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いぬじにはゆるさない 番外編「サマーバケーション」 第五話(全六話)


自営業の父親は難病を患ってから仕事をかなり縮小し、パートとして看護師をしていた母親が夜勤のある部署の正社員に代わった。貧しくなったという程では無かったが家のローンがまだ残っていたし、母親が家を空ける事が増えたのでそういう意味でも生活は一変した。

大学のレベルを落としたおかげで学業で手を焼くことは全く無く、俺は家事も手伝いながらバイトをしまくった。

「もうこれ以上お金の心配はしなくていい」と、行きたかった大学を諦めた俺に両親は申し訳無そうに言った。そして実際、家に金を入れようとしても頑(がん)として受け取ってもらえなかった。

けれど働くのは嫌いじゃ無かったので、タダになった学費以外の部分は全部自分で稼いだ。例えば教科書代や昼食代、自動車学校の入学金、原付の購入費用、家の車を使用する際のガソリン代、それから、「サッカーチームのユニフォームが小さくなってきた」「友達の間で流行っているゲームが欲しい」と言い出せないで居る弟妹(ていまい)達が、惨めな思いをせずに済むためのお金も。何かを我慢するのは俺だけで充分だと思ったからだ。

ただ、母親の不在が多くなると、弟はともかくとして、妹の事は金銭だけではカバー不可能な部分が出てくる。

あれは去年の夏。小六の妹が友達と夏祭りに行くのに自分だけ浴衣が無いという話で、ちょうど誕生日が近かったので買ってやると言うと、心底嬉しそうに「お兄ちゃんに選んでもらってプレゼントされたい!」と返され、恥ずかしさを我慢しながら一人でイオンの浴衣売り場に出向いた。

女の子の浴衣なんて俺が詳しいワケも無く、俺が選んだそれは誰にでも簡単に着ることが出来るいわゆるワンタッチの商品では無く、キチンとした着付けが必要な普通の浴衣だった。

祭りの当日プレゼントし、いざ浴衣を着ようとして半泣きになった妹への申し訳なさと勢いで、俺はあいつならもしやと思い当たって連絡を取った。その頃のあいつには仲の良い彼氏が居る時期だったので、デート中だと言われるかもしれないなと怯えつつコールを鳴らし事情を説明すると、あっさりと「今すぐ行く!」と駆けつけてくれた。

そして、「“ブンコムスビカイチモンジクライ”しか出来無いけど」と謎の呪文を言い、あっという間に妹を浴衣姿に仕上げてくれたあいつは、自分自身も薄紫色の浴衣姿だった。

近くのコンビニの駐車場で彼氏が待っているらしい。俺が詫(わ)びつつ彼氏を待たせている事を心配すると、あいつはニヤッと笑って冗談口調で言った。

「イイジマ君や、私の彼氏がこんな事で怒るような心の狭い男だと思うかね?」

そうして少し照れたようなその顔は心底幸せそうで、俺は何も言えなくなった。

礼を言うのを忘れていた事に気が付いた時にはもう深夜で、あいつは今頃何をしているのかと下世話な想像が浮かび、その日は結局伝える事が出来なかった。


・・・・・


「兄さん兄さん、良いネタあるよ。聞きたいかい?」

ハイエースから降りるなり一人小走りに消えていった背中を見送っていると、おふざけ全開のシュウイチがインチキ臭い口調で話しかけてきた。

「…何の話だ?」

「隠さなくったって分かりますがな。さっきの電話、気になってんでしょ?いや~、意外だね。イイジマみたいな堅物も、何のかんので人の恋愛が気になりますか~。」

何やら誤解されている様だが、これ幸いにと「…まあ、横に居たからさすがに気になってさ」と、シュウイチの話に乗る。全くもって俺のキャラでは無いので心臓がドギマギした。

どうやら、昨晩のあの立ち聞きの際に俺とタカさんが外に抜け出した後、シュウイチとモンちゃんは引き続き聞き耳を立てていたらしい。「誰か意見が変わって、俺に一票くらい入れてくれんかな~と思って」と、黒ブチのフレームの奥で遠い目をするシュウイチ。

あれから女性陣の話の流れはそれぞれの恋愛事情になり、襖の隙間から漏れ出てきた会話によると、どうやらあいつは最近知り合った警察官と食事に行く仲らしい。

「へ~…そうなのか…。」

ショックを隠しながら何とか相づちを打つ俺に、「あとハナちゃんは元彼に未練があるらしいし、チホちゃんの初恋は幼稚園児の頃で何とタカさんだったらしいぜ」と次々に情報を垂れ流すシュウイチを適当にあしらい、俺はハイエースをもう少しだけ奥に停め直すという特に必要の無い作業をしてから一人ハンドルを抱えてうなだれた。



満天の星空の下、静けさと喧噪が同居する夏の夜の海辺。

いくつかのグループが花火を楽しむ姿を遠く近くにまばらに見ながら良さげな場所を決め、俺達もその中の一つになった。

モンちゃんが点けたネズミ花火に、女の子達が「何で一番最初がソレなの~」「あはは、コッチに来た!!」と、はしゃぐ。

打ち上げ式花火に次々と火を点ける野郎共。お互いの手持ち花火で点火のリレーをする女の子達。タカさんはあれから開き直ったようにチホちゃんにべったりで、花火の間も手取り足取り世話を焼いている。「恥ずかしいからやめて」と言うチホちゃんも、何のかんの嬉しそうだ。

その全てに対して上の空の俺は、少し離れた位置で砂浜に腰掛け、皆が次々と手にする花火の明かり越し、紺色に紫陽花(あじさい)柄の浴衣姿を見ていた。海だというのに水着を用意せずに浴衣は持参するとは、未だにあいつの思考回路には驚かされる。

しばらくして目が合った。ずっと見ていた事を勘付かれたかと動揺していると、あいつは足下にあった未使用の花火の山の前で少し屈み、それから真っ直ぐ俺の方に向かって来た。ついつい焦り、別にする必要も無い言い訳を口走る。

「いや、その、去年着てたのと違う浴衣だなって思って。」

「え?…ああ、あの時ってコレじゃ無かったっけ?ウチ、女系家族だからさ。お姉ちゃんのお下がりとか、自分で買ったやつとか、いっぱいあるよ。」

それにしてもよく覚えてたねと、驚き混じりに記憶力を褒められ、“それはお前が好きだし、浴衣姿が似合ってて可愛かったから”と、心の中で答えた。

あいつは線香花火の束を差し出し、斜め向かいにしゃがみ込んだ。束を解いてから足下に置き、まず自分と俺にそれぞれ一本ずつ用意する。「火、よろしく」と言われ、花火の準備中にロウソクに点火させた時からずっとライターを握ったままだった事に気が付いた。

パチパチと小さく爆(は)ぜる線香花火の明かりは独特の空間を創り出し、まるで周囲から切り離されたかのような錯覚に陥(おちい)る。

「ねー、イイジマ……。話があるんだけど…。」

あいつがそう切り出してきたのは、三本目の線香花火に火を点けた時だった。

「こんな事を男友達に話すのって気不味いし、私としても恥ずかしいけど、茶化さずに聞いて欲しい。」

不意打ち気味に口にされたそのあまりにも意味深なセリフに驚き、目線を花火から上げる。そこにあったのはいつもの呑気(のんき)そうな顔では無く、少しだけ眉間に皺(しわ)を寄せて恥ずかしがっている『女の子の顔』だった。

現実感が無さ過ぎる。これは夢だろうか。そう思う反面、心臓が自分でも分るくらいに高鳴った。

「わ…分った。聞く。」

もうちょっと気の利いたセリフが言いたかったが、やっとそれだけ絞り出した。

お互いの手にある線香花火の明かりはとっくに消えていて、あいつはじっと俺の目を見つめながら続けた。

「実は私…イイジマの…。」

名前を口にされた瞬間、最高潮の速度で心臓が脈打った。しかしそれは、次に出てきた予想外かつ肩透かしの言葉に、反動で息の根が止まるのではないかというくらいの急下降を余儀なくされたのだった。

「…中高の先輩と知り合ってさ。白川さん、知ってるでしょ?警察官の。」

「ーーーは?」

俺は一体、何の話をされているのか。煮えた脳みそを必死に働かせ、質問への答えを返す。

「あー…はい。白川先輩。知ってる…うん。そう言えば警察官になったんだっけ…うん…確かそれも知ってた…。」

白川先輩は俺の水泳部の先輩で、二個上なので接点は深いわけでは無い。

ただ、中高両方一緒だった事もあって、OB会等で顔を合わせる時はわりと話もする仲だ。目立つタイプでは無いが温和な人柄で、そのくせ練習に対してはストイックな姿勢がカッコ良かった。後輩からも慕われていたし、俺自身も好きな先輩の一人だ。「イイジマから見てどんな人?」と問われ、それらの事実を淡々と告げた。

「そっか…えっと…それで、その、ついこの前も一緒にご飯行ったんだけど、あー…二人でちゃんと出かけるのはまだ二回目で。それでですね、その帰りに夜景を見に行ったら、その、不意打ちで…抱き寄せられまして…。」

なぜか途中で敬語になるあたり、あいつからも動揺の色が見て取れた。暗がりで分り辛いが、きっと顔も真っ赤なのだろう。

「真面目そうな人だと思ってたのに、告白とかも無しでそういう事をするのは一体どういうつもりなのかなーって…。」

話を聞きながら、本当にふと、以前付き合っていた彼女の言葉を思い出した。

一つ年上のその彼女は綺麗な人で、最初は淡々とした性格の大人っぽいタイプだと思っていた。けれど、段々と俺を束縛するようになり、最後に泣きながらこう言われたのだ。「イイジマ君の事を好きになり過ぎて辛い、上手くいかないからもう離れたい」と。

その時は全くもって意味が分らず、ただただ女心の不可解さに首をひねったものだが、今なら何となく理解出来る。きっと俺は、こいつを好きになり過ぎている。側に居るといつも平常心で居られないし、必要以上に強く当たってしまう。それは時として、こいつの自尊心を傷付け、良い部分も否定し、萎縮させてしまいかねない勢いで。

自分の心の底の更に裏側、無意識レベルの思考の住処(すみか)に、けれど確信のようにずっと根を張っている、とある思いが浮かぶ。

『両思いになれたとしても、上手くいく自信が無い。』

気が付くと俺は、「白川先輩は信用できる人だと思う」と、笑顔であいつを励ましていた。



「なー、この酒の瓶って、水入れて火消しに撒くのに使っていいか~?」

少し離れた場所からモンちゃんがあいつに声をかけ、二人きりだった空間の膜が剥がれた。

「いーよーーー!!」

あいつが少しオーバーに手を振って返す。冷静になってみると、目の前の浴衣姿の女はどうにも酒臭かった。

「…ちょっと待てよ。民宿出るまでは飲んでなかったろ。誰か花火に酒持って来てたか?…お前、いつの間に飲んだ?」

俺の問いかけに、平然と答えるタレ目。

「あー、さっき、あっちのグループのお兄さん達が飲んでるのを羨ましいなって思って見てたら、余ってたお酒くれた~。」

「はぁ!?知らない男からホイホイ酒もらってんじゃ無ぇよ!!!」

思わず出た怒鳴り声。周りのはしゃぎ声は一気に沈黙に切り替わり、皆が俺達に注視した。

「はぁ~!?何でそんな怒られないといけないワケ?私は子どもか!?」

立ち上がり、ひるまず真っ向から怒鳴り返すあいつ。

「いくら何でも危ないだろうが!もうちょい考えろよ!!」

俺も今回は引けず、言い返した。「心配だからやめて欲しい」と優しく諭せばいいのに、自分を止められなかった。

周囲は険悪なムードに包まれ、後方で花田さんがため息をついている姿と、俺を止めに入るタイミングを伺っているタカさんが見えた。

しかし意外な人物の一言が、張り詰めた空気を一瞬で溶かした。

「喧嘩はしないでくれ。」

それは、普段は寡黙(かもく)なホト森の、低く落ち着いた声だった。

あいつも俺も、ハッとしてホト森を見る。巨体が皆の陰から数歩前に進み、そして言葉が続いた。

「俺達は来年はこうやって過ごせない。お前達が本当は仲が良いのは分ってるから、今日は喧嘩はしないでくれ。」

皆は黙ったままだが、先程までの沈黙とは明らかに意味合いが違っていた。

しんみりとした空気が周りを包む。

ホト森は俺やモンちゃんと大学は違うが、同じ四年生だ。そして、ホト森とモンちゃんは、卒業後は上京する事が決まっている。花田さんの内定先は北海道が本社だし、俺を含む他の数人もどこに配属されるかは分らない。

「う、うわーーーーーん!!!!」

浴衣姿の酔っ払いが、子どもの鳴き真似をしながらホト森に向かって走り出した。それに応じるように、モンちゃんとシュウイチが「ホト森センセー!!」と叫びながら我先にとホト森に抱きつく。

他の皆も口々に「寂しくなるね」「もし遠くに行っても、絶対毎年帰ってきてね」と、それぞれの思いをぶつけ始めた。ホト森が東京で就職する事を知ったヒナコちゃんも、泣き出しそうな顔をしている。

そんな中、チホちゃんが一層真剣な顔でタカさんに言った。

「私、深く考えずに短大に行って准看護師になったでしょ?やっぱり、正看護師になりたいなって。大阪の専門学校に行って、正看護師と保健師の資格取る事を考えてるの。こっちにも学校はあるけど、そこだとウチの病院の系列で、付属の病院で働きながらタダで勉強できるんだ。」

親はお金を出すから近くの学校に行ったらって言うけど、自分の力でやりたい。そう語るチホちゃんに、タカさんは一切の迷い無く返した。

「全然平気。今更過ぎて、何年でも待てる。そういう頑張り屋な所も含めて、好きだよ。」

黄色い歓声が沸いた。山田が指笛を鳴らしながら、自分の彼女のユリさんの肩を抱き寄せている。

気が付くとあいつは俺の横に居て、「イイジマ~ごめん~」と、半泣きで俺のTシャツの裾を引っ張ってきた。もちろん酔っ払っているが故(ゆえ)の行動だろう。


周囲の喧噪を尻目に、俺はあいつを真っ直ぐ見て言った。

自分に言い訳をして逃げるのはもう止めだ。

「二人きりで話したい事がある。後で、散歩に付き合ってくれ。」






つづく

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