・ヤハウェが許しておくはずはない。罰として、イスラエルに反旗を翻す異邦人の指導者が現われ、王国は分裂の道をたどり始めるのだった。

『図説:地図とあらすじでわかる!聖書』船本弘毅監修、青春出版社

これはソロモンの死後、王国が分裂したことに対して、後世のユダヤ教徒がそう解釈したというだけで、実際にその通りだったかどうかは別問題だ。分裂が起こったからこそ、そのように解釈されたのだろう。ソロモンの死後、王国が分裂したのは、結局ソロモンの統治が民衆にとって非常に不満だったからだと思う。クーデターが起こったのもその結果であり、要するにソロモンの政治が悪かったということに他ならない。簡単に言えば、ソロモンは1000人もの妻を持ち、純金の食器で食事をしていたわけで、そんな生活をしていたら民衆が不愉快になるのは当然だ。

さらに問題となるのは、ソロモンが多くの妻を迎え入れたことで、その妻たちが崇拝する神々や、その神々を祀る神官を伴い、例えばエジプトのイシス神やバアル神を祭る神殿を王宮内に建てたことが記録されている。ここが問題視されているわけだが、異教の神々を祀ったこと以上に重要なのは、ソロモンの政治が問題だったという点だ。当時の政治は宗教と一体となっていたため、そのような形で問題が捉えられているだけだ。

イシス神の正体はイシュタル(イナンナ)で、夫はバアル神(ドゥムジ/ニムロデ)

イシスという名前は誤りで、本来はエジプトのアセトと呼ばれていた神のことを指している。しかし、ここでのイシスはすり替わってしまっているもので、実際にはイナンナ、あるいはイシュタルのことを指す。聖書ではバビロンの大淫婦とされる女性がこのイナンナである。

次にバアル神だが、「バアル」という言葉は「主」という意味を持つ。シュメールではバアルに相当する神はドゥムジと呼ばれており、シュメールでもドゥムジとイナンナは夫婦である。ここで重要なのは、ドゥムジとニムロデが同一人物であるということだ。シュメールやバビロニアでは、ニムロデがドゥムジと呼ばれるようになる。

ニムロデは聖書においてバベルの塔を建てたとされるが、実際には違うとされている。しかし、彼は地上で最初の王とされており、現実に存在した人物だという説がある。さらに、ロスチャイルド家がニムロデの子孫だとされ、その家系をずっと保持しているという噂がある。

ニムロデは実在した人物であるが、後に神格化された。そして、バビロニアではドゥムジと呼ばれ、イナンナの夫として扱われるようになった。このように、神々がすり替わってしまっているため、非常に混乱を招いている。

神々の世界は、影武者(すり替わり)だらけ

「イシス神の旦那さんはオシリスではないのか?」という疑問に対して、確かにオシリスはイシスの夫とされている。しかし、オシリス自体は実際にはバアル神、つまりニムロデのことである。多くの人々は、イシスやオシリスがエジプトの神だと思い込んでいるが、実際にはそうではない。彼らはバビロニアやシュメールの神々であり、後にエジプトの神として偽装されているに過ぎない。オシリスやイシスは、エジプトの神ではなく、元々はバビロニアやシュメールの神である。エジプトでそれらの神々が受け入れられた際に、オシリスやイシスと名乗ることでエジプトの神として認識されるようになった、というのがこの話の背後にある真相だ。

ちなみにニムロデのシンボルはオベリスク

4 ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。
5 これはソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者ミルコムに従ったからである。
6 このようにソロモンは主の目の前に悪を行い、父ダビデのように全くは主に従わなかった。
7 そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。
8 彼はまた外国のすべての妻たちのためにもそうしたので、彼女たちはその神々に香をたき、犠牲をささげた。

この聖書の記述は、正確ではない。聖書の内容だと、ソロモンが多くの妃を持ち、その妻たちによって徐々に影響を受けて、異教の神々を拝むようになったと解釈されるかもしれない。
しかし、事実はそうではない。ソロモンは最初から堕落していた

その根拠として、ソロモン神殿の地下には、悪魔崇拝のための部屋が別に作られていたことが挙げられる。この部屋は、神殿の建設当初から計画されていないと作れないものであり、初めから存在していた。
このことが、フリーメイソンの起源となっている。ソロモン神殿も後に破壊されるが、エルサレム神殿の跡地を発掘している人々が、その地下に別の空間があることを発見した。そして、その空間には重要な秘法が隠されており、その秘法がテンプル騎士団に伝わり、フリーメイソンの流れに繋がっていった。

エルサレム神殿の地下には、悪魔崇拝のための施設が最初から作られており、これはソロモンの命令によって設置されたものである。神殿建設時から、ソロモンはすでに悪魔崇拝に染まっていたことが明らかである。

ジョン・トッド(13人評議会の祭司)イルミナティの秘密暴露

イルミナティという組織が存在する。この組織は、現代の秘密結社の中でも悪魔崇拝における最高レベルの結社である。その構成員の頂点には、ロスチャイルド家が位置しているとされる。さらに、エリザベス女王やローマ法王などの著名な人物もその一員だとされている。彼らは、現在でもソロモンが行っていたとされる悪魔崇拝を続けている。

その崇拝の儀式は、秘密の場所で行われている。例えば、ロスチャイルド家の屋敷の地下などがその場所である可能性が高いが、詳細な場所についてははっきりとわかっていない。写真などではいくつかの場所が示されることもあるが、正確な場所は明かされていない。儀式がどの部屋で、どこで行われているのか、また地下で行われているのかはわからないが、彼らが悪魔崇拝を続けていることは確かだという。

さらに、イルミナティには「13人評議会」という組織が存在しており、そのメンバーであった人物がキリスト教に改宗したことがある。この人物はジョン・トッドという名前の男性で、イルミナティから脱出した後にキリスト教徒となった。

ダビデの星とは何か?元イルミナティ:ジョン・トッド氏の証言

わたしが添えたい面白いことがあります。
多くの魔女がダビデの星と呼ぶものがあります。
星が初めて描かれる前に、ダビデは死後久しかったです。
彼の息子(ソロモン)がそれを描きました。
それはいわゆる六ぼう星です。
その言葉は呪うという意味のHEXであり、六ぼう星に由来しています。
そして魔女が魔術を実践するとき、彼らは五ぼう星が立つように描いて、そして邪悪な印の上に悪魔を呼びました。 わたしたちがダビデの星と呼ぶものです。
キリスト教徒が彼らの首の周りに結びつけ始める前に、それは悪魔の星あるいは死の星と呼ばれていました。 それはそれが描かれた理由です。
何人かはソロモンの見方について混乱しているかもしれません。彼が堕落したとき、彼はオカルトの中で最も神聖な人になりました。
わたしたちが実践するすべては、彼が堕落したときに書いた本と描いた絵に基づいています。 あなたが今後書こうとしている悪魔払いの儀式も含めて、彼が書きました。

「ダビデの星」というシンボルは、ダビデ王の時代には存在しておらず、彼が死んでから使われ始めたものとされている。その初めての使用者はソロモンで、彼が堕落した時期に関係しているようだ。特に、エジプトから迎えた妻が、イシス崇拝を行っていたと考えられている。イシス崇拝とは、実際には古代メソポタミアのイナンナ崇拝と同じものだ。この妻との結婚によって、ソロモンはイシス崇拝に染まってしまった。

さらに、ソロモンはエジプトの魔術にも精通し、魔術書を書いたと言われている。この魔術書や儀式は、現代でもイルミナティのメンバーたちが実践しているとされている。ソロモンの魔術の儀式はエルサレムの神殿の中で行われたわけではなく、表向きにはヤーウェに従っているように見せかけながら、実際には神殿の地下で別の神を拝んでいたとされる。それは「バビロンの大淫婦」として知られる存在であった。

その拝み方の中心には生贄の儀式があり、特に赤ん坊を生贄として捧げることが一般的だったという。赤ん坊の血を飲み、その肉を食べるというカニバリズム(人肉食)が行われていたとされている。そして、現在でも同様の儀式が続けられていると考えられている。

ヨーロッパの貴族、特に王族たちは、ほとんどがこの闇の儀式に関わっているとされている。彼らは生贄の儀式を通じて、悪魔を崇拝している。なぜ彼らが悪魔を崇拝するのかというと、悪魔を崇拝することで、この世における権力や富を手に入れることができるからだ。

新約聖書でも、イエス・キリストが悪魔に誘惑された場面が描かれている。「私を拝めば、この世の全ての王国をお前に与えよう」という誘惑があるが、イエスはそれを退けたと記されている。まさに、この世の権力と富を手に入れられるという約束が、悪魔崇拝の中心的な動機である。
悪魔を崇拝することによって、富と権力を我がものにするという考えが、彼らをその闇の道に引き込んでいる。

魔術師ソロモンの知恵の源泉

ソロモンがエジプトの女を妻に迎え、彼女を王妃とした時点で、すでに悪魔崇拝に引き込まれていたと考えられる。おそらく彼は早い段階でイスラエルの主を捨て、悪魔崇拝に染まっていったのだ。だからこそ、ソロモン神殿の地下に悪魔崇拝の儀式を行うための秘密の空間があったとされる。

ソロモンがエジプトの女と結婚してしばらくした頃には、すでに悪魔崇拝に染まっており、その後は堕落の一途をたどった。逆に言うと、魔術師としての能力を高めていき、その知恵の源泉が悪魔崇拝にあったとされている。彼は悪魔に魂を売ることで知恵を得、イスラエル王国の栄華を築いた。そして悪魔に守られていたため、ソロモン自身は生涯を全うすることができた。

しかし、ソロモンが死んだ後、イスラエルの神が王国を取り戻そうとし、戦いが繰り返される。歴史の中で、悪魔が勝ったり、イスラエルの神が勝ったりと、戦いが続いてきたわけだ。

ソロモン自身は悪魔の加護によって死を迎えたが、その後、イスラエル王国は分裂し、特に南部のユダ王国では比較的イスラエルの神への崇拝が保たれた。一方、北部の王国は大きく堕落していった。イスラエルの神は預言者を送り込み、例えばエリアのような人物が悪魔崇拝から民を引き離そうと努めたが、王族や支配者層は悪魔崇拝を続けていた。これが旧約聖書に描かれている歴史である。

現代においても、権力や富の頂点に立つ者たち、王族や大富豪たちは、ほぼ例外なくこの悪魔崇拝に関与しているとされる。

シュメール・バビロニアの聖婚儀礼

聖婚儀礼
聖婚儀礼はドゥムジ神とイナンナ女神の結合を象徴した。ウル第3王朝時代やイシン第1王朝時代には王とイナンナ女神を象徴する女神官が演じる儀式であって、シュメル語の詩歌が残存している。
王の基本的立場は神官王であった。
聖婚は新年祭の一環であって、大晦日に行われた。杉と簡草の寝台が宮殿に据えられ、その上に極上の敷布が広げられる。次いで女神は湯浴みし、体を洗い浄め、床に香油がまかれる。王と女神はそこで結ばれる。
翌日の元旦には王宮で盛大な祝宴が開かれる。
こうした宴会の場面は円筒印章や奉納額などにしばしば刻まれているが、単なる娯楽としての宴会ではなく、豊穣を予祝するなどの宗教的意味をもっていた。

古代メソポタミアの神々 世界最古の「王と神の饗宴」

これは宗教的儀式の一環としての売春行為である。つまり、結婚していない状態で行われるものであり、王の妾でもない。女神官というのは神殿を守る巫女であり、彼女たちとの性行為が行われるため、これは売春行為に該当する。この行為は、彼らの間では「聖なる売春行為」として捉えられ、ここから「聖娼」(聖なる娼婦)という概念が生み出されることとなる。

元旦には王宮で盛大な祝宴が開かれる。バビロニアやメソポタミアといった古代の国家は、国家規模で悪魔崇拝に陥ってしまう。国民は自分たちが何をしているのか、現実に何が行われているのかをほとんど知らず、見聞きしたことだけで「ああ、こういうことが行われていたんだな」程度にしか認識していない。これは、事の本質や重要な部分が隠されているからこそ、騙されてしまうのだ。

ソロモンの「雅歌」は、古代シュメールの聖婚儀礼が起源

ソロモンの雅歌
2 どうか、あなたの口の口づけをもって、わたしに口づけしてください。あなたの愛はぶどう酒にまさり、
3 あなたのにおい油はかんばしく、あなたの名は注がれたにおい油のようです。それゆえ、おとめたちはあなたを愛するのです。
4 あなたのあとについて、行かせてください。わたしたちは急いでまいりましょう。王はわたしをそのへやに連れて行かれた。わたしたちは、あなたによって喜び楽しみ、ぶどう酒にまさって、あなたの愛をほめたたえます。おとめたちは真心をもってあなたを愛します。

これは一般的には男女の愛を歌ったものだと理解されている。しかし、見る人が見れば、それがどんなものなのかすぐに分かる内容なのだ。

1920年代にミークは、あるユニークな結論に達した。今では、ほとんど全ての聖書学者に受け入れられている、その結論とは「ソロモンの雅歌は、古代シュメールの〈イナンナードゥムジ聖婚儀礼〉を起源として成立した」というものである。その結果、必然的に従来の信仰的解釈は窮地に立たされる事になった。約二千年間教えられてきた「信仰的解釈」は、学者の間では完全に通用しなくなってしまったのである。少なくともこの「雅歌」の原型は、古代文明社会の、あらゆる地域で実行されていた、異教の〈聖婚儀礼=豊穣祭儀〉の一部であることは確実である。(その儀礼では、王がドゥムジに扮し、イナンナに扮した女神官と、実際に性交をしたと考えられている。)

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✡2つの三角形が組み合わさりできるこの周知の図形は、ダビデまたは、ソロモンの時代からユダヤ教の表象であったと考えられ『六芒星形』をマーゲン・ダビデ、ダビデの星、或いは、ソロモンの封印と呼ばれている。
しかし実のところ この図形は、ダビデ、ソロモン共に関係がなく、ユダヤの文献でこの図形にかんする言及が見られるのは12世紀になってからである。
しかも この図形が、ユダヤのエンブレムに採用されたのは17世紀になってからの事であった。
六芒星の真の歴史は、ヒンドゥー教のタントラに発しており男女両性の結合を表していた。すなわち頂点が下に向かう下向きの▽原初における女性のイメージ(ヨーニ・ヤントラ)で宇宙の生成に先立つ存在だった。やがて無限の時間が経過するうちに女神は自の三角形のなかに「生命の火種」を宿し、そして産み落とされ成長し男性になった。
男性は、頂点が上に向く上向きの三角形であらわされこの男性は、自分の母と結合し原初の両性具者となった。
この結合の印が 六芒星で「大いなるヤントラ」と呼ばれていた。

カバラは 十字軍によって東方の女神崇拝が知られるようになってから ムーア人占領下のスペインで ユダヤ人が発展させたものだった。カバラの信者たちは、タントラのヨーガ行者と同様 男神とシェキーナー(女性とみなされたエネルギー)との結合を六芒星で表した。シェキーナーは、シャクティ・カーリーのユダヤ版であり シャクティが ヒンドゥー教の神にとって絶対必要な霊魂であるのと同じように シェキーナーは カバラの神にとって欠かす事の出来ない霊魂であったのだった。このように六芒星は 賢者とシェキーナー・トーラーとの完全な結合を表していた。また六芒星形は 魔力を持った「ソロモンの封印」と呼ばれ ソロモンと関連づけされてはいるが この見方は、聖書の「雅歌」のあの官能的な恋愛詩が暗示しているように ソロモンが秘儀を伝授されたのは 聖婚のお蔭であるとする古代の通念から生まれたものと思われる。

神と巫女との交わり

ヘロドトスは、バビロンの聖塔の突端にある神殿の中に神々の像はなかったが、美しいカバーで覆われた大きな寝台とその傍らに黄金の机があったと報告している。選り抜かれた一人の巫女を除き、誰もこの部屋には入ることは許されなかった。そこに時折神が自ら現れるとされていた。

ドイツの偉大な考古学者ワルター・アンドラエは、ヘロドトスのこうした観察と自身の研究成果を踏まえて、次のような結論を引き出した。つまり、聖塔の上にある神殿は、神の住居と見做されるものであって、いずれにしても、それは神の像が置かれている下の神殿と対応しているのだという。後にアンドラエは、この上の神殿を神が天から降りてきて下界に入り込む入口だとした。神はその入口から入ってジグラットの階段を降り、地下の住居に達し、そこで祭儀に現れるのだという。

自然のリズムと聖婚
聖婚について考える際、性をどうとらえるかということは本質的課題であり、性について考えることは身体性について考察することに重ねる。生き物によっては、性交の後、雌が雄を食べてしまうこともあり、原宗教的な祝祭においては、同様の営みが実際に行われていることが記されている。
「全民衆の歓呼と注視の前で行われる遊女と情夫の公開の性交は祭儀の頂点をなすものであり、放縦無制約の集団混交が開始される合図でもあった。(中略)彼と交わった遊女は、性交のあとで雄蜘蛛を食い尽くしてしまう雌蜘蛛のように、情容赦なく彼を殺させてしまう」(W. シューバルト1975年)。
このようなグロテスクさは Neumann(1971)の言う「恐ろしい大母の支配領域」に見られるものであり、これはJung(1951)の言う「母元型」や「母娘元型」に対応する層と思われるが、この様相について次のように述べている。
「しばしば血なまぐさい、 残酷な、わいせつでさえある狂操の中で、 無垢な子どもが生贄にされる。 ときどき本来のネキュティア、 つまり冥府への旅や「得がたい宝物」の探索がテーマとなるが、これはときとして月経の血を月に捧げる儀礼的性的な狂操または供儀とかかわりをもっている。 おもしろいことには、拷問やわいせつ行為が「大地の母」によってなされる。 血を飲まされたり、血につけられたり、また礫刑も行われている」
(Jung、 1951年)。
これは先に述べたイナンナの属性についての Perera (1981)の見解「母性性と処女性、生命の喜びと殺人の欲望、肥沃さと獣性との境界領域の半ば」 というイメージにも繋がるように感じられるが、 もっと根源的なものにまつわる一種の「魔」とも呼べるような、グロテスクさを表している。

『唯一絶対真の神』の真の意味

これはユダヤやイスラエルにおいて、神が忌み嫌った悪魔崇拝についての話。神はこれを徹底的に排除しようとした。イスラエルのために、絶対にそのような崇拝に陥ってはならないと厳しく言い渡していた。それが「私こそ唯一の真の神であり、他の神を拝んではならない」という言葉の意味である。ここで言う「他の神」とは、悪魔崇拝を指している。当時はそれが広く蔓延していたため、神は「私以外の神を拝んではならない」と戒めたのだ。しかし、ユダヤ人たちはその言葉を誤解し、「神は一人しかいない」と思い込んでしまった。

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