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"それ"自体が目的になったら…

ランニングシューズ、持っていますか。走るために作られた運動靴こそ、ランニングシューズ。これで走ったら、走ることが好きになった。

私は中学、高校、そして大学と運動部に所属していた。ランニングは持久力、瞬発力を向上するためのトレーニングであり、減量のための手段だった。

社会人になっても、仕事が現場仕事であること、登山には体力が必要なこと等の理由で走っている。ランニングは自己鍛錬の一環であった。

ところが、テキトーな運動靴からランニングシューズへ履き替えて、意識が変わった。走ること、それ自体が楽しくなった。

腕の振りや重心移動について考えるようになり、雑誌や書籍を読むようになる。体を遠くまで効率よく運ぶこと、つまり「運動」することが目的となった。

「何かのために、何かをする」。ゴールがあってプロセスがある。当たり前のことだけど、それだけなのか。プロセス自体が目的となることはないのだろうか。

走るために、走る。写真を撮るために、撮る。遊ぶために、遊ぶ。そこには、結果や比較対象となる他者はいない。ただ自分のための行為といえる。

インスタに載せるために、撮る。ダイエットのために、走る。始める動機は何であれ、ハマる人は撮ること、走ること、行為そのものに魅力を感じているからではないだろうか。

趣味とは、行為それ自体を楽しむもの。仕事や学校で染み付いた「何かのために」という意識が案外、足枷となっていることもあるのかも知れない。

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