進路が決まらない、将来への不安、想像していた高校生と違う、そんな不満ばかりで生きていた自分は、進路の方向性が決まったり、あと1年、9か月となってきたときにパッと思ったんです。この学校を辞めたいって思っていたのですが、いやここを卒業したいもうすぐだと・・・そしたらなんか楽しくなってきましたね。単純ですよね。なので学校を辞めたい、逃げ出したいと思ったらあと何年で卒業できるからと思うようにしてみてもいいかもしれません。それでもダメなときは、ほんとに環境を変えた方がいい時だと思います
大人というか社会人になって気づいたことは時間に余裕ができるということです 高3の話をしたかったのですが、昨今のコロナの状況による学生の行事中止を見てふと書いています もちろんその時にやるから大事というのはわかります。でも大人になってからでも旅行は出来るし勉強もできるし、休むこともできるし・・・お酒も飲めるし・・・ 結構やれることあるんですよ笑 学生の時は全く思ってなかったですけどね.だから学生生活を返せとかじゃやなくてこれから先どうするかとか考えてほしいなーって思いま
過去の記事を見て頂くとわかるのですが、中高一貫校に通っていました。中学入学時はやりたいことがないくせに六大学のMや神奈川にある国立大を目指したりしていました。数学や生物などは得意でしたが・・・国語と英語が全くのだめでした・・・ そこで自分の人生を考えたときにこのままでは浪人してしまうと思います。私自身浪人は人生の「無駄」と思っていたので絶対に浪人はしたくない。でも行くことができる大学がない・・・どうしよう・・・ 高校で配られた系列大学の冊子を見たときでした。評定が高いと『
以前記載していた記事にて、中高一貫校と高校入学校舎で別のカリキュラム、校舎とお伝えしました。しかし、イベントは一緒です。私が尊敬するI先生が高校校舎の学園祭の実行委員会の担当になっていました。 ちなみに学園祭は1年生の時,とくになにも担当にならず(当日の受付)だったこともありすぐに帰っていました・・・ダメ人間ですね さて、そんなこともありましたが2年生の学園祭でも当日受付なためすぐに当時仲良かった友人と帰っていました。 そんなときでした、担任の先生から誰か誘って実行委員
小学校、中学校、高校のクラスの人数って多いと思いません? 実は、当時はあんまし思っていなかったんですでも、大人になっていろんなもに触れ、また、学園ドラマを見て、そして高校2年生の自分の体験と照らして思いました。クラスは15人以下がいい。 ドラゴン桜では、1クラス9人。東大専科という特殊なクラス、そしてドラマということもありますが・・・少ない方が仲良くなる確率が高いです。そしてまとまりやすいですね。それは当たり前ですが・・・ 私はそれを高校2年生で体験しました。クラスの人
中高一貫でしたのでそのまま高校に進学します。中学程書くことがないので3年間まとめてみます。これからは、旅行やサッカーの日記にしていきたいですね・・・ 高校1年生・・・修学旅行がオーストラリアでしたね。あんまし楽しくなかったですが・・・御飯があわなくて4キロ痩せて帰ってきました笑 スポーツ大会が秋にあって・・・サッカーで優勝したよ(札幌に住んでいたらわかるネタですね・・・)学年別で優勝しました。あのときは輝いていましたね・・ オーストラリアでの修学旅行は10日間くらい。ホー
中学校3年間で過ごして思ったことです。 基本的に大人になって役に立つというか何も意味ないから気にするなです 前の記事まで書いていた思い出・・・何かで賞をとる。クラスで対立する・・・ 勉強を頑張る。先生になめた態度をとる、誰が好き誰が嫌い・・・ もちろんこの時期を生きていたらとても大事だと思います。 でも大人になったらなんも意味ないんですよね。だからもしこうゆうことで悩んでいる人がいたら気にするな。社会に出たら何も意味ないから。もちろん楽しい人は楽しいと思えるからそのままでいい
中2では、散々な人生だったこともあり中3では何か思い出を欲しいと思うようになります。 中2:学園祭は何かわけのわからないことを発表してスベリ・・合唱コンクールは3年生が優勝する必要があるという理由から入賞せず、体育祭は総合でも勝てず(個人的にはチームでフットサル優勝)、百人一首も確か負けていたともいます。(個人は3位でした・・・) んでそんなこともあり何か思い出を欲して副委員長なんかに立候補します。いや思い出を欲したというよりかは楽そうだなと思ったのが1番です。 そして
タイトルの通り勘違い真っ最中な時期ではないでしょうか? 私は、当時流行っていたごくせん、野ブタ、クロサギなど・・・を見て山下智久さん、赤西仁さんに憧れていきます。髪を伸ばし・・・前髪はクロサギみたいな・・・笑この時代の男子って大体この髪型だったと思います そんな感じで勘違いしていく私ですが、前の記事で書いた通り新しい学校は人手不足なので経験の浅い新卒2年目の男性教員が担任になります。一番勘違いをするくそガキの中2の担任はミスマッチだったと思います。マネジメント能力に欠ける
私が通った中高一貫校は出来てまだ2年目の学校でした。父親のおかげもあり合格してしまった私は、入学を決意します そして、生活をしていくなかで気づきました。できたばかりの学校は何も方向性が定まっていなくてだめだということに・・・ まず、1期生は40人くらいで2クラス、私の学年は、50名で2クラスでした 私のクラスは10日で辞めた方がいたので人数は24名でした。担任の先生は、血気盛んな先生でした。まぁ、余裕がない感じでしたね。自分が正しいって思ってる感満載です。ある一人の生徒
札幌時代、辛い日々を過ごしていました。でも自分が過ごしていた時はそんな風には、思っていません。しかし、北見に転校してこう思います。 なんてすばらしい同級生なんだろう・・・ 実際、誰かをからかう人間というのは変わっていません。I君と一緒にY君をからかったり・・・・ でもそんなことも5年生で終わります・・・6年生は本当に楽しかったですね まずは、5年生です。5年生の担任は、K先生。K先生はすごく厳しかったです。でも教育者って感じでした。正しいことは正しい、間違ってることは
『大事件』自分ではそう思ってます。後にも先にもこれを超える感情が揺さぶられた瞬間というか『嫌になった気持ち』なんですかね・・・もう何もかもわからない状態だった感じです。これがあったから何か変わったというのもないのですが、ずっと覚えている。そんな瞬間です。他の方にとってはなんだその程度かもしれません。自分にとっては『大事件』です。そのため文字にして整理をしたいのです。自己満ではありますが・・・ では、話します。始まりは、担任の先生の一言です。 『今日は、紙に最近の出来事や気
幼稚園のときに出会ったR君 小4までクラス一緒でしたね・・ 彼との行いは、いけないことです。そして、それを謝らずにいたことを後悔しています。 『画鋲事件』常に争ってるMさんに何かをされます。それを許せないと思った私はR君と一緒にMさんの、『のり』があったのでそれに画鋲をさしてしまいます。次の日、朝礼で誰がやったか話し合いになります。 学校って『誰がやった』『目をつぶって手を挙げろ』好きですよね。当然手を挙げません。しかし、Oさんという少しウざめ女子が近くにいたのを見たか
Mさんというすごく可愛らしいお顔をした女性との争いです はっきり申し上げます。全く好きではないです。しかし、あの時の精神状態は今でもまったくわかりません。ほんと自分に何が起きていたのかわからないのです Mさん 正直申し上げるとかなり性格悪いです。私は、Mさんとなぜか争いをしてしまいます。普通に会話をするときもあったんですけどね・・・きっかけとあの時やったことを書きますが、全くわかりません。どうしてそんなことをしたのかそして、その時の気持ちも・・・彼女との争いがのちの大事件
私の過去で『とても印象的な時代』です なぜか?それは、のちに母親から言われて気づくのですが・・・様々な出来事が起きた、感情が揺れたそんな時代です 小3~小4 担任の先生は、N先生(女性)です。先生は見た目が優しそうな先生でした。その印象が後々裏目に出てしまいます。私のクラスにはHさん、R君、K妹がいました。私は、転校してきた2名(K君、S君)と仲良くなりました。 東京から転校してきたS君は頭が良く(良すぎでした)、運動神経も良かったです。一言で言うと『天才』です。後に
いよいよ小学校時代突入です。小学校の時に感じたことや出来事を書きます 入学していきなりMさんと隣の席でした。互いに好意を抱いていましたが小学校になると気持ちは変わっていくものですね・・・ さて、1年生の時の記憶は最初の隣がMさんであること、担任の先生が終業式の時に転勤することがわかり何故かショックで大泣きしたことです。転勤の理由は、クラスのお母さんからの圧力だったみたいです。担任の先生からのRS君に対しての一言が気に食わなかったことが理由だとか違うとか・・・。RS君からあ