こんばんは、匤成です。
前々から書こうと思っていて、忘れるところでした。今日8月13日は、僕にとって唯一無二の青春の日でした。
1996年、僕は高校生でした。音楽の先生に恋をしていて、夏休み前に告白したんですね。それでもちろん断られたわけですが、代わりにして欲しい事はないか?と訊いてくれました。それでその頃から詩を書いていたので、まだ冷めぬ気持ちをもう一度伝えるような歌詞を書いて曲をつけてもらう事になりました。
8月13日 火曜日
そう、自分の詩に初めて曲がついたのが、24年前の1996年8月13日火曜日だったのです。僕が高校生で【8月13日火曜日】だと覚えていたので、年をさっき調べてきました。そうしたら1996年でした。
作詞というのは、国語の授業で教科担任の先生が楽しんでもらおうと自作曲のデモCDを持って来て、それに歌詞を書くのが授業でした。ギターを弾ける彼は3曲くらい作ってきて、各自好きな曲に詩を充てるというものでした。
その時の詩とは別に新しく書いたものを、国語教師の先生の家で、国語教師・音楽の先生、そして僕の3人で曲をつけました。僕は音楽はまだ作っていなかったので、実質大人2人が曲を充てた事になります。DTM(パソコンでの作曲ソフト)を持っていて、それで打ち込みをしながら、またギターでコードを組みながら作曲をしました。
ティラミスが冷凍庫に
その時、僕はおやつにティラミスを持って行きました。国語の先生が知らずに冷凍庫に入れたため、おやつの時間にはカチカチのティラミスを匙で打ち叩きながら崩して食べたという、絶対に忘れないエピソードが出来ました。
おやつを食べると、音楽の先生は眠くなったらしく、彼氏でもない男の家でガチ昼寝をしました。僕は眠くなかった。いや少し眠かったかもしれない。壁に凭れて寝こけている、恋した女性の横で僕は寝たフリをした。運命なんだ、やっぱり僕たちはと思ったんです。この感情も、彼女の寝顔もまだ覚えている。
作曲を始める
それほどに詩に曲がつくというイベントは、僕の中で一番強いインパクトを残してくれました。それから僕は7万7000円という有り得ないお金をはたいて作曲ソフトを買ったのです。シンガーソングライターと言って、今では初心者向けでしかないソフトで何曲もの曲を書きました。今はCubaseなんかがよく使われるし、もっとアーティスト向きのソフトもあります。
その時の1曲はまだ家のどこかのCDに入ってるはず。その名も「One Side Love」でした。♭4つの変イ長調なのに、D♭から始まるという似非音楽コードで作りました。歌入れもしたけど歌詞はどこ行ったかなぁ?
それから恋をする度に曲を作った。僕が好きな「オレンジフレア」も好きな女性のイメージに感じた花のイメージなんですよ。24歳の時でした。
今でも曲を作りたいと思う事はある。絶対音感はないし、感覚でプレイはできない。デイサービスの人に「僕ね、曲作ってたんだよ」と言うと、「また作りましょうよ」とけしかけられています。
今はギターなど直接レコーディングして、曲想も変化もつけられるので、打ち込み一本の僕は少し臆しています。懐かしい思い出で少しハッピーに眠れそうです。匤成でした。
徒歩出移行さんの投稿より
https://note.com/tohode15/n/n905612758278
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