創作するなかで見つけたものは
創作は嘘。という認識が嫌いでした。
けれど、リアルを意識すればするほど、創作しかできないのを実感していたのは、少し前のこと。
今はどうかと言われたら、創作したものだから伝えられること・伝えてもいいことがあるのかもしれないと、少し勇気をもらっています。
親の話や上司の話は、経験に基づいた的確なアドバイスであることが多いと思います。
それがとてもリアルで、愛情深いものであることも。
けれど、好きな曲のワンフレーズや、ドラマの主人公の台詞・想像の世界からの言葉の方が、時には素直に耳を傾けられるのは、何故でしょう?
遠い家族との思い出よりも、幼い頃に見ていたアニメのシーンのことをよく覚えていたり。勇気を出して告白してくれた人の言葉より、ドラマのセリフに想いを馳せたり。
触れるものは、現実と創作物が半々くらいの方が、心も生活も豊かになるのかもしれません。
創作物は、解釈がとても曖昧なものです。その曖昧さが許されるということは、心に余白を持つということにつながるのでは?と感じています。
その余白が多い方が、受け入れられる部分も多いのかもしれません。
モノを作る人は、ペテン師です。
ないモノをあるように見せたり。人を殴っているシーンを書いて、読み手に痛いと感じさせたり
見る人は、それをエンターテイメントとして楽しみながら、どこか自分と重ねたり、いつのまにか、その世界に入り込んで涙したりします。
だけど、その涙が偽物かというと、そうではない。
余白のなかで遊んでいるうちに、自分自身を見つけてしまって、ココロが反応する。
そのスキマを作るのが、創作をする人間の仕事なのかもしれません。
『隙間がたくさんあるね。』
先日、個展を終えたのですが、そのときにお客様からいただいた言葉です。とても嬉しかった。
創作には正解がないけれど、正解がないからこそ感じてもらえる。そんな小さなココロの劇場として、絵を描いていこうと思います。
こちらは、旅立ちが決まった絵。
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