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ダイアナ-ウィン-ジョーンズ論⑧

【この章は『呪われた首環の物語』のネタバレを含んでいます。また『魔法使いハウルと火の悪魔』についてもふんわりネタバレを含んでいます。未読の方はご注意ください】

Ⅲ.魔法世界と現実世界 

~NOWHERE and NOW HERE~ 後編


5.『型破り』

ここまで<魔法世界>と<現実世界>について考察してきたが、ジョーンズの扱う二つの世界構造はどうも典型的な三つの形だけには収まりきらない。しかし、彼女の<魔法世界><現実世界>感を考察する時、ここへ収まりきらないものを外すわけにはいかないだろう。こういった世界観は彼女の作品の特徴的な部分の一つだからだ。
これもまた『九年目の魔法』からは離れてしまうが、ここではジョーンズに特徴的に見られる変わった世界感として二つのものを取りあげたい。

多元世界

一つ目は<ゆきて帰りし物語>の二つの並行世界を発展させたような、三つ以上の並行世界が同時に進行する構造だ。
これは『クレストマンシーシリーズ』(Chrestomanci Cycle)や、『バビロンまでは何マイル』(Deep Secret)と『花の魔法、白のドラゴン』(The Merlin Conspiracy)の二部作、それに『バウンダーズ』といった、ジョーンズの描く多くの作品に見られるものである。
特に『クレストマンシーシリーズ』の多元世界の構造は複雑で、「九つの世界で一系列となる系列世界が、さらに十二存在する」構造になっている。ここには<魔法>の存在する世界、存在しない世界、人魚の住む世界にドラゴンの住む世界、インド風の女神がいる世界に、妖精卿じみた世界、原始的な世界からSFのように科学が非常に発展している世界まで、種々取り混ぜた世界が存在する。
ジョーンズの描く作品の多くで、これら平行世界はお互いに影響しあっている。例えば、上記のクレストマンシーシリーズの場合、この一つの系列に属す九つの世界には、それぞれに一人ずつ、同じ(ような)人物がいる。『魔女と暮らせば』で詳しく説明されているところによれば、もしその中の一人が他の世界に移動してしまうと、他の八人もそれに引きずられて他の世界へと移動してしまうらしい。
また、この物語の舞台となっている世界と私たちの世界は、一方では魔法が発展し、一方では魔法が完全に廃れていながら、実は同じ系列の世界に属しているとされる。これらの世界は、大きな自然要因や歴史的事件の結果が異なったために系列や世界が分離したにすぎないということになっているのだ。

こういった世界の仕組みからは、これら様々なファンタジー文学に登場する世界の全てを、ジョーンズは分離していないし、交錯したものだと考えていることが分かる。

異世界から見る現実世界

さて、二つ目に挙げられるのは、世界間の構造というより物語を進める視点に注目したものだ。
普通、<ゆきて帰りし物語>は「現実世界の住民が、主人公として異世界へ踏み込む」構造になっている。また<ドラえもん型>なら「異世界の住民が、(現実世界の主人公を助ける)脇役として、現実世界へ踏み込む」構造になっているものだ。しかし、ジョーンズのいくつかの作品に見られるのは「異世界の住民が、主人公として現実世界へ踏み込んでくる」物語構造である。

例えば、『呪われた首環の物語』の主人公の住む世界には、主人公たち人間、巨人、それから水中に棲む人々が存在している。しかし私たちはこの物語を読み進むうちに、巨人だと思っていた者達が、実は私たちの解釈する人間だったことに気がつく。
『星空から来た犬』では異界の存在である主人公が、私たちの世界の犬の中に閉じ込められているし、『魔法使いハウルと火の悪魔』であれば、主人公のソフィー(異界の住民)が魔法の空間を通り抜け、ハウルの故郷としてお邪魔するのが、私たちの世界だ。
またここで、『魔法使いハウルと火の悪魔』という物語をハウルの立場からとらえると、「現実世界の住民が、脇役として舞台とされた異世界に入り込む」ことになる。このような構造もジョーンズ作品のいくつかに見られるものだ。
『ダークホルムの闇の君』では、異世界の主人公たちがツアー客として現実世界の住民を受け入れている。先程の『魔女と暮らせば』で、他の世界へ移動したグウェンダリン(主人公の姉)に引きずられて舞台となる世界へ入り込んでくるのは、私たちの世界の女の子である。

この、<異世界>側から<現実世界>を見る異色の発想については、

ジョーンズ自身が子ども時代、戦争のためにいくつもの疎開先を転々としたことから、アウトサイダーとして世界を見るようになった

「ダイアナ-ウィン-ジョーンズのファンタジー」
ファンタジー研究会(編)、『魔法のファンタジー』
てらいんく、2003

との意見も述べられている。しかし、ここで作品だけに目を向けて確かに言えるのは、やはり<魔法世界>と<現実世界>の間の垣根が非常に低いということなのだ。
私たちが<魔法世界>や<異世界>としているところに住む者にも、<現実世界>に住む者と同様に主人公になる資格があるし、逆に<現実世界>に住む者も脇役になる可能性がある。こういった世界の捉え方は<魔法世界>と<現実世界>の境界を、更に曖昧にするものだと言えるだろう。

6.ジョーンズの世界感から言えること

「ドラえもん型」との比較からは、大人になっても<魔法>や<想像力>を持っている方が良いというジョーンズの考えが分かった。
「ゆきて帰りし型」や「ハイ・ファンタジー型」との比較からは、<現実>と<魔法>の違いは実はほんの少しの差でしかなく、伝承や神話も本当は<現実>につながっていること、だからファンタジーも<現実>にしっかりとつながっているはずだというジョーンズの考え方が感じられた。
そして最後の「型破り」な彼女の作品構造からは、<魔法世界>、<現実世界>、そしてファンタジー文学に登場する全ての世界、そこに暮らす全ての人々にとって、世界間に壁や枠を作ることを好まないことが見てとれたと思う。
もはやここで設定した<現実世界>を、果たして他の世界と比べて<現実>と位置づけても良いものなのか私は勘ぐりたくなるほどだ。
ジョーンズの作品には、その舞台が<魔法世界>なのか<現実世界>なのか、登場人物が<魔法世界の住人>なのか<現実世界の住人>なのか、などという区別は成り立たない。その間の枠を取り払い、その両方に、先の章で散々述べたような<現実的>な出来事を当てはめてしまうのが、ジョーンズ流なのだ。

【次から新章! 時間について】

【最近はファンタジーよりSF作品を読むことが多いので、ジョーンズの物語構造ってすごくSF的だなと感じています。多元世界は今で言うマルチバースだし、物語の転倒のさせ方もSFっぽいんですよね。そもそもジョーンズはジャンル分け自体をを好まなかった(分野に関係なく書けるので児童文学を好んだという話もあったと思う)ようなので、SF的な手法も普通に使っていたのかな】


 

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