だけど願いはかなわない 序章「嘘」
僕の好きな人は、僕が誘えば大体会ってくれる。
僕とご飯を食べてくれるし、他愛の無い会話で笑い合えるし、人が居ない所でなら手も繋いでくれる。
僕がキスをするとキスを返してくれるし、僕の腕の中で嬌声を上げるし、僕を沢山求めてくれる。
けれど、僕の好きな人は僕の恋人では無い。
きっと、これからも僕の恋人になってくれる事は無いし、僕のこの気持ちに応えてくれる事も無いのだと思う。
ーーーーー 僕は、僕の好きな人に嘘をついている。
軽い気持ちだった。
ネットでの出会い、とりわけアダルト系のアプリを介しての男女の関係なんて、嘘で包み隠している事が大前提だろう。身を守るためというのもあるし、現実と違った自分を演じる事で開放感を得たいという願望を抱く人間も多いはずだ。
僕が年齢を偽ったのは、彼女の書き込みとプロフィールに強く惹かれたものの、彼女が相手の男性に希望する年齢の上限が僕の実年齢より四つ下だった事。それから、彼女の事を抜きにしても、切実な程のぬくもり不足と、できる事なら四年前の自分に戻りたいという現実逃避からだった。
幸いと言って良いのかは分らないが、若く見られる事には自信があった。それに、顔を合わせるのはどうせ夜、それもひとときの関係だ。簡単には分かりはしないだろう、と。
そうして、三十六歳の僕は三十二歳と偽った。
連絡を取った彼女は、多数あったらしい申し込みの中から僕を選び、僕達は会う事になった。その日のうちにというワケでは無かったが、結果として『そういう関係』になったのだ。
最大の誤算は、僕がすっかり本気になってしまった事だった。
プロフィールを目にした時から感じてはいたが、彼女はこういった場で出会う女性のイメージからかけ離れていた。どこか凜とした雰囲気をまとった見た目とは裏腹に、彼女の中身はあまりに無防備で愛らしいほどに初々しく、そして僕好みの甘え上手で、一気に心を掴まれた。
一夜限りの関係どころか、身体抜きでもただ会いたいと願った。嘘をついている事を打ち明けられないままズルズルと連絡を取り、返信に一喜一憂し、会えない時にも彼女を想う。
分かってる。全ては自業自得だ。けれど、真実を伝える事で彼女を失うかもしれないと思うと、どうしようもなく苦しい。
残り二十分を切った、『休憩時間』。
ここを出れば、またしばらく会えない日が続く。そもそも、彼女がいつまで僕とこうして会ってくれるのかも分らない。
一気に切ない気持ちになり、僕の腕の中でこちらに背中を向けて横になっている首筋に唇を充てた。白い身体と黒髪が一瞬小刻みに跳ね、「もー」と笑いながら反転し、こちらを向く。
「まだしたいの?ハルキ君ってば、顔に似合わずタフだよね。」
彼女は笑ってそう言うと、手のひらで僕の胸を押して拒否の構えを取った。僕は押されたまま、力技で彼女をぎゅっと抱きしめる。
「しなくていいから… いちゃいちゃしながら話がしたい。」
「何、それ。もしかして寂しいの?」
「うん… そう。寂しいから、スミちゃんともっと話したい。」
僕を押す手から、力が抜けた。僕も腕を緩めて彼女を解放し、改めて腕枕の姿勢になる。
「うーん… お話かぁ…… そう言えば私、ハルキ君に聞きたい事があった。」
そう言う彼女の視線は、天井の間接照明の薄明かりに向けられている。僕は、彼女の端正な横顔を見つめながら相づちを打った。
「うん… ?何?」
天井に向けられたままの横顔が、黒目だけで僕を捕らえーーーーー 言った。
「ホントはいくつなの?」
一瞬で冷や汗が吹き出した。心臓が激しく脈を打ち、イタズラが見付かった子どものように視線が泳ぐ。
言い訳をするべきか、いや、まずは真剣に謝って… ああ、どうしよう、どうしたら… 。
きっと、今の僕の顔は絵に描いたように真っ青なのだろう。そんな僕の様子を眺めていた彼女の口元に笑みが浮かんだ。
「ハルキ君、嘘つくの下手過ぎ。」
そう言いながら吹き出す彼女を見て、張り詰めていた気持ちが少し緩んだ。どうやら、怒ってはいないらしい。
「… どうしてバレたの?僕、大体若く見られるんだけど… 。」
まだ落ち着かない胸の鼓動をなだめながら、おそるおそる質問をした。
「うん、パッと見は若いと思う。童顔だし、身体も引き締まってるし。でも、私より一つだけ歳上ってずっと言い張るのは無理があるよ。肌の感じとか。それに、本当に三十二歳ならありえない事、沢山言うんだもの。大学生の時に映画館で観た映画の話とか。」
そこまで言ってから彼女は上体を起こし、「そろそろ服着なきゃ」と、バスローブ姿でベッドから降りた。行き先は、ドアの無い脱衣所。すりガラスの壁越しに、彼女が服を着ていく様子がぼんやりと見える。
僕はそれを眺めながら、自分の肌が三十代前半では通用しない事に地味にショックを覚えると同時、年齢を偽っていた件で彼女に嫌われずに済んだらしいと深く安堵した。
「ところで、私に何か言う事は無い?」
不意に飛んできた質問に、再度心臓が跳ねた。
「言う事… って、今の話以外に… ?え… ?」
質問に質問で返す僕に、すりガラスの向こう側からひょっこりと見えた顔が言った。
「ゴメンナサイは無いの?だって私、嘘つかれてたのに。それに、本当の年齢もまだ教えてもらってないもん。」
「あ… うん、ゴメン!スミちゃんに嫌われるのが怖くて、言い出せなくなってました。ここまで仲良くなれるなんて思って無かったし… いつかは言わなきゃって考えてはいたんだけど… とにかく、すみませんでした!」
「本当の年齢は?」
「あ… 三十… 六…… 。」
「四つもごまかしてたの?うふふ、結構サバ読んだね。じゃあ、本当は私の五つ上なんだ。」
そう言いながらベッドサイドに戻ってきた彼女は、すっかり着替え終わっていた。僕は彼女の横に立ち、深々と頭を下げる。
「本当にごめん!」
彼女は僕の頭頂部に軽くチョップを食らわせて、「今度美味しいモノ奢ってね」といたずらっ子っぽく笑った。
僕は焼き肉でもお寿司でも何でも奢ると言ってから彼女を抱きしめて、「ごめん」と「ありがとう」を繰り返した。
・・・・・
飲み屋街の本通りから逸れ、坂を進んだ先の小さな路地。その更に裏手に建つ、築四十年超えの単身者用木造二階建てアパート。
取り急ぎ決めたこの仮の住まいでの暮らしは、二年目に突入してしまった。
外付けの階段は深夜になると足音が響き、クレームの元になる。僕は弾む心を抑えつつ、なるべく足音を消しながら階段を登った。頭の中には、別れ際に僕の頬にキスをしながら「またね」と言ったスミちゃんが浮かんでいる。
今日は良い日だ。年齢を偽っていた事で彼女を傷付けずに済んだし、そして、この不安定で宙ぶらりんな関係において「またね」という言葉は何より嬉しい。
十一月、すっかり肌寒くなった夜の空気に包まれながら、それでも僕の心は温かだった。 ーーーーーしかし、階段を登り切った瞬間、そのぬくもりは一気に消え去ったのだ。
「ずいぶん遅いのね。」
僕の部屋のドアの前、夜の闇に映える白いコートが立っていた。それはとても良く見知った、そして僕が世界で一番顔を合わせたくないと願っている人物だった。
言葉を失い立ち尽くす僕に、相手は話を続ける。
「どうしたの?中に入れてよ。」
狂っている。話は弁護士を通してくれと、何度言っても聞き入れようとしない。最初の頃に比べれば突撃される事はずいぶん減ったが、なぜよりによって今このタイミングなのか。嬉しい気分が台無しだ。
「このまま静かに帰ってくれ。でなきゃ、警察を呼ぶ。」
お決まりのパターンになったセリフを口にしながら、僕はスマホを取り出す。
過去の凶行が次々と頭に浮かび、情けない事に足が震えた。僕は必死にスミちゃんの顔を浮かべながら自分を落ち着かせる。ああ、スミちゃん。君に会いたい。会って、強く抱きしめたい。
けれど、君はどう思うだろうか。
こんな、ただの細身の女性と対峙しているだけで、こんなにも怖れ、身体すら強張ってしまう情けない僕を。
それから、大好きな君にまだ嘘をついている、この最低な僕の事を。
「夫婦なのに冷たいのね。」
白いコートの女が、薄く笑って言った。
つづく
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