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着るより縫いたいだった

良く寝た筈なのに、
寒いことを理由に一日グダグダした。

夫の言うことがいちいち気に障る。
11時まで寝坊したから、
言うだろうなと思った通りのセリフ。
「昨日の聖天院の階段で疲れた」
たかが二十段くらいの階段に?
私は7日に登ったけどどうということも無かった、と内心呟く。

昨日食べなかった小豆を食べようかと思ったら、
お餅を焼き始めてから夫が全部食べてしまったと判明した。
仕方ないから古い餡子で食べました。
貴重なヨーコ餅は私が全部食べることにしました。

グダグダしてるから、
なんとか立て直さないとと思って、
小掃除してから、
洗った生地にアイロンを掛けました。

どちらかで「はかま」を試作して、
それを元に、
本当に着たい生地で縫う予定です。

実は昨日、
左手の中指をちょっと切ってしまいました。
湿潤療法で痛みはありませんが、
布に引っかかるのが困りごとなのですが、
縫ってみることにしました。

テキストでは生地を裁って、
端をロックをかけるとありますが、
私は手縫い派、
そこも手で縫うので、
出来上がりは夏かもしれません。

解きながら気付いたこと、
和服を着るというより、
むしろ和服を手縫い出来ることが究極の望みかもしれない。
解いていて、
その技に圧倒され、
魅了されてしまったのです。
今の歳からでは和裁は無理でしょうが、
出来るところ迄やってみようと思いました。

手縫いだけでなく、
土鍋でご飯を炊いたり、
薪を燃して暖をとったり、
暮らしを便利より自分の手に取り戻せるなら、
取り戻そうと思います。
人も生き物、
人は工夫もする。
野生の生き物が自然にニュートラルに戻れるのに、
人にはその自在さが無いと、
昨夜の四則和算の講座で感じました。
(zoomで参加)

そこから思ったことは、
人が一年早産の意味でした。
赤ちゃんの時の一年は、
単に歩く、食べる、喋る為だけでなく、
大人に抱かれること、
歌や声を掛けられること、
眼差しの優しさ、
愛しく思われることなどの体験の中で、
雰囲気や接し方の中で、
生存の元を得ていくのだろうと思ったのです。
それがあって、
人は怒りや絶望などの感情から、
戻ってくる位置が作れるのだろうと思いました。
(これは四則和算の話し)

暮らしはグダグダでしたが、
それに逆らって、
少しは縫い物をしました。

図書館へ行った序でに、
増田屋へ寄ったら、
え?亀口酒?
秩父錦の?
ということで、
買ってみました。

亀口酒って、
純米酒とかドブロクみたいな普通名詞なの?
澤乃井だけじゃないんだ。

味見したらおいしかった。

今夜は土星が一層大きく輝いてました。

毎日夕方の土星に会うのが習慣になりました。

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