あいかわ双子は恋が下手・夏 前編
このお話はこちらの続編です↓
チィチィーと、小さく可愛らしいニイニイ蝉の鳴き声には、我慢が出来た。
ジージジーとやかましいアブラ蝉の鳴き声に、思わず意識が逸れる。
そして、チュイーン・ギリギリギリギリ…という聞き慣れない機械音を放つ虫の音の登場に、クラス委員の鈴木がボソリと呟いた。
「お前っ…本当に虫なのかよ…。」
その言葉に、鈴木の両側で座禅を組んでいた女子二人が吹き出し、釣られて俺も吹き出す。しまった。
そう思ったものの時既に遅く、袈裟姿の山口先輩がまずは元凶である鈴木の肩を白い棒で戒める。パーンと乾いた音が響き、それに続いて山田の両側の女子達が観念したように身体を左に傾け、次々と右肩を打たれた。
最後は、俺。せっかくここまで打たれずに済んだのに、しくじった。座禅が始まる前、この寺の住職である山口先輩の父親がその白い棒は警策という名前だと説明した際、不安がる皆に先輩が「音の印象ほどには痛くないですよ」と言っていたが、それは真っ赤な嘘だった。痛ぇ。
俺の右肩が打たれた直後、住職がカーンと小型の鐘を鳴らした。座禅タイムの終了だ。
足を崩して良いと言われるのとほぼ同時、皆が一斉に足を放り出す。鈴木が両側の女子二人組から「笑わせないでよ」と責められている横で、双子の相河姉弟がまるで能面のような顔で固まっていた。
相河姉弟は帰国子女で、九歳からオーストラリアで育った。日本に居た頃も、通っていたバレエ教室の先生から正座は足の形が悪くなるのでしてはいけないと言われていたらしく、二人とも今までの人生で一度も正座をした事が無いのだという。
その話を聞いた山口先輩が、正座もした事が無いのであればいきなり足を組むのは難しいだろうし、たまに海外の人が来る時は座禅用の座布団の上にただ座る形にする事もあるからそれでもいいよと気を遣ってくれたが、山口先輩の彼女兼ストーカーであり先輩命の相河朱里は、お寺の子である山口先輩に対して良いところを見せたかったらしく、「へっちゃらです!」と颯爽と足を組んだ。双子の姉が漢らしさを見せたからには、弟の相河旭だけがハンディをもらうわけにはいかなかったらしい。
「お前達、大丈夫か?」
二体の能面に声をかけると、二人は無言のままコクコクと首を縦に振った。どうやら大丈夫では無いらしく、蝉の鳴き声が飛び交うこの熱気の中、能面達の顔色は青を通り越して真っ白だ。そんな時でもこの美形双子姉弟の顔はやっぱり綺麗で、それが何だか滑稽で面白かった。
双子の隣から、今時珍しいような二本の長い三つ編みをした眼鏡女子が、どもり混じりに二人を気遣った。
「…あ、ひ、ひ、膝裏を、ま、マッサージすると、な、な、治りやすいですよ…。」
この人は、二年生の我孫子先輩だ。山口先輩とは生徒会の役員仲間らしい。そして、未だに信じられないのだが、どうやらこの人は、俺に対してなにがしかの好意を抱いているらしいのだった。
そもそも、なぜ高校生の夏休みという色んな意味でかけがえの無い貴重な時間に寺で座禅を組んでいるのかというと、話は終業式の日に遡る。
・・・・・
一年一組の教室に激震が走ったのは、皆が明日からの夏休みに向けて浮き足立ったり暗い顔で補習の日程を確認していたりと、悲喜こもごもの表情を浮かべていた終業式の放課後だった。
担任が教室を去った際に開けっぱなしにしていた扉から、遠慮がちに教室を覗き込む女子の姿があった。制服のリボンの色は、ブルー。二年生だ。
「誰かに用ですか?」
クラス委員の鈴木が声を掛けると、上級生女子は一瞬ビクッと肩を振るわせた後、真っ赤な顔でこのクラスの生徒の名前を口にした。
「あ、あ、あ、あの…こ、このクラスに、あ、あ、あい、あいかわ君って…。」
あまりに必死なその様子に圧倒されたのか、なぜか鈴木の方が少し照れながら『あいかわ君』を呼ぶ。
「おーい、旭! 先輩が呼んでるぞー!!」
このクラスには、三人の『あいかわ』が存在する。
一人は、帰国子女で貧乳美少女の相河朱里。一人は、その双子の弟で絵に描いたような陽キャの相河旭。そして最後の一人が、「じゃ無い方のあいかわ」である俺、合川秋生だ。
このクラスでは、「あいかわさん」と言えば相河朱里の事であり、「あいかわ君」と言えば相河旭の事だ。特に、こんな風に顔を赤らめた異性が呼ぶならば、それは相河姉弟の事で間違いは無いというのがクラス中の共通認識であり、悲しいかな、俺本人も何の抵抗も無くそんな状況を受け入れていた。
しかし、クラス中が見て見ぬ振りをしつつも全神経を集中させながら野次馬と化している空気の中、颯爽と現れた相河旭の姿を見た上級生女子は、まさかの言葉を口にしたのだ。
「あ…ご、ご、ごめんなさい。あ、あ、貴方じゃ無くて…そのそのその、背が高くて、め、眼鏡のっ…。」
その瞬間、教室内で小さなざわめきが同時多発し、クラスで一番スカート丈の短い目黒が皆の心の内を代弁した。
「じゃ無い方じゃ無い方…じゃ、無い方…だとぉ?」
そんな目黒の隣の席で、図書委員の緑川さんが優しく注意する。
「目黒ちゃん、失礼だよ。合川秋生君にだって異性が尋ねてくる事くらいあるよ。」
緑川さんの言い分こそがなまじ悪意が無いだけに胸に刺さったが、俺は状況を飲み込めないまま、とりあえずこちらに向かって手招きをしている相河旭の元に向かった。
「合川秋生で間違い無いですか?」
相河旭が俺を指差しながら確認を取ると、ペコペコと頭を下げる上級生女子。
「あ、あ、あ、ありがとうございます、ありがとうございます!!」
それに合わせて、きっちりと結われた二本の長い三つ編みが揺れる。色白で少しぽっちゃり気味の、ノンフレームの眼鏡をかけた女の子。
女子という時点で呼び立てられる心当たりは無かったが、やはり見覚えが無い。
「えっと、あの…。」
俺が戸惑いつつ口を開いた瞬間、上級生女子はこちらに向かって一際深いお辞儀をし、まるで王様に貢ぎ物をするかのような姿勢で紙袋を差し出してきた。
「その、その、その…。わわっ、わ、私、き、緊張すると、ききき、吃音が出てってってっ…ご、ごめ、ごめんなさ、さい。お、おれ、お礼ででででです。せせせせ先日は、あ、ありありがとうございました!」
一気にまくし立てて紙袋を押しつけるように手渡すと、三つ編みは廊下の向こうへと消えた。
狐につままれたような気分で立ち尽くす俺に、相河旭が「知り合いか?」と問い、いつの間にか接近していた目黒が「何、何、何もらったの?」とウキウキしながら紙袋を引っ張った。二人の背中越し、もはや野次馬根性を隠すつもりも無いらしいクラスメイト達の視線が一斉にこちらに注がれている。
「目黒ちゃん、駄目だよ。それは人の物でしょう。」
同じくいつの間にか接近していた緑川さんが目黒をたしなめたが、普段真面目な緑川さんですら興味を抑えられないといった風に、横目でチラチラと紙袋を気にしている。俺は対照的な二人の女子の圧力に負け、自ら紙袋の中を確認した。
中に入っていたのは、高級菓子店の名前が書かれた箱と、LINEのIDが添えられたメッセージカード。
『合川君へ 先日は助けていただいて本当にありがとうございました。良かったら、友達になって下さい。 我孫子 マリ 』
「がそんこ…まり…?」
俺の手の中で開かれているメッセージカードを読み上げていた相河旭が、最後に謎の呪文を呟いた。帰国子女の身には、難読名字はハードルが高いらしい。
「これは“あびこ“って読むんだって。っていうか、勝手に読むなよ。」
「あびこか。ん?あびこ…? ああ、あの人、見た事あると思ってたんだ。なあ、朱里~!我孫子さんって、たしか山口先輩と親しかったよな?」
相河旭が自分の双子の姉の席に向かって呼びかけている横で、目黒と鈴木が「やるじゃん、じゃない方」「奇跡って起きるんだな、俺感動した」とはやし立てた。緑川さんも、まるで幼い子どもを褒める時のように小さく拍手をしながら慈愛に満ちた笑みを浮かべている。
勝手に繰り広げられている和やかムードの中、双子の弟に呼ばれた相河朱里が、一直線に俺に駆け寄って来た。小柄で貧乳の小学生体型美少女が、至近距離から俺を見上げる。
「秋生、我孫子先輩と知り合いなの!?」
自然と上目遣いになったその整った顔は、思わずドキリとするほど可愛いかった。海外育ちの相河姉弟は、距離感が近い。幻覚ならぬ幻香なのか、何やら良い香りすらした気がした。
「し…知り合いっていうか、俺は覚えて無くて…。」
「でも、友達になるんでしょう!? いや、なって、なってよ、なろう!?」
先程の我孫子先輩に負けず劣らず必死な様子の相河朱里に、相河旭が何事かと理由を聞いた。すると、相河朱里は自分のスマホの画面をこちらに向けながら、興奮気味に言った。
「お願い、秋生! この夏、合法的に山口先輩の家にお邪魔できる方法を見付けたんだってば!! 我孫子先輩も誘ってよ~!!」
相河朱里が指さしたその画面には、『〇〇宗 〇〇山 西福寺 夏期座禅体験申し込み要項』『六名以上で開催』という文字が書かれていた。
その寺が山口先輩の自宅である事と、六名以上にするには相河姉弟の二人と、そして少し前に相河朱里にLINEのスタンプの作り方を教えてくれたという切っ掛けで親しくなったらしい目黒と、目黒の幼なじみの緑川さん、それに勝手に俺を頭数に入れていたらしいがそれでもまだ五名で、だから我孫子先輩を誘って欲しいという話を一気にまくしたてた相河朱里は、中学時代半不登校だった陰キャの俺には聞き慣れない言葉を最後に放った。
「ね?いいでしょ?グループデートしようよ、秋生!!」
寺で座禅を組む事はデートに値するのか、そんな煩悩の塊のような目的で寺にいっていいのか、いや、そもそも相河朱里と山口先輩は付き合っているのだから普通に堂々と二人きりのデートに誘えばいいのではないか、そして“合法的に”って何だよ非合法に先輩の家に行った事があるのかよと、様々な思いが脳裏を駆け巡った。
しかし、それと同時、先程渡されたLINEのIDに連絡をしてみる勇気のないコミュ障かつ腰抜けの俺にとって、この話は渡りに船なのではという打算が首をもたげる。そもそも、俺は我孫子先輩という人からお礼を言われる覚えがないのだ。もし何らかの誤解なら、その誤解が解けないままではスッキリしない。
相河朱里のワガママを渋々受け入れる振りをしつつ、「分かった、我孫子先輩に聞いてみるよ」と俺が了承すると、やり取りの一部始終を聞いていた鈴木がちゃっかりと付け加えた。
「グループデートって、それじゃ男の人数足りなくない?俺、予定空いてるけど。」
つづく
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