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【小説】城ラン

 2009年、児玉義一は零細の家電メーカーに勤めている。自社では工場を持たない。商品企画だけを行い、生産は中国の工場が行うという方式である。このあたりのやりとりは社長が単独でこなしている。中国語はおろか、英語もろくにできないが。

 英会話のできる社員が、1名いるが担当は営業で海外折衝を任されていない。社長は香港出身の男を秘書として雇っている。その人物を通訳に中国の協力工場と交渉している。

 2008年にアメリカの投資銀行リーマンブラザーズが経営破綻した。世界に金融危機が波及し、児玉が勤務していた小さな広告代理店が倒産した。

 〈今度はモノづくりの会社で働きたい〉
 児玉は製造業を中心に就職活動したが、200社近く受けてほぼ全部落とされてやっと受かったのが今の会社だ。内実は製造業と呼ぶにはお粗末であるが。会社は実質社長の個人商店で、社員はその手代というところが妥当だろう。

 営業先からの帰り道、大勢のランニングをする大人たちと遭遇した。市の名所である室町城周辺を回っているようだ。

 〈なんで平日のこんな時間から走ってんだ〉
 児玉は不思議に思うのと同時に、腹立たしさを覚えた。今は18時。こんな時間に会社が解放することはない。戻ったら営業日誌を書いたり、売上金を計上したりするのだが、なにより上役が帰らなければまず帰ることができない。無駄な時間を過ごすのが不文律の義務になっている。

 “城ラン”と呼んでちょっとしたブームになっていると同僚から聞いた。大挙してランナーがやってきたので、以前から城周りを散歩している人々からはあぶないと嫌がられているらしい。
 
 〈無理もないよなあ〉
 児玉は同情するが、今はランニングコース周辺にランナーズステーションと銘打って、シャワーや着替えができる構造物が建ちつつある。数の論理には地元民さえかなわない。

 珍しいことだが、児玉は営業先から直帰できる機会を得た。いいチャンスなので城ランを帰宅する前にやってみることにした。身体が慣れていないので走りだしてすぐに歩き出した。脇をビュンビュンとランナーたちが追い越していく。確かに歩行者にはあぶないと思えた。歩いてみると城の緑が目に鮮やかである。

 「なんだ、歩いたほうがいいじゃないか」
 児玉は城周りを走るのがバカバカしくなってきた。マラソンするなら家の近所でけっこうだと思った。

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