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Daft Pankが解散するとニュースで知った。

特に熱烈なファンではなくても、彼らの代表作「One More Time」
は耳にしたことがあるのではないだろうか。

音楽とは不思議なものだと思う。

2000年に流行したその曲は音とともに様々な記憶を呼び寄せる。

そのとき感じたにおい、気温、一緒にいた人。

この曲をあちこちで聴いていた当時、わたしは南米のチリにいた。

知り合いゼロ、スペイン語専攻でもなく大学の授業で習っただけの状態で、交換留学に応募。

自分でも無謀なチャレンジなように思えたが、

猛烈に自分を試したいという欲求に駆られ、

気が付いたら飛行機を3回ほど乗り継いでサンチアゴに来ていた。

大学で専攻していた英語はそれほど役にたたず、チリ独特のアクセントと

流れるように早口なスペイン語に耳が慣れるまで半年かかった。

半年間ずっとストレスでおなかを壊していた。

大学最初に出席した授業では、とうとう先生の言っていることが

一言もわからずに終了。

スペイン語に日々奮闘していた日々から少しずつ知り合いや友達と

呼べる人ができ始めたそんな頃、この曲をよく聴いた。

One More Timeというシンプルな言葉、歌詞も誰にでも覚えられそうな

単純なフレーズの連呼。

英語が苦手な人が多いチリ人でも口ずさめ、

スペイン語に必死な私にとってもとっつきやすい曲。

チリ人はラテン系の人たちが大体そうであるように、

ご多望にもれず、人と集まるのが大好きな国民性だ。

少し仲良くなると何かにつけて、飲み会(大抵宅飲み)やDiscoteca

(ディスコテカ)いわゆるクラブに行かない?と誘ってくれる。

Fiesta (フィエスタ)という名目で自分の誕生日パーティーを主催し、

友達や友達の友達も自由に出入りできる、まぁ結局は飲んで夜な夜な

ダンスしたりおしゃべりするのだが、そういった場所へもよく行った。

決して人気者だったわけでなく、珍しいアジア人を連れて行くことで

自分の注目を引きたいって考えてる人もいたからだと思う。

当時アジア人はものすごく珍しく、あらゆる場所で無遠慮な好奇の視線を感じた。

顔に穴が開きそうなほど凝視されることもしばしばだったし、

「中国人~!」と呼ばれることもあった。

そんな「珍しい」アジア人の私が人が集まる場所へ行くと目立つようで、

中には完全に無視を続ける人もいたが、大抵は好奇心に負けてか、

話かけに来てくれる人も多かった。

そのどこのDiescotecaやFiestaでも、この「One More Time」が流れていて、

その曲がかかると皆で大合唱しながら踊る。

その瞬間は唯一彼らと仲良くなれた気がした。

音と共に、ピスコラ(南米原産のピスコというお酒をコーラで割ったもの)

のツンとしたアルコールとコーラの甘ったるさが混じった匂い、

誰かのタバコの臭い、タバコじゃない煙の臭い。

鼻の奥を指す香水と汗が混じった匂いがあった。

ある時は、ちょっといいなと思っていた男の子に誘われたFiestaで

知らない子と話し込んでいて、気付いたら置いてけぼりになっていて。

泣く泣く一人で真夜中の住宅街をさまよい、偶然にもガソリンスタンドを

見つけて、タクシーを呼んでもらい帰宅した苦い思い出が蘇る。

その男の子は今頃どうしているだろうか。

音楽というのは不思議だ。

あなたは2000年、何をしていただろうか?



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