今日は…
数日前から、秋の気配を感じる。
風から伝わるにおい、肌の感覚。
もう秋が近くまでに来ている。
そして、今日は、終戦記念日。
今年は、オリンピックが終わるとともに、毎年恒例の戦争関連の特番が放送された。心の中でほっとする。
戦後76周年。
今まで、口を閉ざしてきた人たちが体験談を語りはじめているという。ご自身が死ぬ前に伝えておきたいことがあるということらしい。また、公文書の開示や、科学技術が発展したおかげで曖昧であったことが少しづつ解明していく。
先の戦争関連番組を見ていて感じたことは、個は個でいられなくなる窮屈さである。自分の感情を麻痺させて何も感じなくしなければ生きていけなくなる。
難しいことは横に置く。
とにかく、これまで見てきたり、聞いたことで自分が嫌だと思うことは、次のとおりである。
自由な表現ができなくなる。
人目を気にした生活をしなけらばならない。
とても、窮屈である。
空襲警報などで夜が眠れなくなる。
火の海に囲まれて熱い思いをする。
家屋の下敷きになり、身動きができず火が押し寄せて、自分の体が焼かれていく。
自分が死ぬことさえわからずに、一瞬にして消える。もしくは黒焦げになる。
敵に体当たりする。
モノのように命が扱われる。
飢え。
いつもおなかをすかせている。
まともな手当ても受けられない。
麻酔もない手術を受ける。
青酸カリや手りゅう弾で死ねと言われ置いてきぼりにされる。
命令に逆らえず、抵抗できない人を殺す。
さっきまで会話をしていた人が目の前で亡くなる。
じめじめしたジャングルの中をさまよい先が見えない行軍をする。
自分の死を誰にも知られずに野で死ぬ。
自分が生き残るために、幼い命や年老いた命を置き去りにする。
女性が略辱される。
男性が殺される。
子供たちが殺される。
生き延びることが恥だと言われる。
自分が携わったものが人を殺す道具となる。
などなどの状況に置かれることは嫌である。
過去の歴史を活かす方向で、そのような状況に置かれないことを願いたい。
そして、2020年4月以降に気づいた。日常の中のささやか幸せ。当たり前の時間を大切にしたい。
ただ、最近の世界情勢をみていると、ときどき、自分がいる今の状況が映画「戦場のピアニスト」の冒頭の場面と重なるときがある。
冒頭の場面というのは…
主人公のピアニストはラジオ番組の収録の後に同僚たちと、ドイツ国内の火の粉はポーランドまで及ばない。近いうちにほとぼりが冷めるような会話を交わしていたが、それから数日後の1939年9月1日にドイツ軍がポーランドに侵攻した。その後、ユダヤ人である彼と彼の家族の辛苦の日々が始まる…
考えすぎであると思う。ただ、気が付かないところでいつの間にか…という感じがしてならない。
だから、あのとき、しておけばよかったという後悔を少なくしておきたいと思う。
スピリチュアルの人たちは、昨年末から風の時代に入ったという。軽やかな時代への移行、今までの価値観は通じないという。
だんだん、その流れになっていくことになるだろうが、今は、旧時代から新時代への時代への移行する際の地球による膿み出しがはじまったような気がする。人類もその対象なのだろう。自分の意志でしているつもりが、地球的意識によるものとか、、だんだんSFみたいになってきた。やめとこう。
平和のありがたさ、つまり自分が自分でいられる時代に感謝しようと思う。
犠牲になられた方々の冥福をお祈りいたします。