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『旧市町村日誌』 60 一か月間 文・写真 仁科勝介(かつお)
1月9日(木)
明日の診察で右足のギブスが外れる確率は、70%ぐらいだろうか。カブで転倒してしまって、骨にヒビが入ってから一か月である。もし、明日でギブスが外れなかったら、もちろん少しは残念だけれど、内心はどのような結果でも前向きな気持ちでいられる気がする。
旅を早く再開したくないのか? と言われたら、そりゃ、早く再開したいに決まっている。寒いのが嫌なのか? と言われたら、寒いのは嫌だけれどそれも含めて旅である。
ただ、この怪我の一か月間があって良かったかといえば、明らかに怪我をした一か月間があって良かった。そうとしか思えない。と、日に日に思うようになったのはなぜだろう、と考えている。
たとえば実家で両親や兄と過ごす安心感も、ギブスの歩きづらさも、体が健康であることのありがたさも、しみじみと感じた。最近の5年間で、たぶんいちばん長く実家で過ごしている。自分の反抗期も無くなって、家族とふつうに穏やかに過ごす時間はとにかくありがたくうれしい。
肉体の疲労も、すっかり無くなった。旅が続いていた最中、すなわち1年と8か月間は、体が鉛のようであった。一度もその疲労が完全に抜けた感覚もなかった。「もう、この体の疲労はどうやっても取れないんじゃないのか?」と思っていたけれど、一か月休んでいる間に、そんな疲労もいつの間にか抜けてしまった。これは、どれだけそのときの「今」がしんどくても、あとから振り返れば大丈夫だぜ、ということである。もちろん、無理のない範囲で。
そして、やっぱり良かったのは精神面だ。人と会ったり、ゆっくり落ち着いて考えることが増えたり、きっと理由はいろいろあるけれど、「あっ、旅が止まった理由は、このことに気づくためじゃないかなあ?」みたいなことが、いくつもあった。あまり、“意味偏重”じゃない方がいいよと、谷川俊太郎さんがかつてコメントしていたのも覚えているし、ぼくも今回の怪我に対して、最初から意味を持とうとしていたわけではない。だから、怪我に対しては多少の切なさは持ちながらも、「はーい」という感じで自然に受け入れていた。
でも、一か月ほど過ごしていく中で、心境に変化があったのは紛れもない事実だ。きっかけは些細なことの積み重ねじゃないかなぁ? 今はまだ、うまく言葉にできないけれど、「怪我をしないまま旅を続けている自分」と、「怪我をして旅を休んでいる自分」の、表面ではなく、内面を比べてみたら、明らかに後者、つまり今の自分の方が、シンプルに好きなのである。どこが? という話だが、より明るくなったというか、よりポジティブになったというか。怪我をしたのに? 不思議なものである。
と、そういうことをいろいろと考えてみて、今ようやく分かったかもしれないのは、この一か月間、失敗もいっぱいあったんだよなあということである。人と会ったときや、旅をゆっくり振り返るときに、反省しなきゃなあ、と思う瞬間がすごく多かった。旅の最中で気づけていたら良かったのに、と。でも、たっぷりと時間があったことで気づけたことがあったはずで、何より、気づきが増えて、まだ旅が終わらないことがとてもうれしくありがたい。やっぱり、失敗と反省は、ダサくてカッコ悪いかもしれないけれど、ありたい自分への近道だ。
なので、怪我をしてしまったことはもちろん反省のひとつだけれど、怪我による功名もたくさんあったと思う。
残りの旅の期間、フレッシュな気持ちで、悔いなく進もう。
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仁科勝介(かつお)
1996年生まれ、岡山県倉敷市出身。広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。
2023年4月から旧市町村一周の旅に出る。
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