【XYのふたりごとVol.1】「令和時代における“幸せ”ってなんだ?」
『大それた幸せを語り、ささやかに生きる』
初めましての方も、そうでない方も、こんにちは。株式会社XYの「高崎聖渚(以下:せいな)」と「織田愛美(以下:めぐみ)」と申します。おそらくこのブログをご覧になる方は「アルバージェランジェリー」を知ってくださっている方が大半かと思います。
ご存知ない方は、ぜひ一度ご覧いただけたら嬉しいです!
<アルバージェ・ランジェリーとは?>
http://xy18.jp/works/original/11
XYの会社HPはこちらです。
2020年で創業5年をむかえるXY。今のタイミングでもう一度自分たちが提供していきたい価値や、社会に向けて発信したい価値観についてふたりで振り返ってみようということに。あまりに唐突な始まり方なので、興味ないよって方もいるかもしれませんが、ある意味このブログは私たちの「ログ」代わりにもなるし、私たち=XYの理念や考え方・価値観の最新の状態を企業様始め、お客様にも知ってもらうためには有効かもしれない。・・・なんて思いつきで始めてみたので温かく見守っていただけると嬉しいです。(笑)
(言葉を生業としているわけではないので、少々読みづらい部分もあるかもしれませんが、日々アップデートさせていきますので悪しからず!)
ここでは、何者でもない「ワタシ」を生きるアラサー起業家2人の「ひとりごと」のぶつかり合いのような会話(笑)を「ふたりごと」として、つらつらと書き連ねたいと思います。そしてこれが、誰かの新しい価値観の発見や、明日の選択肢のサポートにつながれば嬉しい。感想やご意見をコメントやメッセージでお寄せいただけたら跳ねて喜びます。ぜひ、飲み物片手にゆる〜り読んでいただけたらと思います。
さて、初回の「ふたりごと」は2020年1月14日のブレスト会議での1コマをお届けいたします。仕事始めにお詣りを済ませてから二人で2020年の目標を話していた時に決まった「ふたりごと」のブログ化。いつもみたいに気軽な感じでテーマを定めず気軽に話してみよう、とテーブルを囲んで話し始めた、そんな日でした。
世間はアメリカ・イラン危機で少し不穏なムードだし、ゴーンは飛ぶし(笑)、日本の政治は相変わらずの汚職まみれ。ハッピーなニュースがなかなか出回らない2020年の幕開け。世の中のムードを感じ取るのも仕事の一つである私たちの「ふたりごと」は、今の時代における『幸せ』ってなんだろう?そんな漠然としたテーマから始まりました。
◆「ささやかな幸せを感じながら、大それた幸せも語れる」ハイブリッドな生き方ができたら幸せ?
めぐみ:そんなにみんな大した人間ではないわけですよね、ぶっちゃけた話。だけど、「自分は幸せになれる」って漠然とした自信みたいなのがあるから、幸せじゃない自分に落ち込むわけじゃないですか。でも、本当に小さな、自分だけの幸せの基準みたいのが持ててる人の方が幸せを感じる絶対数が多いってイメージが私の中にはあって――
せいな:うん。
めぐみ:例えば”ささやかな日々を送れる人”とか。朝起きて白湯でも、コーヒーでもいいけど、沸かして飲んで、お庭からハーブとってきたり、植物に水あげたり。みたいなひとときに幸せを見出せる人って精神が安定している気がする。一方で、大それた幸せを願う人ほど不幸になっていっているような。(笑)
せいな:うんうんうん。
めぐみ:でも、大それた幸せを願いたいのも人間じゃないですか。だから、「ささやかな幸せを感じながら、大それた夢も語れる」みたいなハイブリッドな生き方ができたら超幸せですよね。
せいな:わかるわかる。それでいうと私もここ最近同じようなこと考えてて。「足るを知る」的な概念の話なんだけど。
めぐみ:うん。
せいな:「足るを知る」って、ジャッジができる人でなければいけないんですよ。私基準の「幸せ」のジャッジができるか否かって決められる意思決定力がとても重要で。
めぐみ:あー、そうですよね。
せいな:「私はこれがあれば良い」っていう、さっきでいうところの精神が安定している白湯の人みたいな。(笑)自分の幸せ基準を作れるって意味でもありますけど。
めぐみ:うんうん。
せいな:でも多分、みんな決めらんないんですよ、なかなか。自分基準の幸せ基準を決めるにはどうしたらいいかって私も迷うわけですよ。自分にとっての足るを知る状況を作るにはどうしたらいいのかな、と。てなると、人間みんな「苦しい」方にフォーカスする方が楽で。「忙しい」とか「あの人が嫌だ」とか「あの子が羨ましい!」とか、そういう方が今の自分の状況を肯定できるわけじゃないですか。
めぐみ:え、どういうこと?なんで肯定?
せいな:多分だけど、自分が相手より「イケてない状態」を肯定できるわけですよ。
めぐみ:でも、その肯定は自分としては認めたくない肯定だよね?
せいな:そう。だから実際はそんな風に思っていないというか、自覚はないと思います。ただ羨ましがってるだけなんだけど、”潜在的に”自分がいけてないことを認識する方が楽なの。要はイケテナイ自分の状態を認知することで、努力してこなかった自分に蓋ができる。「あの人の方が優れている」って言い訳を介して認識することで、実際は苦しいけど、努力しなくて済むみたいな。だから人は「不幸」にフォーカスする方が楽なんですよ。
めぐみ:あー、努力しても結局私には無理・・・みたいな感覚か。要はアレだ、たまにテレビでやってるお金持ちの豪邸訪問番組みたいな。いいなって思うけど、どうせ私には無理と思う方が楽になる(笑)
せいな:うんうんうん、そうそう。きっとみんな「私はこれがあれば幸せです」ってささやかな幸せを受け取る勇気がない(笑)
めぐみ:ほう。(笑)
せいな:隣の芝生が青いってまさにそうでしょ。自分の得ているささやかな幸せを認められないから、お隣さんを羨ましく思うわけで。
めぐみ:同じように比較できる幸せなんてないもんね、きっと。
◆みんな「不幸病」
せいな:私にとっての日常が誰かにとっての憧れかもしれないし、逆もあるじゃないですか。例えば、子供がいる人いない人とか結婚してる人と独身の人とか。でもそれぞれ幸せな瞬間は絶対にあるはずで。だけど目の前にある幸せを認知するってきっと想像以上に難しい。
めぐみ:そうですね・・・(しみじみ)
せいな:多分人によっては意識したこともないだろうし。だから、大体の人は「不満」が生まれるわけですよね。それこそ仕事でいうなら、本来就職できているだけで万々歳で、会社に行けば仕事があるってこともすごく恵まれている。
めぐみ:ああ、そうね。そもそもの話ね。
せいな:私たち(XY)からしたら、会社に行ったら仕事があるってとっても恵まれているなと思うわけじゃないですか。自分で仕事を見つけてこなくてはいけない人間からしたら、仕事が降ってくるという感覚は羨ましい。私たちは、日々生きていくために仕事を見つけなくちゃいけなくて、ヒーヒーしてても、自由にやってる姿をいいなと思う人もいるわけですよね。
めぐみ:その人の立場になってみないと”本当のこと”はわからないのに、好き勝手な解釈しちゃうしね。SNSなんてまさにそうだし。だからこそ、今こそ「幸せ」は比較できるものじゃないんだろうな、って気づくことも大切なのかもね。
せいな:みんな「不幸病」っていう感じ。その方が楽だから。逆説的だけど、不幸だな、大変だなって思ってる方が、”生きてる感”があるのかもね。
めぐみ:生きてる感。(笑)死にかけて初めて「生きてる」って感じるやつか〜。
せいな:そう。失って初めて気付く、みたいなね。(笑)だから、ささやかな幸せを感じられる生活は豊かだと思うんだけど、一方でそこには”ドラマ”がない。そうすると、みんないつか飽きちゃうんですよね。刺激が欲しくなっちゃって、大変な方にフォーカスしちゃう。
◆自分自身の人生の肯定は自分でしなくちゃいけない
めぐみ:友人に結婚して、子供産んで、家族のために精一杯生きてる子がいるけど、彼女はいつも私のライフスタイルが羨ましいって言ってくれて、でも私も彼女のことが羨ましい瞬間があったりとかもする。彼女をいいなと思うのは、ちゃんと愚痴も不満もあって、ハッピーオーラ全開なだけじゃないところ(笑)で、その中でちゃんとささやかな幸せを見つける。子供が構ってと騒ぐけど、自分だけの瞑想の時間をとる。そしたら子供も一緒に瞑想するようになって幸せ!とか元気のいいお野菜が届いたから幸せ!とか、生活を整える上で見つけた、ささやかな幸せをちゃんと感じられてる。で、たまに話すとちゃんと愚痴る。(笑)陰と陽のバランスが素晴らしいと思うんですよね。そんな彼女のこと見てていつもすごいな〜って思ってたけど、彼女自身羨ましいと思うことはあっても、誰かと自分を比較せずに、足るを知った生活をしてるんでしょうね。なんて、今思った。(笑)
せいな:そうかもね。きっとその方は愚痴るけど、「今の自分を否定していない」んじゃないですか。私の理想でもあるけど、自分で自分を認めてあげられてるというか。反省は大事だけど、自己否定だけでは何も生まれないわけですよね。
めぐみ:うんうん。
せいな:ダメだったけど、これはやれた!みたいに自分で自分をフォローできないとだらだら愚痴って終わるだけ。
めぐみ:自分を否定すると「惰性」を生むってことですかね。惰性って、楽だし。
せいな:言い訳できるからね。だから、自分で自分を受け入れるって大事なんだと思う。受け入れる=肯定として、誰かにそれを委ねると「依存」が生まれて、責任転嫁できちゃうからまたそれもダメで。自分自身の人生の肯定は自分でしなくちゃいけない。誰かのせいでこうなった、は通用しない。これって今の時代の次に来る課題の一つにもつながる気がする。会社や制度に依存できなくなっていって、それでも生きなきゃいけないとなった時に、活かせるスキルなんじゃないかな。自分の幸せは自分で決める、という強さのようなものが必要になってくる。誰かに認められるかどうかは関係ない。
めぐみ:でも、結局みんなやっぱり誰かに認められたいんじゃないかな〜(笑)
せいな:基本はね。
めぐみ:だから、自分で自分の幸せをそう簡単には決められないんだと思う。本当は十分幸せなのにそう思えない人もいるし、幸せじゃないのに幸せだと勘違いしている人もいるはず。(笑)それって結局誰かの基準で自分を測っちゃう、ってことで。――私たちもブランドやってるからこそ他者に認められたいという意識はどこかにある。それがある種誰かの基準で自分たちを測るってことでもある。誰かに認められたいって気持ちが必ずしも悪いわけじゃないはずなんだけどね・・・。
せいな:依存性が出てくるとまずいってことですよね。もしくは、委ねる相手を間違えてはいけない、ってことかな。ドラッグやお酒に頼るとか。基本的に人は支え合って生きていかなきゃいけないから、必ずしも一人で決めろ、生きろってことではなく「この選択肢をこの人に委ねてもいい」と思える相手を見誤っちゃいけないってことですね、きっと。それは、人でも会社でも制度でも一緒。
めぐみ:うん・・・。でも一方で、「決めない勇気」みたいなのもありませんか?決められない時は決めなくていい、ってこともある――
(次回に続く)
<次回は2月19日(水)18:00更新予定>
【XYのふたりごとVol.2:『令和時代の「曖昧性」を生きる』】
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