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「伏見連続講座ーふれて、しって、みて伏見ー」に行ってみた!

伏見の歴史やトリビアについて知りたい!?

そんなときは、「伏見連続講座ーふれて、しって、みて伏見ー」に参加してみてはどうでしょうか。

こんにちは。
謎のマスク職員です。
今回は、私が気になっていた「伏見連続講座」に参加してきました!

今回のタイトルは「ここまで凄いとは!入門伏見城講座」。
主催は、桃山同窓会さん。
(ちなみに、「伏見連続講座」は伏見に関する様々な分野の講座を開講しています!)

伏見城って豊臣秀吉のお城だったかな?あれ?徳川家康だっけ?
とまぁ、それくらいの知識しかない謎マスク職員ですが、大丈夫だろうかと心配しつつ・・・

いざ、受講!!

講師は、新聞でもよく目にする、伏見城研究会会長の若林 正博 氏。
NHKでタモリさんが各地をブラブラするあの番組にもつい最近出演されました。
どんな話が聞けるのか。

今回の講座では、“伏見城の規模”と“お城の役割”の大きく二つをテーマにお話をしてもらいました。

まず、お城の規模について。
知っていますか!?伏見城内郭の外周は4.8Kmもあるのですよ!!
他のお城と比べると・・・
竹田城1.2Km
犬山城1.4Km
二条城1.9Km
名古屋城3.7Km
京都御所3.9Km
大阪城4Km

同じ規模でいうと、江戸城(現在の皇居)が4.8Kmから5.8Kmなのだとか。
伏見奉行所の記録では、岩山~日向山~黄金塚の山々の一部も伏見城とされていたらしい。
若林講師は、写真を使用し4.8Kmの外周の道案内やお城の構造などを説明してくれました。
現在でも、よく観察すると昔の面影を見つけることができるそうです。
お城の外や内の造りは起伏が激しく、自然の山谷をうまく利用し敵からの侵略を防いでいたのだなと、昔の人の知恵と造形技術に驚き。

なぜ、そこまで大きなお城が必要だったのか。
伏見城は、実は豊臣秀吉や徳川家康だけでなく、徳川秀忠とも深いかかわりがあるとのこと。
秀吉の没後、徳川家康が将軍となった後も、伏見に長くとどまっていたそうです。
1606年に首都的機能を駿府(静岡)へ移した後も、二代将軍秀忠は数年おきに全国の大名を伏見城に集め、様々な交渉を行っていたとのこと。
伏見版参勤交代のようなもので、大名の移動で地方経済が活性化されていたそうです。

伏見は日本初の銀座が置かれていたり、全国の大名が屋敷を構えたりしたため、西の拠点として重要な場所だったのでしょう。
また、大名の屋敷が伏見に置かれた長さは20~30年ほどで、他の地域から見ても特殊であったようです。
そのような、西の重要拠点である伏見城は規模も大きくなったのかな。

伏見城 ここまで凄かったとは!!!


まだまだ、奥が深い伏見城。伏見城の歴史のほんの一部しか触れていないですが、楽しいお話が聞けました。
とりあえず、受講後から「知ってる~?」と外周がどれくらい広いか色んな人に質問して、ドヤ顔をしています。

秋の晴れた日に、彼の日の伏見城を思いながら外周をランニングしてみるのもいいですね。
皇居ランよりトレーニングになりそうですよ!

今年度、まだまだ「伏見連続講座」は開講します!
是非、ふれて しって  伏見の魅力を感じてください!!!
京都市伏見区役所:令和6年度 「伏見連続講座ーふれて、しって、みて伏見ー」 (kyoto.lg.jp)