流れるままに
芸術のことはわからない。
彫刻家が、作品を作成するにあたり、石の魂の声を聞いて作品にしたというのを、作品集で読むと、何だかなと思う。
芸術家のいう魂の声は、、芸術家の魂というエゴではないか。と思ってしまう私は芸術のセンスはないのだろうな。
自分の内なる声を表現するために、あるがままに存在しているものに手を加えることに謙虚な気持ちで、感謝の気持ちを持ちたいものだ、
とはいえ、私は、自分の口にいれ、エネルギーをいただいている多くの命に謙虚で感謝をしているかというと、、してない。
自分のことを棚に上げている今の私。
何事も外野は適当なことを言える。
当事者もしくはその周辺にいる人、経験者は、苦しみや悲しみ、大変さを知っているから余計なことは言わず、寄り添い、見守る。
その行為がせっかちででしゃばりな私には、崇高に思える。
いつか私もできるだろうか、、
今は、私のことを無視する年下の同僚を観察しながら、自分の中で生じる感情を眺めてみようと思っている。