完熟たまごってどういう状態?
最近、健康のためにと思って毎朝たまごを摂るようにしています。
茹でたまごだと食欲のない朝は辛いので、温泉たまごにして食べているんですが、そのときにふと思ったんです。
温泉たまごって、半熟たまごに対して、生たまごと茹でたまご、どっちに近いんだろう。と。
ふと思ったことなので、半熟たまごと生たまごの間に位置するのが温泉たまごだとはすぐに分かったんですが、そのときにさらにふと思ったんです。
半熟たまごの、半熟ってどういう意味だ?たまごにおける完熟ってどこだ? と。
半熟たまごとは、完全に火が通って硬くなった茹でたまごよりは手前の、火が通りきっていない半生、なま煮えの状態のたまごを指す言葉です。
漢字を分解すると、半分熟しているたまご。
僕が「熟している」という言葉からイメージするのは、野菜やフルーツが熟れて食用として完成された状態、あるいはその少し先のぐじゅっとした果実です。
野菜やフルーツが美味しく実った状態を完熟とするならば、たまごにおける完熟とは完全に火が通った茹でたまごのことを指すのか?
茹でたまごを完熟たまごと呼ぶ人はいるんでしょうか。
本来ひよことして生まれるはずだった命を熱湯にぶち込み茹で殺して、完全に火が通り死滅した状態のことを「完熟」と呼ぶのは、いささか傲慢ではないかと僕は思いました。
「熟す」という言葉の意味を調べてみると、
1.果実が十分に成長する。うれる。
「柿(かき)が―」
2.物事が十分な状態になる。
「計画が―」
3.技芸などが練達する。習熟・熟練する。
「業(わざ)に―」
とありました。
恐らく半熟たまごという言葉においての「熟す」は2の意味として使われているんだと思います。「人間が食すに十分な状態になる」ということでしょう。
たまごにとっての完熟は、ひよことして生まれ鶏に成熟することだったはずなのに、我々人間の都合にあわせて変質させた結末を「熟す」と呼ぶのは、エゴイズムと言わざるを得ません。
半熟たまごという言葉は、人間のエゴの産物なのです。
言葉の由来が、漢字の意味だけで成り立っているとは限らないので、今回の記事も憶測に過ぎません。それにそもそも野菜やフルーツにおける「完熟」も、人間にとっての完熟である場合もあると思いますからね。
ただ、普段見かける何気ない言葉の中になんとなく違和感を感じる。そういうことがたまにあるんです。
というお話でした。
ちなみに軽くネット検索してみた結果、完全に茹であがったたまごは「全熟たまご」と呼んだりするらしいです。
もひとつちなみに「たまご」の漢字の使い分けは、生物が産み落とすものとしては「卵」、食用品として扱うときには「玉子」と表記するのが適切だそうですよ。そうなると、「玉子」は「卵」であり「玉子」だけど、「卵」は「卵」だけど「玉子」じゃないということになりますね。じゃあ、スーパーに並んでいる加工前の生たまごは「卵」と「玉子」どっちになるんでしょうか。これは面白い。
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