非常識非人間の悪魔という皮をかぶった女との結婚(人生最大の汚点)<第7回>

性格を変えろ!怒るな!

結婚していた期間中、このようなことを言われました。今から考えれば、性格なんて簡単に変わるものではありませんし、私個人的には、大人になってから、性格を変えることは不可能であると思っています。

しかし、当時の私は、猛烈に愚かで、家族を守ること以外、考えることができませんでした。したがって、性格を変えようと試みました。

具体的にどうやるかというと、元嫁と対峙するとき、様々な場面で自分が思ったことをことごとく否定し、違うリアクションをとるよう心掛けました。これが、なんとも、言葉に表せないほど苦痛を伴いました。ただでさえ、このような非常識人間と生活するにもストレスがたまりまくるのですが、性格を変えようと思った結果、倍速以上のスピードで、ストレスが溜まっていきました。

そして、結果的に、自分を見失うことにつながってしまいました。精神的に猛烈なダメージを与える一要因となったのは言うまでもありません。

出張のたびに、「お前は浮気している!」

2008年ごろから、部署も移動し、出張が多くなりました。もちろん、部署移動の話はしていますし、結婚する前は、同じ会社にいたので、どのような仕事をする部署なのかも知っているはずです。

しかし、出張行く前には、必ず「今日はどの女の家にいくの?」と尋ねられました。今から思えば、この頃から被害妄想の極致にあったのでしょうね。もちろん、否定して、出かけていたのですが、今度は、夜になると恐ろしいくらいの携帯の着歴がありました。仕事中から、イライラするとかけるのでしょう。10分おきにかかってくる感じで、夜、仕事が終わってホテルに戻ると、30~40件の不在着信があることもざらにありました。

こちらから折り返すと、「本当に出張に行っているなら、一緒に行っている人全員、電話に出せ!」と言ってききません。仕方なく、先輩や同僚に毎回出てもらっていました。

結婚前には同じ会社にいたので、共通の知り合いも多くいました。その人も電話に何度も出さされていたので、「お前の嫁って、あんなにき◎◎いだったっけ?」と何度も言われました。

「はい、そうです。」としか答えられませんでした。

当時、失われた30年の真っただなかで、非正規雇用の人たちがたくさんいたので、正社員がこなさねばならない仕事は多く、しかも給料は上がらない時代でした。そのうえ、仕事中にこのありさまですから、これもまた極度の精神的ダメージの一員になりました。

育ての親でもある祖母の死

そんなこんなで1年が過ぎ、2009年夏、突如、祖母の危篤の知らせを受けました。内容は、「1週間持つかどうか・・・」ということでした。それまで、何の知らせもなかったので、頭を鈍器で殴られたようなショックを受けました。いつかは、この日がやってくると思いながらも、実際にくると、やはり、言葉では言い表せないほどのショックでした。何も考えられないくらい、動揺したのを覚えています。

その知らせから2週間後、祖母は旅立ちました。「男は泣いちゃいかん!」といつも言っていた、大正生まれの祖母。御年93歳。大往生ではありますが、泣きたくなくても涙が止まりません。こんな経験も初めてでした。

これが、私が本格的に壊れる3つ目の精神的ダメージでした。

その後、事態はいよいよ強烈な状態に突入します。元嫁は、サポートしてくれるどころか、余計にいたぶり始めます。

また次回お話しします。

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