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なれるものなら

 最初、お母さんが板チョコになった。
「本当に困ったら、私をちょっとずつ口に入れるのよ」そう言いながら、お母さんは銀紙に包まれていった。
 それを見ていた大学生の弟は「僕はもっと身近で人を喜ばせるんだ」なんて張り切っていて、数週間後に見たときには結局AirPodsになっていた。
 チョコレートのお母さんは、そんな弟を見て「後悔のないようにね」と言った。それはもう口癖になっていて、小さいときから何度も聞いている言葉だ。

 私はやっと就職が決まって、部署独自のエクセルの使い方と、職場で程よくいい感じに見えるメイクの知識を、同時に身につけていこうとしている時期だった。その頃から、お父さんはだんだん帰りが遅くなっていった。一度深夜にリビングを覗いたときに、缶ビールを飲みながら泣いていた。お父さんの涙を見たのはあれが最初で最後だった。そのあとすぐにUFOキャッチャーのアームになっちゃったから。

 弟と久々に会った時、Rの方がなくなっていた。どこかで落としてきたらしい。
「日本は縮小していくだけなんだから、もっと世界に向けて動いていかなきゃ」と熱っぽく語る弟。
「焦らずゆっくりね。なくしちゃった片方は、お姉ちゃんが買ってあげるから」私はできるだけ優しく言ってみる。
「そんなんだから姉ちゃんは…」いつもの通り、お説教が始まってしまう。

 お父さんは「いろんなぬいぐるみでも掴めるのかと思ってたら、まかさピンポン玉とはなあ」とか愚痴りながら、もうすでにそれを受け入れて淡々と過ごしているようだった。お父さんらしいなと思ったけれど、私もいつかお父さんみたいになっていくのかななんて考えていた。

しばらくして、弟は防水のBluetoothスピーカーになった。その頃にはもう、昔の可愛かった弟はいなくて完全に疎遠になっていたけど、嫌でも弟の声は私に届いてくる。「声がいかに大きいかが勝ち負けを決める」とかなんとか。小さい頃は「バナナになりたい!」って言ってたのに。

 私は職場の上司と付き合い始めた。打ち合わせに同行した帰りにランチをしたのが始まりっていう全くドラマチックじゃない流れで。
 同年代の子たちとは違う余裕のある雰囲気が良かったとか、そのくせ子供っぽいところもあったりしてとか、好きな理由もよくあるやつだった。
 そのうちお約束みたいな展開で私たちのことが職場にバレて、上司はすぐに会社を辞めたけど、私はそのまま残った。彼と付き合ってる時期に生活レベルを上げてしまったのもあって、お金のために残った。上司が既婚者だってことは知らなかったっていうキャラで通してたけど、そんなの誰も信じてなかった。私も含めて。

 しばらくして、私は転職に大成功してキャリアアップしたっていう設定で会社を辞めた。本当のところは歩行者用信号機になろうと決めていた。
 今、この道を渡るのは良いのか悪いのか、そんな単純なことだけを繰り返し伝えていくことが、これからの私にとって必要なことだと思えたから。

 信号機になる前の夜、私はあの日のお父さんみたいに泣いていた。
 弟が私を励ます声が遠くか聞こえた気がした。
 お父さんのアームが頭を撫でてくれた気がした。
 私はビールは飲めないから、銀紙を破いてチョコレートをひとかけら口に含んだ。

「大きくなったら、何になりたい?」
 お母さんになりたてのお母さんが私に聞いてくる。
 小さな私は悩んだ末に、笑っちゃうくらいとんでもない夢を元気に答えている。

 私は信号の色を赤から青に変える。
 そして、あの頃の自分に言ってあげる。
「ほら、今、渡っても大丈夫だよ」


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