ブックカバーチャレンジ その1
延江浩さんから回ってきました噂の「ブックカバーチャレンジ」
皆もすなるブックカバーチャレンジといふものを、我もしてみむとてするなりてな感じで。面白そうなのでチャレンジしてみます。
独自ルールを二つ
1つはうちにある「サイン本」縛り。気分で7インチレコードを添えて。
2つ目は瀬尾まいこじゃないから、「そして、バトンは渡さない」。
1冊目
村上春樹「うずまき猫のみつけかた―村上朝日堂ジャーナル」(新潮社1996年)
発売は5月だけど、僕が買ったのは10月。
横浜は上大門の駅ビルにある八重洲ブックセンターでした。
そこの開店記念ということで店頭で売られていたのが、
このサイン入りの「うずまき猫のみつけかた」。
当時も、「え?村上春樹のサイン?」と驚いたことを覚えています。
1996年10月、僕は駅の広告スペースを売る営業をしていました。
初めての社会人経験で、勤め始めて5ヶ月くらい。
神奈川県内のありとあらゆる駅の看板を売り歩く中で、
上大岡駅の看板も売っていて、そのついでに立ち寄った書店で出会った本です。飛び込み営業なんて自分の性に合わないことをよくやっていたなぁと思う。
この本を読むと、そんな日々について思い出します。
結局、本を買ってから2ヶ月後に会社を辞めて、
念願だったラジオの制作会社に入ることができ、
今につながっていることを考えると、
自分の人生にとって1996年がキーポイントになっていたんだなぁと
改めて思います。
1995-1996年は村上春樹にとっても転機になった年かもしれません。
育った故郷を襲った阪神・淡路大震災を受けて、
初めて村上春樹が朗読会を行なったのが1995年。
それとほぼ時同じくして「村上ラヂオ」*1という
公式WEBサイトが立ち上がり、それまで謎の存在だった村上春樹が
ぐっとリアリティを持ってきた年が1996年でした。
とはいえ、一般読者は村上春樹の映像どころか声も聞いたことが
なかったわけで *2
そんな状況下で、村上春樹のサイン本???と書店店頭で二度見したのち、
信じられない心持ちで1冊をいそいそとレジに持っていったのでした。
それにしてもほぼ縁もゆかりもない上大岡の書店の開店祝いに
村上春樹のサイン本が売られていた理由については、今でもよくわからない
さてさて、本についての説明はしないというのがルールみたいだけど
本の中で面白かったところを1つだけ引用します。
村上春樹さん自身が撮影した写真〜ボストンの凍てついた歩道をのしのし歩く猫のキャプションです。
しかしこの猫にもきっと、外に出なくてはならない何か大事な用事があったんだろう。例えば今日発売のパールジャムの新譜CDを買いに行くとか……
そんなことないか。(171ページ)
これ、今でも本当に優しい視点だと思う。
それから幾星霜。今では2ヶ月に一度 村上春樹によるラジオ番組が
聴けるとは、まさに隔世の感でございます。
*1 ちなみにリアルタイムで見ていた「村上ラヂオ」で刺激的だったのは、
SMAPのCDジャケットについてのファンとの応酬。単行本に未収録だけど、本当に面白かった。SMAPのCDジャケットのデザインがビーチ・ボーイズ「ペットサウンズ」のパクリであるという論を、噛んで含めるように、そして皮肉と諧謔をたっぷりと振りかけた村上春樹節で展開していく。
中でも最高だったのが以下のパート:
でも率直に申し上げまして、このCDに収められた音楽とビーチボーイズの「ペット・サウンズ」に収められた音楽とのあいだには、ハリネズミの屁ほどの関連性も共通性も類似性も連続性も接続性も血縁性も交流性も共有性も共振性も貢献性もありません。あえて共通性を求めるなら、数人の男性が集まって、肺呼吸をしながらマイクに向かって歌を歌っているという事実くらいではないかと、僕は思います。
当該SMAPのCDは、ペットサウンズだけでなくTHE VERVEの「Urban Hymns」もパクっていてかなりカッコ悪い。
そんなSMAPの「夜空ノムコウ」をスガシカオが村上春樹イベントで
歌ったのを見たとき、時の流れを感じました。
*2 1997年に出版された「夢のサーフシティー」のCD-ROMに収録された
安西水丸さんとの対談音声で、僕は初めて村上春樹の声を聞いた。いい声だった。動いている姿を見たのは12年後の2009年 イスラエルにおける
卵と壁スピーチの映像でした。
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