回復期に有益なものとしてのアートの立ち位置
何も考えたくない一人の夜に出会いたい、静かな世界をテーマに作品を作り出してからのこと
PTSDの回復期や、ハーム・リダクションについて知るようになりました。
私は専門家ではないので知識もありませんし、これらについての是非や治療については、言及することはありません。ただ
何か不調になったとき・自分の抱えられるキャパシティをオーバーした状態になったとき。回復に向かう過程で必要なのは、その人の尊厳が守られた状態と、安全で衛生的な環境である。
これについては、私が作品を通して提供したいものと共通しているため、人が人としてあるために必要なことを知る一環として、情報に出会った時は目を通すようにしています。
絶望に対して耐性のない若い頃は、何かがあれば「もうダメだ」と判断することが多かったように思います。しかし、ある程度の年月を経ると、絶望してもいつかは立ち直ることができる・立ち直れなくとも、それまでとは違った生き方を見つけることが出来ると理解するようになりました。
大切なのは、この絶望から回復にいたるまでの時間をどのように過ごすのか?ということで
私にとって、その最初の選択は鉱物でしたし、次は生き物。今は、人が世に残した作品に触れることでした。
回復までのプロセスには、多様性があると思います。その人の生まれた環境・好むもの・経済状況や周りの関係性によって、頼れるものが限られるということもあると思います。
アートは薬剤や治療のような働きをすることはありませんし、アーティストはカウンセラーにはなれません。人の命がかかっていることに対して、専門的な知識がない状態で、作品は作品であり、作家の仕事はモノを作ること…それ以上の働きかけをするべきではないと思っています。
しかし、人間には五感があり、五感から安らぎを取り入れることが出来るなら。音楽や映像を含むアートは、医療にはならないけれど、心の在り方を否定しない時間を過ごす上での、有益な一つの可能性として、触れることを選んでみることが認められる社会になってほしいなと考えています。
あくまで、正統なカウンセリングや治療を受けるまで・経済的な状況が整うまで・そこから回復していくまでの繋ぎです。
けれど、薬物におけるハーム・リダクションのように、生命を繋ぐことを優先事項とするならば
心の衛生を保ち、回復する助けとなってくれた創作の世界が持つ可能性を大切にしていきたいと思います。
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