あいかわ双子は恋が下手 前編
一年一組、出席番号。
一番、相河朱里(あいかわ・あかり)。
二番、合川秋生(あいかわ・あきお)。
三番、相河旭(あいかわ・あさひ)。
この、日本の教育現場において最もポピュラーであろう五十音順というルールによって、双子の姉弟に挟まれる形になり、「双子じゃ無い方のあいかわ」と呼ばれる高校生活が始まったのは、約三ヶ月前の事。
お笑いコンビの目立たない方を「じゃ無い方芸人」なんて言って虚仮にする事から察して欲しいが、相河達の方は双子の中でも珍しい男女の双子というだけでは無く、帰国子女でコミュ力も高く見た目も良いという華々しい存在で、片や俺の方はと言うと、中学時代は半不登校だったレベルのコミュ障で、ニキビ面のヒョロガリ眼鏡という外見からも分かるくらいの堂々たる陰キャだ。
そんな俺にとっての相河達は、正しく陰と陽くらいかけ離れた存在なのに、入学初日に出席番号順に割り振られた席に座ったその日から奇跡的に親しくなってしまった。
思い起こせば、第一印象は最悪だった。
高校入学初日の教室。若干の照れを発しながらも早速の交流を図り合うクラスメイト達を尻目に、コミュニケーション能力に難しかない俺は、五十音順に名前の貼られた席に黙って着席し、先程の入学式で紹介されたハゲた担任の出現を待っていた。
合川秋生という、九割が『あ行』と『か行』で構成されているこの名前のせいでトップバッターになる事には慣れっこな人生だったが、目の前の席にはサラッサラの綺麗な黒髪ショートボブ女子の、白く華奢なうなじがあった。
そして、その出席番号一番のサラッサラの女子の席には、その机の前に立って話しかけている、新入生のくせに制服のボタンを胸元まで開けて着崩しているチャラッチャラの男子が居た。
チャラ男の耳には、ピアスの穴が空いている。この高校は、決して偏差値は低くは無い。中学時代、成績は良い方だったが不登校のせいで内申点が悪かった俺は、そこそこ苦労して合格を勝ち取った。なのに、なぜこんなのがここに居るのか。
聞くとも無しに耳に入ってくる会話によると、チャラッチャラの男子は、サラッサラの女子を「あかり」と呼び捨てで呼んでいるようだった。しかも、サラッサラの女子の方も、白くて華奢なうなじをしているくせに、その上何だか良い匂いを発しているというのにも関わらず、チャラッチャラ男子の事を「あさひ」と呼び捨てているようだ。
カップルで同じ高校を受験するような、脳内お花畑な連中なのだろう。大体、女子が男を呼び捨てにしていいのは、実の弟くらいのものだと相場が決まっている。どこの相場かというと俺の相場だが、実にけしからん。
俺は、このサラッサラの女子と一言も口を利かないまま、いや、顔すら知らないまま、ビッチという烙印を押した。どうせ、化粧臭いギャルだろう。正直怖い。どうか、この一年間絡む事がありませんように。
それから俺はハゲの担任が教室に入ってくるまでの孤独な時間を、そのチャラッチャラの男子とサラッサラの女子に対して「イチャイチャするな〇ね!!」と心の中で呪う作業に費やした。しかも、ようくハゲが教室に現れ、浮き足立っていたクラスメイト達が散り散りに自分の席に戻り始めると、何とチャラ男は俺の背後の席に座りやがったのだ。最悪だ。カップルに挟まれるなんて、これは何て名前の地獄なんだよ。〇ね!〇んでくれ!!
しかし、その後ハゲによって行われたお決まりの自己紹介により、俺の中の二人の印象は一転どころか二転三転したのだった。
名前と出身中学、それから趣味。ハゲが指示したのは、オーソドックスな自己紹介の内容だった。そしてそれらを出席番号順で言っていくように促されると、出席番号一番のイチャイチャカップルの女子は「はーい!」と軽快に口を開き、教室全体を見渡すように半身を翻し、クラスメイト達にぱっと顔を向けた。
普通、俺達くらいの年頃の自己紹介なんて、教壇に向かってボソボソと一つ二つ口を開いてお終いだ。特に入学初日なんて、お互いの腹の探り合いに必死で教室の空気も定まっていない。変に目立てば痛いヤツというレッテルを貼られかねないし、事無かれ主義が一番に決まっている。
教室中が注目した。それはその行動に驚いただけでは無く、皆に向き直っている顔が可愛いかったからというのも大きな理由の一つだった。俺の予想に反してギャルっぽさとは駆け離れた、くりくりとした大きな瞳が印象的な、まるで『美形の小学生』というような、小柄の童顔で貧乳の美少女だった。
そして美少女が口を開くと、皆の視線は一層その子に釘付けになった。
「相河朱里です。んん…中学は…AustraliaのMelbourneにあるHuntingtower Schoolです。」
ネイティブよろしくのその発音でなされたあまりに意外な出身中学名を、一体、クラスメイトの何人が聞き取れただろうか。それだけでもお腹いっぱいだったのに、更に続いた趣味の話は皆の首を捻らせた。
「趣味は音楽とー…んん…オシゴト?」
オシゴト?お仕事?いや、そんなはずは無い。そのような英単語は聞いた事は無いが、きっとオーストラリアではメジャーな、何かお洒落な趣味なのだろう。
クラス中があっけに取られていると、皆の心中を察したようにハゲの担任が補足をした。
「相河は帰国子女枠での入学だ。日本で生活するのは六年ぶりらしいから、分からない事も多いだろう。皆、親切にしてやってくれよ。それから、このクラスには相河の双子の弟も一緒でーーーーー。」
ハゲの言葉に呼応するように、クラス中の視線が美少女の後ろ、つまり出席番号二番の俺を刺した。
まさかお前がこの美少女と双子なのか、いやそんなわけは無い、違うと言ってくれと、驚愕と落胆と怒りの入り混じった、弱冠十五歳が浴びるにはあまりに無慈悲な残酷すぎる剥き出しの本音が聞こえてくる。それは、クラス全体が無言なのに何を言いたいかが手に取るように分かるという奇跡体験だった。
「ち…違う違う!!」
思わずかぶりを振った俺をかばうように、後ろの席のチャラ男がさっと立ち上がった。
「はーい!あかりの双子の弟の、相河旭です。趣味はサーフィンとピアノ。あと、女の子をPick upする事!!」
チャラ男の言葉に、双子の姉の美少女が一人で笑った。Pick upがナンパの事だと言うのは、後に二人から聞いた。つまり、ジョークを言ったが通じなかったのだ。
けれど、それが寒いジョークだろうと、言葉が通じなかろうと、二人を白い目で見るヤツは居なかった。そこそこに受験戦争を勝ち抜いた真面目ちゃん達が通うこの学校に、この圧倒的強キャラ達をからかったり楯突くような人材が居るはずも無い。
そして二人は、ものの数分でクラスの人気者になったこの双子に埋もれてどうやって自分の自己紹介を切り出していいか分からず地蔵と化していた俺を、「じゃあ次は君!」と、左右から肩を叩いて起立させた。
勘弁してくれ、うざい。いや違う、お前達は悪く無いんだ。きっと良いヤツなんだろう。女子に触れられるなんて、幼稚園の年長さんぶりだし。ただ、俺にはお前達は眩しすぎるんだ。くそったれ!〇ね!〇ね!そう、俺なんか〇んじまえ!!
そんな俺のいじけまくった心中など相河達が知る由も無く、それから一ヶ月は席替えも無かった事から二人に挟まれて会話に巻き込まれる事が日常となり、なし崩し的に三人で行動する事が増え、気が付けば俺は、あっという間に学校一の有名人になっていた相河双子の付属品、「双子じゃ無い方のあいかわ」になっていた。
・・・・・
「あー今日も先輩は尊い…。」
渡り廊下の窓からオペラグラスで校庭を覗き込みつつ、相河朱里がうっとりとした声で呟いた。
この、ライブや観劇用の小型の双眼鏡は、相河朱里の必需品。そしてそのレンズ越しに見ているのは、登校中の二年男子、山口先輩だ。俺はそんなに親しくはないけれど、糸目で中肉中背という地味な外見をした穏やかな雰囲気をまとった人で、成績は二年生の中でトップらしい。
相河朱里が何をしているのかというと、見ての通りストーカーをしている。そんなに好きなら告白すればいい、平凡な男子高校生相手ならこの美少女の恋は簡単に実るだろうと言いたくなるところだが、何と相河朱里と山口先輩は既に付き合っているのだった。
出会いは去年の事、高校の入学希望者に向けた学校見学の開催日にまだ海外に居た相河達は、別日程で見学に訪れたらしい。その時に生徒会役員として校内の案内を手伝ったのが、秀才の山口先輩だったそうだ。
一目惚れ、だったらしい。
この話を聞いた第三者は、山口先輩が相河朱里に一目惚れしたと勘違いをする。しかし実際は、この貧乳美少女・相河朱里の方が、平々凡々な山口先輩に一目惚れしたと言うのだ。
頭が良い男子が好きという打算的な女子は一定数存在するが、相河朱里にとっての先輩の魅力はそこでは無く…いや、正確に言えば、好きになった後に秀才だと知った時は「頭もいいなんて素敵!」となったらしいが、とにかく、なぜか先輩のどこにでも居るような十人並みの凡庸な容姿がど真ん中ストライクだったそうだ。
そして入学後、一方的に先輩をストーキングしていた相河朱里だったが、つい一月前の事、学校生活にも慣れ初めた五月の終わり、学生食堂の扉を開けた瞬間、至近距離に山口先輩の姿があった。
不意打ちを食らって動揺が最高潮に達した相河朱里は、「好きです!」と火の玉ストレートを投げた。山口先輩は顔を真っ赤にして照れつつ、しかし穏やかな表情で「ありがとう、僕も好きです」と答え、二人の噂はあっという間に広まり、校内公認のカップルになったのだ。
しかしそれは、相河朱里にとっては想定外の展開だったらしい。
「そんなつもりじゃ無かった」とごちる双子の姉に、相河旭がどういう事かと話を聞くと、「見てるだけで幸せなのに」「付き合うとか恐れ多い」「私は先輩を推したかっただけ」と、常人には理解しがたい言葉が次々と口を突いて出てきた。
どうやら相河朱里は日本を離れていた六年間、偏りまくった日本カルチャーばかりネットで吸収し、間違ったオタク気質に成長してしまったらしい。つまり、『推し事』が趣味であり、山口先輩はその対象なのだと言う。
そして、双子の姉のとち狂った話を黙って聞き終えた相河旭は、海外ドラマでよくあるシーンのように、心の底から家族を思いやっているような優しげな眼差しを浮かべて姉の両肩に手を乗せると、実に真面目な口調でこう言った。
「落ち着いて、朱里。とりあえず、先輩と一回寝てみるのはどうだろう?俺は、女の子への気持ちを確かめる時はそうするんだ。」
「旭…でも私は性行為の経験が無いし、それに山口先輩に生殖器なんて無いと思うんだけど、この場合はどうしたらいい?」
コミュ強の帰国子女で、美形の双子姉弟。陰キャの俺とも分け隔て無く仲良くしてくれる、気さくな人気者。しかしその実態は、ストーカー気質のオタクと、下半身で物を考えるある意味健全な青少年、つまり、阿呆だったのだ。
そうして、気が付けば俺は、この高スペック双子に気後れする事も無くなり、三人一緒に居る時に投げかけられる「どうしてお前みたいなのがこの二人と居るんだ」という視線も、「じゃない方」という呼ばれ方も、それ程気にならなくなっていった。
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