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【エヌマ・エリシュ:オシリス神話】聖書・キリスト教の研究-07/#140-141

『旧約聖書』の理解において、バビロニアの創造神話『エヌマ・エリシュ』を取り上げるのは非常に意義深い。実際、『エヌマ・エリシュ』は単なる神話に留まらず、古代メソポタミアにおける宇宙観や神々の関係、秩序と混沌の対立を表現しており、これが『旧約聖書』の創造物語に与えた影響は無視できない。

『エヌマ・エリシュ』では、原初の海の女神ティアマトと淡水の神アプスーが最初の神々として登場する。彼らの子孫たちは次第に力を持ち、最終的にティアマトとその後継者であるマルドゥクとの戦いに至る。マルドゥクがティアマトを倒し、彼女の体から天と地を創造する物語は、天地創造の神話として非常に象徴的だ。秩序が混沌に勝利するというテーマは、『旧約聖書』の天地創造においても反映されている。

『旧約聖書』の創世記では、初めに神が天地を創造するシーンが描かれているが、その背後にはカオス(「大いなる深淵」)という要素が潜んでいる。この混沌の中から神が光を創り出し、秩序を打ち立てるという流れは、まさにバビロニア神話におけるマルドゥクの役割と一致する点が多い。

さらに、バビロニア神話の多神教的な世界観とは対照的に、『旧約聖書』は一神教の視点から秩序の創造を描くが、その裏には古代の多神教的要素が含まれていると考えることもできる。バビロニアの影響がなければ、『旧約聖書』の神話的構造や価値観は大きく異なっていたかもしれない。

カナン神話と同様に、『エヌマ・エリシュ』を取り上げることで、『旧約聖書』がどのような歴史的・文化的背景の中で形成されたのかをより深く理解できる。バビロニア神話とイスラエルの神話がいかに共鳴し、あるいは対抗しながら、古代の世界観を形作っていったかを探ることは、聖書研究における重要な一歩だ。


エヌマ・エリシュ

【第一の書板】
昔、天も大地もまだ名前が存在しない時、混沌の中には原初の真水であるアプスと、太古の海水であるティアマトだけがいた。彼らが混ざり合う中、最初に「名前で呼ばれた」存在が出現する。ラフムとラハム、次にアンシャルとキシャル、そしてアヌが現れる。アヌ神はエア神を生み、さらに多くの神々が誕生した。
若い神々たちは自由に動き回り、騒ぎ、父アプスを苛立たせる。アプスは「うるさい、これでは眠れない」と怒り、家来のムムムと相談し、神々を滅ぼすことを決意する。

【第二の書板】
ティアマトと彼女の側近クィングーが率いる怪物軍団の脅威を察知したエア神は、祖父アンシャル神に相談を持ちかける。しかし、エア神は手も足も出ず、恐れを抱く。次にアンシャルは息子のアヌ神に出動を命じるが、アヌ神も失敗に終わる。「他にティアマトの軍勢に対抗できる神はもういないのか」と嘆くアンシャル神の前に、マルドゥクが現れる。彼は自信満々に「必ずティアマトの首を挙げ、足元に差し出します」と誓い、その代わりに自らを神々の頂点に立たせるよう条件を提示する。

【第三の書板】
アンシャル神は家臣ググを召喚し、ラフムとラハムの下に赴いて、ティアマトの反逆や、エア神やアヌ神が敗北した経緯、そしてマルドゥクの提案を伝えるよう命じる。これを受けて、大いなる神々の集会が開かれ、運命を定める会議が始まる。

【第四の書板】
神々の決定に従い、マルドゥクは神々の王座に迎えられる。神々はマルドゥクを試すため、いくつかのテストを課す。マルドゥクが無事にその試練を突破すると、神々は「マルドゥクこそわれらの真の王者だ」と歓声を上げ、マルドゥクは王笏と王衣を授けられる。そして彼は猛々しい嵐の戦車に乗り、ティアマトとその怪物軍団との決戦に向けて出陣する。
敵の総大将クィングーは、マルドゥクの強大な姿に恐れを抱き、怯えてしまう。一方、ティアマトはますます怒りを増し、マルドゥクに一騎打ちを挑む。ティアマトはマルドゥクを丸呑みにしようと大口を開けて襲いかかるが、マルドゥクはティアマトの口に突風を送り込み、その隙に矢を放ち、ティアマトの心臓を貫く。こうしてマルドゥクはティアマトを倒すことに成功する。
その後、マルドゥクはクィングーを討ち取り、「天命の書板」を奪取する。そして自分の刻印をその書板に押し、胸に掲げた。

以上が『エヌマ・エリシュ』の第四書板までの物語である。

バビロニアの神々の系図

詳解ミトラ教の秘教占星学 (占星学教室シリーズ) 東條 真人

エンリルとイシュタルの父である最高神アン(アヌ)

イシュタール(イナンナ)はアヌの子である。カナン神話で「エル」と呼ばれる最高神は、バビロニア神話では最高神「アヌ」に対応している。つまり、どちらの神話においても、最高神は同じ存在であることがわかる。さらに、アシェラと呼ばれる存在がアヌの伴侶であり、アナトゥという名前で描かれている。これにより、アナトゥがアシェラであると結論づけられる。

系図には天王星、土星、木星などの天体が記載されており、それぞれの神々がこれらの星々と対応している。そして、占星学的にそれらが解釈されていく。占星学は、カルデア地方、つまりバビロニア周辺で発展した学問とされているが、そのルーツを辿ると、聖書では占星学は悪魔が未来を予測するための道具とされている。聖書の中で占いや呪いを禁じている理由は、これらが悪霊や神々と繋がっているからである。

ホロスコープなどの占星術を用いることで、霊的な影響を受ける可能性が高くなる。そのため、占星学は非常に危険なものと見なされている。しかし、ハイアラーキーにおいても占星学が存在している。神々が土星や木星などの天体と対応しているが、その知識は門外不出で、覚者しか知らないものとされている。人類はその知識を持つ必要がないという立場を取っているため、エノクは「私の言うことだけ聞いていればよい」として、占いやまじないを禁じたのである。

オシリス神話

ブラックロッジ(ハム系)vs ホワイトロッジ(セム系)

『旧約聖書』の世界観を理解するためには、神に敵対する勢力とその役割を押さえることが不可欠だ。特に、ノアの家系に関する系図がその核心にある。旧約における主要な対立構造は、ノアの三人の息子、セム、ハム、ヤペテに端を発する。このうち、ハムの子孫とされる勢力が、聖書的に地上に混乱をもたらす者として描かれている。これがシュメールの神々と結びつくというのは興味深い視点だ。
ハムの系列は、聖書の文脈では「呪われたカナンの地」と結びつき、しばしば神に背く者たちとして扱われている。彼らは、シュメール文明の神々とされる存在、つまり自らを「神」と称し、崇拝を強制した悪霊的な存在に比される。この視点から見れば、旧約の物語は一種の霊的戦いの記録でもある。神に従う者と、自己を神格化し人々を惑わす勢力の衝突だ。
特に注目すべきなのは、セムの系列が「神の選民」として神との契約を守る一方で、ハムの系列は堕落し、異教的な神々(悪霊)に仕えていくという対立だ。この構図は、旧約聖書全体を貫くテーマであり、さらに新約聖書におけるキリストと悪霊の戦いにも繋がる。キリストは、古代から続く神と邪悪な勢力との戦いに終止符を打つ存在として登場する。
したがって、旧約聖書は、単なる歴史的物語ではなく、神の意志に従う者たちと、自己神格化を企む邪悪な勢力の対立の物語だと解釈できる。この対立は、シュメールの神々と称される悪霊的な存在が、人類に不和をもたらし、神の秩序を乱す勢力として描かれている。
この流れを理解することは、旧約と新約の繋がりを見出す上で重要だ。さらに現代における宗教的、精神的な対立のルーツにも通じる要素がある。

セム=メルキゼデク=マイトレーヤ

このセムは、アブラハムの時代に『聖書』に登場するメルキゼデクの生まれ変わりであるという話だ。さらに、メルキゼデクはマイトレーヤ、すなわち弥勒菩薩とも言われている。この「光のグループ」は、一般的に「ハイアラーキー」と呼ばれ、または「白色同胞団」「ホワイトロッジ」などと呼ばれている。光の館であるホワイトロッジのグループのトップが彼だということになる。
一方、セムの系列は闇のグループに属し、これを「ブラックロッジ」と呼ぶ。ブラックロッジのトップは時々変わっていく。以前に話したのは、紀元前539年にトップが交代するということだった。紀元前2001年に一度交代し、その時にマルドゥクが闇のナンバーワンとなり、ナンバーツーはナブという神だった。しかし、539年に再度交代があり、ナンバーワンがニヌルタ、ナンバーツーがニムロデに変わる。
では、紀元前2001年以前のトップは誰だったのかというと、これは紀元前3000年頃にハムとクシュがトップであった。ただし、これは霊的世界の話であり、地上の世界のことではない。地上の寿命は短いため、この話は霊的な世界での話であり、霊的な世界では1000年にわたる統治が可能だが、地上ではそれは不可能だ。
さて、クシュの息子がニムロデであり、聖書では「非常に力のある者」として描かれ、地上で最初の王となったとされている。ニムロデはバアル神とも呼ばれ、旧約聖書では敵対する神として描かれている。シュメールではバアル神ニムロデのことをドゥムジやタムスとも呼び、エジプトではオシリスとも言われている。
さらに、ニムロデの妻はハムの娘で、アトルやアナトとも呼ばれる女性である。彼女はカナン神話やシュメールではイナンナ、あるいはイシュタルという名前を持っているが、名前が異なるだけで同じ神、つまり同じ悪霊である。
旧約聖書のヘブライ人から見たニムロデは「バアルゼブブ」、すなわち「蝿の神」として蔑まれており、ここから「ベルゼブル」という名前に変わった。彼は悪霊の頭とされている。

ニムロデの正体

ニムロデは『旧約聖書』において、地上で最初の権力者とされる人物だ。彼は「主に逆らう者」としてバベルの塔建設を主導したと言われ、伝説的な存在として多くの謎を秘めている。興味深いのは、彼が他の文化の神話とも密接に関連しているという説があることだ。具体的には、ニムロデはバビロニア神話のバール神、さらにはエジプトのオシリス神と同一視されることがある。
まず、バール神について考えてみよう。バールは嵐や豊穣を司るカナンの神だが、聖書の中ではしばしばイスラエルの神ヤハウェに対する敵として描かれている。ニムロデが「反抗的な王」としての性格を持っていることを考えると、彼がバール神と同一視されるのは理解できる。どちらも権力を握り、天地を支配しようとした存在だ。
次に、オシリス神。オシリスはエジプト神話において死と復活の象徴であり、冥界を支配する神として崇められた。彼の神話には、「死後に再生し、王として再び君臨する」という要素があり、この点がニムロデの伝説と非常に類似している。ニムロデは、天に挑戦した結果として敗北するが、彼の権力は依然として神話的に語り継がれている。オシリスの物語では、彼の死後もなお強大な影響を与え続ける点が、この類似性を強調する。
また、オシリスは弟セトによって殺されるが、妻イシスによって蘇生し、死後も冥界の王として君臨する。この死と復活のテーマは、権力を追い求める者が失墜しつつも、再び復活するという象徴的な要素が見られ、ニムロデの「地上最初の王」としての性質と重なる。こうした神話的共通点は、オシリスとニムロデが実は同一の存在であり、異なる文化で異なる名前と姿を取っているに過ぎないという考え方を支持する。
つまり、ニムロデとオシリスは、権力の象徴として崇められ、いずれも死後に再生する存在として描かれている。ニムロデが旧約聖書の反抗的な王であり、エジプト神話では死と復活の神として現れるオシリスと結びつけられるのは、単なる偶然ではなく、古代の人々が同じ原型的な神話を異なる形で語り継いできた証拠かもしれない。

バビロン再建計画
聖書の創世記に、有名な「バベルの塔」の物語が記されている。クシュ(アフリカ北部)から強い魂の狩人で神に反逆したニムロデが生まれた。彼はバベル(バビロン)、カラ、エレク、アッカド、カルネ、アッシリア、ニネベ、レホボデ、レセンの町々を建てた。伝説によるとニムロデは、バビロニアの大安息日12月25日の日曜日に生まれたという。
聖書はニムロデに関して簡単に書いているだけであるが、創世記2章によればバベルの塔はバビロンに建設が始まった世界統一のための政治的宗教的な連合組織の試みであった。当時、世界人類の言語は1つであった。彼らは自分たちの名を上げることを願っていた。しかし神は人々の言語を混乱させ、彼らを散らされた。そして「バビロン」という言葉は、この後のすべての神への反逆の代名詞になったのである。
ニムロデの母セミラミスは、当時の世界でももっとも美しく、また堕落した女性であった。ある時、この町で暴動が起こったが、セミラミスが暴徒たちの前を通り過ぎると、暴徒たちはこの美しいクシュの女性を見るために暴動を止めてしまったという。来るべきメシヤの預言を知っていたクシュは、セミラミスによって子をもうけた。このクシュによる子、ニムロデこそ彼らのメシヤであった。クシュは死ぬ時、ニムロデとその母セミラミスを結婚させた。ニムロデはすでに人々から神として崇められていたし、クシュもニムロデをもうけたことによって崇められていたので、セミラミスは「天国の母」として崇められるようになった。
彼女は「奇跡的に妊娠した」と主張して、タンムズという息子を産み、「彼こそ天国の救い主である」と宣言した。その宗教は世界各地に広がり、人々は天の女神が救い主であるわが子を抱いている像を拝むようになった。
旧約聖書にも、イスラエルの一部の民が「天の女王」のための供えのパンを作ったり(エレミヤ書7・18)、天の女王のためにいけにえをささげたり(同44章17〜19、25)、タンムズのために泣いたり(エゼキエル書8・14)したことにより神の怒りを受けたことが記録されている。考古学者たちは、イスラエルを悩ませたバアル崇拝がタンムズ崇拝と同一であったと考えている。カトリックの聖母子像や、仏教における慈母観音像などは、バビロンの母子礼拝が原型となっていることを、多くの古代史研究家たちが指摘している。
ニムロデがバベルの塔を建てている間に、ノアの息子の1人であるセムがニムロデに裁きを告げるためにやって来た。セムはニムロデを殺し、彼の体をいくつかの部分に切断し、使者を遣わしてすべての異教の神殿に送った。使者は「バアル、モレク、チューンなどの礼拝には、これと同じ裁きが来る」と彼らに伝えた。やがて、それらの宗教は地下にもぐることになった。
セミラミスは後にニムロデの体の断片を集めたが、どうしても見つからなかったものがある。それは彼の男根であった。セミラミスは彼の男根を呼び戻そうとし、そのシンボルとしてオベリスクを作った。バチカンやワシントンに建てられているオベリスクの原型は、これである。
もともとバアルとは柱のことで、英語のバーと同じである。ニムロデのシンボルはX十字で、「Xmas」の本当の意味は、ニムロデの誕生を祝うことにあり、XマスのXはギリシャ語のクリストスの頭文字だというキリスト教会の教えは、まやかしに過ぎない
ニムロデは、多くの国々で様々な名前で知られてきた。バアル、オシリス、ジュピター、バッカスなどである。またセミラミスは、アシュタロテ、イシス、ダイアナ、イシュタール、ヴィーナスなどで知られている。

オシリスとセトは兄弟であったが、セトはオシリスを妬んで殺そうとする。セトは巧妙に計画を立て、まずオシリスの体にぴったり合う木棺を作った。そしてその木棺に合う人に褒美を与えるという名目で催しを開く。何も知らないオシリスは、木棺に横たわるとすぐに蓋がされ、釘を打ち付けられ、ナイル川に流されてしまう。これはオシリスの死を描いた有名な伝説である。

オシリスの妻であり妹でもあるイシスは、夫の死を嘆き悲しむ。そして馬に化けてビブロスの宮殿に潜入し、オシリスの木棺を探し出そうとする。この木棺はナイル川を流れて、木の根に絡みつく形で止まり、その木が宮殿の柱として使われていた。イシスは宮殿に潜入し、柱に加工された木棺を探し当てた。

イシスは宮殿の女王の赤ちゃんを世話する役目を得て、赤子を不死にするために火の中に入れた。その間、イシスはツバメに変身して柱の周りを飛び回った。しかし、赤子の母親である王妃がその光景を見て驚き叫んだため、イシスは元の姿に戻り、王妃に事情を説明して納得させ、柱を改宗して木棺を取り戻すことができた。

その後、セトは怒り狂い、オシリスの遺体を探し出し、14の部分に切断してしまう。しかし、イシスは再びオシリスの体を取り戻そうとし、パピルスの船に乗って断片を探し始めた。すべての断片を見つけることができたが、オシリスの断根(生殖器)は魚に飲み込まれて見つからなかった。イシスは残りの遺体をつなぎ合わせ、強力な魔力を使ってオシリスを一時的に復活させた。そしてその結果、彼らの間にホルスが誕生した。これがオシリス神話の主要な部分である。

オシリスの敵であるセトは、この神話において悪の象徴であり、セトに対応するのが、古代の神話でしばしば登場するニムロデとされる。この神話は、多くの古代宗教や儀式に影響を与え、特に悪魔崇拝に関連付けられることが多い。セトやオシリス、イシスはそれぞれ異なる神格として知られているが、これらの神話は多くの場所で繰り返し現れる。

さらに、オシリス神話に出てくる象徴的なものとして、オベリスクが挙げられる。このオベリスクはエジプトだけでなく、イタリアやバチカンなど世界各地に運ばれ、立てられている。オベリスクは悪魔崇拝のシンボルとされ、その起源は紀元前3000年まで遡るが、それ以前の文明の建築物とは異なり、オベリスクは神々の力を象徴するものとして作られた。

このように、フリーメイソンやバチカンなどの権力者たちがオベリスクを立て続ける背景には、悪魔崇拝が関係しているとされる。フリーメイソンの中には、古代の神々や儀式に関連したシンボルを世界中に広めようとする者が多いという。そしてこれらの行動は、ニムロデやイシス、オシリスといった神々の崇拝を広めるための一環であり、彼らの思想や儀式は、現代の宗教や政治にも影響を与えているとされる。

バアルという名は柱を意味しており、英語の「バー」と同じく「柱」を指す言葉である。そのため、オベリスクがシンボルとなっている。そして、ニムロデのシンボルである「X字の十字架」が登場する。クリスマスの本来の意味は、ニムロデの誕生日を祝うことに由来しており、現代では商業的な意味合いが強くなっているが、その背後にはこうした神話的な象徴が隠されている。

クリスマスの「X」は、キリスト教会では「キリスト(Christos)」の頭文字とされているが、実際にはそうではなく、これはニムロデのシンボルである。ニムロデは多くの名前で知られ、バアルやオシリス、ジュピター、バッカスなどとしても崇拝されてきた。同様に、セミラミスはアシュタル、イシス、ダイアナ、イシュタール、ビーナスなどの名でも知られるが、これらの神々は多少異なるものの、同じ原型を持つことが多い。

ここで注意が必要なのは、バアルとオシリスは同じ神であるが、ジュピターやバッカスは別の神格であるという点だ。また、セミラミスとイシスは同一神とされるが、アシュタロテやダイアナ、ビーナスは異なる神格である。このため、情報の正確さには留意する必要がある。セミラミス、イシュタール、イシスは同じ神格とされるが、他の神々はそれぞれ異なる特性を持っている。特にイシスはエジプトの神として本来存在しており、他の神々と混同されがちだが、イナンナがすり替わってイシスとされてしまった。また、オシリスも本来は存在していたが、後に別の神格がすり替わり、オシリスを名乗るようになった。このようなすり替えの事例は他にも数多く存在し、日本でも同様の現象が起こっている。

例えば、日本の宗教でも、自分をスサノオの生まれ変わりだと主張する者がいる。彼らは信者を集め、宗教団体を立ち上げる。こうした事例は世界中に存在し、数千人から数万人の「キリストの生まれ変わり」や「ラーマの生まれ変わり」を自称する人々がいる。彼らはそれぞれ異なる人間でありながら、本気でそう主張し、信者を集めている。このように、本物の神々が忘れ去られ、偽物がすり替わって信仰される現象が繰り返されている。その結果、オシリス神話もニムロデの神話と混同され、オシリス崇拝をしているつもりが、実際にはニムロデを崇拝しているという状況が生まれている。オシリスが人気を集め、崇拝されている中で、その本質が見えにくくなり、ニムロデ崇拝が隠されているのだ。

このように、悪というものは情報操作に長けており、巧妙にすり替えを行うことで本物と偽物の区別を曖昧にしている。

三位一体の形成

セミラミスは、ひとりの息子を産みました。
セミラミスは、ニムロド(すでにノアの息子・セムに殺された後)の魂が訪れて、タムムズを身ごもったのだと主張したのです。
つまり、タムムズはニムロドの生まれ変わりだといったのです。
このとき、父・ニムロド、母・セミラミス、そして息子のタムムズ…で、おぞましく邪悪な「三位一体」が形成されたのです。

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ニムロデ(バール、タンムズ、オシリス)に見られる「羊飼い」や「救世主」の原型

タンムーズはユダヤ人がバビロンから取り入れたものであるが、タンムーズの起源はバビロンよりもさらに古い。彼は初めはシュメール人の救世神ドゥムジ(「唯一の息子」)またはダム(「血の息子」)であった。彼はそのに際して自らの血で大地を肥沃にしたので、「癒す者」、「救世主」、「天の羊飼い」と呼ばれた。彼は、昇天した死者の霊魂と考えられていた星の群の番をした。毎年、贖罪の日に、彼は「聖なる雌ヒツジ」の息子である仔ヒツジの姿で生贄に捧げられた。しかし彼が化身した動物は、もっと古い時代に行われていた人身御供の身代わりであると理解されていた。死んだ神を悼むある哀歌は、死の理由を修辞を尽くしてたずねている。
「なぜ彼らはドゥムジを、平原を支配するドゥムジを殺したのか。羊飼いであり、知恵を司る者、悲しみを司る者であるドゥムジをなぜ殺したのか。ブドウの木の女神はやつれ、仔ヒツジも仔ウシも生気がない。羊飼いである主はもはやこの世にない。天の女王の夫はもうこの世にはない」
この神が死んだとき、神殿に仕える女たちは儀式に則った号泣の声lulationsを上げたが、バビロニア人はこれをalalu、ギリシア人はhouloiと呼んだ。エゼキエルが言及しているのはこの声のことである。すなわち、エルサレムの神殿で女たちはタンムーズのために号泣wailしたのである(『エゼキエル書』8:14)。典型的な「号泣」はシュメールの聖典に出てくる。
「連れ去られた者を悼んで号泣が起こる。鳴呼、我が子は連れ去られてしまった。我がダムは連れ去られた、我がキリストは連れ去られた。彼が母に生み落とされた聖なるスギの木の立っている所から。号泣は植物のため、植物はもう成長しない。号泣は家とヒツジのため、これらはもう生み出さない。号泣は瀕死の夫婦、瀕死の子供たち、シュメールの人々のため、彼らはもはや生み出さない。号泣は大河のため、大河はもう洪水を引き起こさない。号泣は養魚池のため、魚はもう卵を生まない。号泣は森のため、ギョリュウはもはや成育しない。号泣は貯蔵所のため、ハチ蜜もブドウ酒も生産されない」。
祭文のなかには、ドゥムジ-タンムーズに、ウシルまたはウシルシル(ともにウシル〔オシーリス〕の変化形)と呼びかけるものもあった。ウシル〔オシーリス〕もまた善き羊飼い、死者の「群れ」の番人であった。タンムーズはエルサレムで行われる聖劇では中心的な位置を占めていたが、新約聖書では彼は、「タンムーズ」のギリシア語形であるトマスThomasの名を持ち、新しい「生贄として死んでいく神」に仕える単なる使徒の1人に変えられてしまった。
しかし1000年経った後でも、シリアの農民は相変わらず、穀物神タ-ウズの犠牲は豊作をもたらすためには不可欠であると考えていた。彼は残酷な扱いを受けた。すなわち刈り取り用の円形鎌で殺され、骨はひき臼で砕かれ、肉片は大地にばら撒かれ、女たちは彼のを嘆き悲しんだ。
より古い時代のすべての「救世主」と同じく、タンムーズは結局は、キリスト教の伝統のなかでは悪魔とされた。中世になると、彼は地獄の指導者格のデビルの1人としてリストアップされた。ヴァイアーの悪魔論では、タンムーズは地獄からスペインに派遣された大使となっているが、おそらく彼がまだスペインのサラセン人(ムーア人の支配下にあった数世紀の間住んでいた)に崇拝されていたからであろう。

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/tammuz.html

キリスト教では、シュメールの神々を「悪霊」として断罪し、これを封じ込める動きがあった。異端とみなされた者たちは地下に潜らざるを得なくなり、その結果、フリーメイソンやエッセネ派といった集団が誕生した。エッセネ派は、イエスが属していたとされる地下組織であり、後にテンプル騎士団やフリーメイソンに繋がっていく集団である。
キリスト教は、その後、悪魔に乗っ取られていき、残虐な行為を行うようになった。アルビジョワ十字軍など、極悪非道な行動が展開され、これらは悪魔の集団でなければできないほど残虐なものだったとされる。つまり、キリスト教は歴史の中で悪魔集団に支配され、真の信仰を失ってしまったという主張だ。このような混沌とした歴史がキリスト教の中にあるということを理解すべきだ。

ニヌルタ:サトゥルヌス崇拝/ハロウィンの起源

オルド サトゥルヌス(サトゥルヌス騎士団)—これは古くからあるドイツの悪魔主義秘密結社である。「サトゥルヌス」は英語では「土星サターン」、これは悪魔サターンのことである。 バビロニア神話ではニヌルタ神であり、エジプト神話ではセベク神に相当します。そして、ギリシャ神話では後継者のゼウスによって殺害された古い時代の支配者クロノスであり、ローマ神話では農牧神サターンとされます。 母である地球はクロノスは自分の子供によってその地位を奪われると予言する。 それを聞いたクロノスはそれを防ぐために自分の子供を食べた。(プラド美術館にあるゴヤの絵は有名である)

「サトゥルヌス」を崇拝していたのがケルト人であり。これが「ドルイド教」の起源であり、サトゥルヌス崇拝に基づいている。このサトゥルヌス崇拝が、現代における「ハロウィン」にもつながっている。

神秘的なエジプトは悪魔主義の母体です。エジプトは何世紀もの間、実際は何千年もの間、オカルトの中心でした。エジプトのオカルティズムがヘルメス魔術やフリーメーソン、悪魔主義にそれほど大きな影響を与えているとすれば、私たちのシステムがエジプトの影響を受けていても、別に驚くべきことではありません。イルミナティは何年にもわたってエジプトの魔術を行ってきました。ローマの神サートゥルヌス(土星)が何千年もの間、世界的に人々の中心的な崇拝対象であったという事実はほとんど知られていません。太陽信仰もサートゥルヌス崇拝も悪魔崇拝と結びつくものです。ローマはサートゥルヌスの都であり、何世紀もの間、悪魔主義とその神秘宗教の重要な中心地でした。悪魔主義者の指導部は九つの評議会と13人大ドルイド評議会(カウンセル)、その他多くの下位集団で構成されています。悪魔は、悪霊ベルゼブルを片腕に、悪霊にも階層制度を設けました。 

イルミナティ11位階の暗黒の母であったシスコ・ウィーラー女史の重要証言
シュメールの神々の正体〜ノアの家系:ハム系列が自分たちを神として崇拝させた悪霊たち

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