#10 親しくなると、距離をとる。“恋愛逆走くん”が失敗から学んだ、「誰かを抱きしめる前に、自分を抱きしめる」こと
さて困った。
夫婦のセキララをシェアしあうコミュニティ「フタリノ」の清水さんに「記事を書いてください」とお声がけをいただき、ふたつ返事でお受けしたのはいいものの、僕は結婚していない。
そんな僕がいいパートナーシップの秘訣を書くのは気が引ける。ボールを蹴ったことがないのにサッカーのうんちくを語るみたいなものだ。
ということで、どうしようか考えたのだけど、失敗談ならたくさんあるじゃないか! と気がついた。
たぶん、このアドベントカレンダーの企画に名を連ねている素敵な執筆者のみなさまが、「いいパートナーシップの秘訣」はたくさん書いてくださる。なのでここは恥を忍んで、「ふたりの関係が、なぜうまくいかなかったか」という、個人的な失敗談を書いてみることにしたい。なにしろ失敗談ならたくさんあるのだ。
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僕の34年の人生で、パートナーシップに関する一番の失敗。それは、「逆走しまくる」ことだった。
実は僕、大学生になってから20代後半まで、誰かと付き合うということがなかった。10年弱はひとりだったことになる。といってもまったく色恋沙汰がないわけではなく、夜の公園でふたりで話したり、気になる人の誕生日に全力でサプライズを企画したりはしていた。
しかし、である。
相手もまんざらでもないような態度になってきて、「さぁ、もう付き合うっしょこれは!」ってタイミングになると、とたんに正体不明の不安がおそってくる。そして、告白をするどころか、相手を無視したり、めっちゃぶっきらぼうな態度をとってしまったりするのだ。
想像してみてほしい。24時間テレビの100キロマラソンで、ボロボロになりながら99キロ走ってきて、いよいよ武道館が見えてきた。会場からは「サライ」の合唱が聴こえてくる。やったぞ、これまでの努力が報われる、あのゲートをくぐればそこには歓喜と祝福の瞬間が待っている!…という瞬間に、いきなり全速力で逆走するヤツを。
「うおおおおい!!なにしてんだ!!!!!!」
それがかつての僕だ。とにかく、誰かと親密な関係になることを回避してしまう。そんな「逆走くん」だったのだ。
当時の、といったけど、正直「誰かと親密な関係になることを回避する」はそのあともずっと続いていた。やっとこさ、お付き合いすることができても、どこか距離をとってしまう。本当は心から好きなのに、近づくと怖くなってしまう。それで、いつしか疎遠になって、グッドバイ。そんなことを繰り返してきた。
やばい。このままだと孤独死する。
30歳になり、まわりの同年代は結婚と出産を経験し、FBでキラキラした近況報告の投稿を目にすることが増えるにつれ、危機感がつのっていった。
出会いがないわけじゃない。でも、たとえ何十人、何百人と出会っても、僕がこのままじゃダメだ。「逆走くん」をどうにかしないと、ぴったりくるような素敵な人と出会っていい感じになっても、また僕は思いっきり逆走するだろう。
「人は変えられない。変えられるのは自分」
と、パートナーシップや家族について言葉を残した先人たちは言っていた。間違いない。自分を変えねば。では、どうやって?
あれやこれやと調べているうちにたどりついたのが、「愛着障害」という言葉だった。
「愛着障害」とは、「なにかしらの理由によって、養育者との心理的な結びつきが上手く作れないことが原因で、対人関係などのトラブルが生じる状態のこと」をあらわすらしい。
そして、医学的な定義では「子どもに見られる症状」とされているけれど、大人になってから悩んでいる方もいるという。(参考:『愛着障害とは?大人の愛着障害や特徴・対処法についても解説』)。
愛着障害研究の第一人者である精神科医の岡田尊司先生によれば、人の対人関係のつくり方には人それぞれのパターンがあり、そのパターンは心の奥深くにある「愛着スタイル」によって支配されている。その「愛着スタイル」は「安定型」と「不安定型」があり、「不安定型」はさらに「不安型」と「回避型」、「恐れー回避型」に分けられる。
くわしく知りたい方は調べていただくとして、目にとまったのは「回避型」の特徴。それはこう書かれている。
僕だ…と思った。僕のことが書かれている。
恋人と近い関係になるのを避けるのはもちろん、大学で対人関係を避けてサークルに入れなかったのも、就活ができなかったのも、会社に馴染めなかったのも、愛着の問題からくる「回避」だったのかもしれない…。(念のため書いておくと、医者に診断されたわけではない。あくまでも、自分でめちゃくちゃ腑に落ちた、ということです)
「愛着障害」という言葉と出合ってから、僕は本やYoutubeで「愛着障害」関連の情報を調べまくった。じゃあ、どうしたらいいのか。どの本や記事でも、「心の安全基地をつくる」ということが言われてる。幼少期に親をはじめとする身近な人とのあいだで、自分という存在が無条件に受け入れられるという愛着関係を築けなかったのだから、それを築きなおす、ということだ。
わかる。わかるよ。でもさ、そんなの無茶じゃない? 他者と関係をつくっていくのがむずかしいことで悩んでるのに、「その解決策は他者と関係をつくることです」と、言われましても。渇きに苦しみオアシスを求めてさまよう旅人に、「喉が渇いた?それなら水を飲むといいですよ!」っていってるような無慈悲さを感じる。
オアシスまで連れてってくれとは言わない。せめて、せめて次の一歩をどっちの方向に踏み出せばいいか、教えてくれ…
祈るような気持ちで情報を集めるうちに、ある動画を見つけた。心理カウンセラーである佐々木康治さんのその動画では、次のように語られていた。
自分の感情に気づくー。確かにそれこそ、僕が苦手としていたことだった。佐々木さんによれば、回避型の人は「自分の感情に気づくこと」を続けていると、それまでずっと蓋をしていた大きな怒りのような感情に気づくことがある。
そもそも、なぜ回避してしまうかといえば、幼少期に自分の感情を相手に受け止めてもらえずに傷ついた経験を通して、「傷つくくらいなら避けた方がマシ」となるからだ。僕自身、幼少期は親と一緒に暮らしておらず、甘えようにも受け止めてもらえる人がいない状態だった。だからか、「甘えようとして寂しい思いをするくらいなら、自分から距離をとる」ようになったのかもしれない。そうやって回避するうちに、そもそも感情に気づくことができなくなっていった。
だからこそ、感情が湧いてきたときはチャンス。その感情をちゃんと口に出したり、書き出したりすることで言語化する。そうすることによって、幼少期の愛着関係のなかでついた傷が癒されていく。
そうやって自分の感情に気づくことで、パートナーを家族との関係で、親しくなることが怖くなってしまっても、「いまは怖いと感じてしまってる。でもあなたのことが嫌いになったわけじゃないよ」と伝えることができる。怖さを感じても、それが関係のこじれにつながらずにすむようになるのだ。
自分の回避型の傾向と、その取説のようなものに気づいてから、誰かと親しい関係になることのハードルが低くなった。もちろん怖い。怖いのだけど、「あ、今は回避の特性が出ちゃってるんだな」と、少し客観的に眺めて、相手に気持ちを伝えたり、その場から少し離れたり、といったように対処できるようになったてきたのだ。
ごくごく個人的な経験を書いてきたが、ここから得られた教訓がひとつ。それは、「パートナーシップについて、いつも同じ失敗を繰り返してしまうなら、相手やふたりの関係性の前に、自分自身と向き合うといい」ということだ。
パートナーとトラブルがあると、つい相手のせいにしたくなる。でもちょっと待てよ。こんな喧嘩、前もしてたな。そう思ったら、その背景には、満たされていない幼少期の頃の自分の願いがあるのかもしれない。
もしそうだとしたら、小さい頃、誰にも満たしてもらえなかったその願いに、今の自分自身が気づいて、「よく頑張ってきたね」と自分を抱きしめてあげるといい。
そう、誰かを抱きしめる前に、自分を抱きしめてあげることが、きっと僕たちには必要だ。
年末年始は、自分と向き合う時間がとりやすい期間。
実家に帰るのなら、幼少期の頃を思い出すのにぴったりだ。
この記事を読んで、「もしかしたらわたしも」と思ったら、よければこの年末年始は自分と向き合う時間をとってみてください。
では、良い年末を。
生き方編集者・山中康司さん
生き方編集者。人の生き方に、文章と写真を通して向き合っている。今の問いは「ほしい家族をつくる」。関心領域は家族、パートナーシップ、キャリア、ソーシャル、ナラティブ。関わっているプロジェクトは「グリーンズジョブ」「Proff Magazine」「ほめるBar」など。
▶︎Twitter:https://twitter.com/koji_yamanaka
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