いぬじにはゆるさない 第6話「ヘビちゃん(3)」
一度だけ、ヘビちゃんと『そういう雰囲気』をニアミスした事がある。
友人経由でヘビちゃんの退院祝いのお声がかかり、再会を果たした時の事だ。
そろそろ二次会のカラオケにという流れが出来はじめた頃、翌日も仕事だった私は先に一人でおいとまする事にした。
お店の引き戸を開けると、夜特有の澄んだ空気に混じってタバコの煙が私を襲った。
「帰んの?」
店先の喫煙スペースでタバコの煙を吐いていたのは、飲み会の主役であり、数日前まで肺炎で入院していたハズの男だった。
肺を病んだばかりの身体に、煙草が良いわけが無い。いや、そもそも退院から数日しか空けずに飲み会の主役になる時点でおかしい話なのだが。
飲み会の席が離れていた事と、更には前回の花見の際には居なかったショートボブの女の子がずっとヘビちゃんの隣を陣取っており、ロクに会話が出来ずに居た。
その事が心残りなの、半分。
他の女の子とイチャイチャするこの人への興味を失ったの、半分。
多少複雑な心境ではあったが、後者の気持ちが勝っていたためスルーする事にした。
「明日も仕事だから。お大事に~。」
そう言って駅へ向かったが、なぜかヘビちゃんは私を追ってきた。駅からそう遠くないというのに外灯が少ない路地を二人で歩く。
無言のままの左手には、火が点いたままのタバコの明かりがあった。
(なぜ、付いてくる。)(まさかソレ、ポイ捨てするつもりじゃ無いでしょうね?)(コッチに用がある?そんな感じでも無さそうだけど…。)(正直、ちょっと嬉しい気持ちはある。)(でもそれ以上に不気味。)
様々な思いが脳裏をよぎる。
カン!カン!カン!カン!カン!
表通りに出てすぐ、踏切を通りかかったタイミングでけたたましい音が鳴り響き、電車の通過待ちを余儀なくされた。
横並びに立ち止まった彼を見ると、携帯灰皿にタバコを押しつけている。どうやら、ポイ捨てをしない程度の常識は持ち合わせているらしい。
「…主役が抜けていいの?」
「は?何て!?」
カン!カン!カン!カン!カン!
全てをかき消す、警告音。
「飲み会!!一応退院祝いなんでしょ!?」
タバコの残り香に耐えながら少しだけ顔を近付け、声を張る。
大げさに自分の耳に手を充てて、『聞こえない!』というジェスチャーを返すヘビちゃん。
カン!カン!カン!カン!カン!カン…
更にもう少し顔を近付けた瞬間、警告音がたち消えた。
踏切のバーが、ゆっくりと開きはじめる。
打って変わって静寂を取り戻した夜の街。
そのタイミングで、ヘビちゃんの左腕が私の肩を引き寄せた。
しかし、私の脳が『Yes/No』を判断するよりも早く、踏切のバーが完全に上がりきるよりも早く、私の口が何かの言葉を発するよりも早く。
その腕は一瞬で外され、呟くようにヤツは言った。
「いや、アンタはやめとこう。」
この時に言われたこの言葉の真意は、今も分からない。
とりあえずその時の私はからかわれたのだと思い、とっさに睨みつけた。
けれどそこにあったのは、予想していた意地の悪そうな笑顔ではなく、照れ隠しするように視線をそらしてタバコに火を点けている憎めない男の横顔だった。
改めてまじまじと見つめたその横顔が少し赤いのは、てっきりお酒のせいだと思ったが、意外過ぎる事にヘビちゃんは下戸で一滴も飲めないのだと後から知った。
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