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心の図像-龍と唐獅子-

獅子舞が好きだ。龍が好きだ。

目を向いているかと思えば、どこかユーモラス。人が心を寄せ続けてきた、大陸からやってきた空想の生物たちが好きだった。それは今も変わらない。


幼い頃「あんたは本当に、獅子舞が好きやねぇ」と言われていました。

あの、カンカラカンカラという鐘の音と、バサバサと舞う衣、カタカタと動く顎。ずっと見ていられました。

原始的な世界では、図像一つ一つに意味があるとされることを知りました。そういうものへの好奇心が最も高まったのは、高校時代です。

人の心ー記憶には、自然からもたらされた模様や、空想上の動物が刻まれており、どこかそういうものとともに生きているのだと、課題制作の途上で刺青やチベットタンカについて調べるうちに感じるようになりました。

龍を描くのは好きです。描くのが楽で楽しい。多分、一番性質が似ているのだと思います。

けれど同時に、嫌いでもある。

龍に、変な期待を寄せる風潮があるからです。

昔は、どうにもならないことが多かったはず。薬も医者もない時代に、子供が病気になったり、合戦に行く夫を見送ったり。

そういうときに人が祈る気持ちは、純粋で今より強いものだっただろうし、心の中にある図像と人々の暮らし・祈りのようなものが、もっと今よりも結びついていたのではないかと思います。

今の時代にも同じように祈る方はいらっしゃると思いますし、そういうことを指しているわけではありません。暮らしの安寧を願うこと・健やかであるようにと願うこととはかけ離れたところで、龍に何かを(欲を)押し付けようとする風潮が、わたしには何処か心地が悪く。

それよりも、この生き物を見てよ。純粋に綺麗な、この生き物を見て。この子達が渡ってきた道のり・歴史を見て。

そんな気持ちの方が、強い。

わたしにとっては、龍も唐獅子も、そして仏様も、ただただ美しく静かで・圧倒的で・激しくて、カッコいいもの。大切な記憶の一部。彼らを形として残す技術を持っていた人たちが、生きた証。

難しいことなんか、一切わからないけれど。

だからこそ、難しいことを抜きに、いい絵かそうじゃないかで見てほしいし、そういう見方をしてくれる人のところに、描いた龍や獅子を連れていける人間になりたい。

だって、願いを叶えてくれるから愛するなんて、変じゃないですか。共に暮らし、共に生きる。だからこそ成り立つ関係のなかで、好きなものにのびのびとしていてほしいから。


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