ウイスキーの町、山崎を歩くソロ活紀行〜アサヒグループ大山崎山荘美術館編〜
こんにちは、桂です。
工場見学してそのまま帰って選挙へ…と思っていたら奥の細道に迷い込み、まさかの二部編成。
前編はこちらをご覧ください🔻
ただの休日、されど休日になってしまいました。
新しい土地を歩く時に敢えてGoogleマップという文明の力を使わず自然な流れや嗅覚(動物なん?)に任せてしまうマズいクセ。
吉と出るか凶と出るか。
なかなかにピンチでは?と思った矢先、鮮やかなブルーの歴史街道のステッカーを見つけて一寸の光が差し込む…!今日は吉と出た!
「大山崎山荘」と書かれた直進していく。
そうか、ここは京都だ。
サントリー山崎蒸留所は大阪府島本町、そして歩いてやってきたここは既に京都府乙訓郡大山崎。登り急斜面ではあるものの、そこまで長い距離ではなかった。
県境を跨ぐというのはなぜかさらに特別な気分になっていい心地がする。
ただウイスキー数本にソーダ水2本、グラスを両手に下げて歩く山道はなかなかにタフなもので、休日なのに何のために身体を痛めつけてまで?何かわからないものに向かって歩いているのか?何故こんなに過酷なトレーニングをしているのか?などという気分にもなってくる。超ド級のMなのか。歩いているその誰もが山崎の手提げを持っていないし、何なら登山用の杖…何だっけ…トレッキングポール!を持っているではないか。
即ちここは、山。
天王山登り口って、さっき書いてあったやん。
しかしどうやら絵画の展示があるという興味深い掲示と、この場所の驚くほど澄んだ空気に吸い込まれるように登っていってしまう。
あれよあれよと美術館の入り口に辿り着くと、右手側に素敵な庭園。池には恰幅のいい鯉が優雅に泳ぎ、木々を映す水面に自由な螺旋模様を描いている。
ご夫婦や、親子、カップル、その誰もが落ち着いている印象。ほぼ登山の坂道に疲れ切っているだけなのか、それともこの、自然味溢れる雰囲気を楽しみにきた者同士の空気感なのか。
少し池の周りを歩いて庭園を超えると、展示の看板がある。
戦前戦後から2000年代迄を生きたリアリズム画家の展示。埼玉県にある丸沼美術の森に所蔵されたコレクションから、前期と後期2回に分けて展示されているそうだ。今日がどうやら前期の最終日らしい。こういう運が私は本当に良い、タイミングッド過ぎる。(ちなみに頗る悪いのは男運と占い師に。モテ期は80代と言われた、うるさいわ。50年後くらいにホームでお会いしましょうね、誰か。)
有形文化財にも指定されたというアサヒグループ大山崎山荘美術館。アンティークで可愛らしい、木造作りの建物と打って変わって反対側はコンクリートとガラス張りの都会的な建造物。コントラストがとても印象的な美術館だ。
入るとすぐに受付とショップがある。
入場料を払い早速中へ。
まずはアンティーク調の建物に展示されている系譜と、コレクションを見ていく。
父親も挿絵の画家であるワイエスは、昔から体が弱く学校に行くことが出来なかった為に父から画法を教わり絵を描いていたそう。第二次世界大戦の最中、入隊を志願するも身体虚弱のために許可が出ず、画家としての道を邁進。20代で水彩画家として名声を得て、夏季に訪れた別荘地で知り合ったベッツィーとの結婚後は父の管轄から離れて彼女が紹介したオルソン家の2階をアトリエとして間借りし、その家と周りの人々を数十年に渡って描き続けた作品を多く残したのだという。
作品は鉛筆のスケッチから、ドライブラシ(水気を絞った筆で描く技法)の水彩、さらにはテンペラ画という有名な作品でいうボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」でも使われている技法で、板の上に主に卵黄に混ぜた顔料絵具で描いているようだ(そうすると水彩よりもくっきりと発色し褪色も抑えられるらしい)油彩よりも繊細な画風で、描いている間に乾燥して掠れる筆のタッチがまさに繊細かつ動的で儚げながらも生き生きとしているなと思う。
オルソン・ハウスには農夫であるアルヴァロと難病を患い歩行が出来ないクリスティーナが住んでおり、貧しくも彼女がその家事や生活のあれこれを支えている前向きさに感銘を受けて、描かれた代表作の「クリスティーナの世界」はアメリカの近代美術に於いて高く評価されていて、その構想段階の部分描写の絵画も今回は飾られている。その絵は隣の近代的な別棟にあるようだ。
🔻ここから展示を少し見れそう、是非。
撮影は出来なかったのでほとんど感想になってしまうが、彼の絵は光と影の付け方ももちろん特筆する所だろうけれど(見ている方がよく仰っていた感想だった)写実的風景画、ポートレートと様々ながら完全に見たままを転写するのではなく、その絵の中の、例えばクリスティーナはじめとする軽量器の小皿、絨毯の柄、収穫されたブルーベリー、家畜など、弱者や小さな壊れ物のような佇まいにこそ彩りを持たせているのが印象的だった。それは彼の中での理想の投影だとも言われているそうだが、そのものの持つ生命力や存在感を強調していて作品の制作意図を強く感じる。ただずっとそこにあるものの生活描写ではなく、植民地時代から戦前戦後のアメリカという国がどういう場所で、その中で か弱くも支えている人やモノには輝きがあり、様々に生きている証の受け皿がこの作品たちなのだ。差別するのではなく渦中で生き抜く様をワイエスは注視し、格別に取り上げているように見えた。今の時代にまた取り上げられる理由も良くわかる。またオルソン・ハウスという1つのものを描き続けている絵のシリーズは風景画というよりもワイエス自身と、その普遍的な幻想を具現化したポートレートのように思えた。
しかし絵の技術はもちろんのこと、そういった感覚をしっかりと植え付ける作品ばかりで驚く。彼自身も幼い頃から虚弱だったという事実がそうさせているのかもしれない。
「私はよく夢を見る、絵を描いていないときの方が絵を描いていて、それは潜在意識の中にあるんだ。」
という言葉を残しているそうだ、納得。完全体ではなく彼のみる理想を反映した世界を描くという。アンドリュー・ワイエスという素晴らしい画家に出逢えて幸せな気持ちになる。
前述した構想段階の部分絵の「クリスティーナの世界」 “Study for Christina’s world”の絵をよくみると鉛筆で “Just dreams in Christina’s World”と書かれている。その絵の横にはロケーションや腕と手だけのスケッチ。まさに実際に足を引きずり家に向かう構図はあれど、配置はどこにしよう、どう描こうかという彼の夢、空想も映し出された作品だったことが垣間見えた。
🔻こちらは完全体のYouTube考察のようです。
展示を見終わった後で上階のカフェへ向かうと、かなり満席に近いテーブルの中でテラス席のど真ん中が待ってました!と言わんばかりに空いている。またしても残1の謎席運に恵まれ、少し前だか総理就任後の石破さんに負けず劣らずの笑みで座らせていただく。この期間だけのメニューであるブルーベリーパイ「The Olsons' Blueberries 〜クリスティーナのおもてなし〜」をオーダーする。
夏になるとアルヴァロが収穫したブルーベリーを使ってクリスティーナがパイを焼いてくれていて彼自身も好物だったとのことだ。それを模したチーズと合わせたパイケーキ、食べない訳がない。
コーヒーか紅茶か迷って、アメリカだからホットコーヒー!などと軽率にも思ったが、ウイスキーの試飲後に坂を上り美術館を巡った体は大分熱っていたことに気付きアイスコーヒーにする。
程なく運ばれてきたケーキは華美になりすぎない素朴な味ながら、パイのドライな食感とチーズの程よい塩味や酸味がブルーベリージャムの甘さを和らげてくれている。少し小ぶりかな?と思ったけれど中身は具がぎっしり。満足度の高い味だった。作家の過ごしたであろう時間を視角や味覚でも体感できる。そして山の麓のテラスから一気に見渡す京都と大阪の街をど真ん中アリーナ席、いや、ステージ?から眺めて雲隠れした柔らかな夕方を過ごす、私だけのひととき。周りの誰もが私を私としての感覚ではなく、ただ景色の一部の女としてしか認識していないその空間があまりにも快適だった。
ケーキにはあともう1種類、ワイエスの母親がよく作ったとされるりんごパイ「Wyeth's Hometown Apples ~ワイエスのお気に入り~」と彼が好んで飲んでいたという限定のレモン・ウオッカのカクテルがあるようだ。
昨日から作品を入れ替えた後期の展示が始まっている。
次の会期中、いつ行こうかな。
帰り道、森のざわめきと共に暗くなってきた天王山入り口の、その先にある鮮やかな緑が、何だかワイエスの絵を彷彿とさせる。
ただ迷い込んだ森の中が今度はお目当ての旅になりそうだ。
【こちらの旅のプレイリストを作りました】
最近聴いている曲の羅列感もありますが(笑)
ぼちぼち新旧入ってます。是非感想もお待ちしております。
やっぱりAmazonミュージック、1番音いいなぁ。
サラウンド感はApple一強な気がします。
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