余剰_余情_四畳/yojo
・えらい速度で冬の終わりから春を駆け抜けていった。5月も半ば、ゴールデンウィークを終えて初夏の気配。世界は昨年と然程変わらない。いや、マスクが必需品となり、「感染」に対してのリテラシーは高まった。そして「終わり」を意識しなくなった。どのみち慣れてきた。自然と新しい生活様式というやつに身体が適応し始めた。
・東京では禁酒法が施行されている。完全な禁酒のソレとは違うが、「誰かと会って店で飲む」みたいな機会は根こそぎ失われてしまった。僕は元々酒を飲まないので正直これにはあまり困らない。ただ、周りが困っているのだ。つまらなさそうなのだ。普段の発散の場、愉悦のひとときを奪われた仲間たちを見るのはいささかキツいものがある。かと言ってこれが間違いだと思うか?と問われるとなんとも言い難い。店が開いてないことに関しては不便ではあるが。
・駆け抜けていった季節の間に、僕の所属するバンド、ヨルニトケルは新作音源をリリースした。収録曲は2曲、両方ともミュージックビデオを制作した。リリースから2ヶ月が経過した今ならば、はっきりと「既に過去」と言い切れるが、僕にとってはリリース前から既に過去曲ではあった。制作者なので当然ではある。ただ、世に放たれて初めて、楽曲には客観的意味がもたらされる。更には、この楽曲、ひいては我々ヨルニトケルと、「明日以降の未来」に、出会う人だっているのだ。全方位の時間にアンテナを張っておかなくてはならない。過去や未来が現在を助けるなんてこと、ザラにあるのだから。シナリオはいつも、 Déjàvu…。
・ちなみにリリース直後から1ヶ月ほど、収録曲「es」が、Apple MusicのJロックカテゴリにおいて、「注目トラック」として取り上げられていた。(現在は外れている。)毎週ニューリリースされた音源から注目すべき楽曲を取り上げ、100曲程のプレイリストの中にぶち込み、随時新しいものが入り、古いものが排出されるという、そのApple MusicJロックの新陳代謝の中に、我々の楽曲が入っていた。大御所やら勢いのあるアーティストに入り混じり流れる自分の曲は、なんだか新鮮だった。我が子の活躍を見る時、こんな気持ちになるのだろうか。
・リリースと共に発表したことだが、ギターアンプ・BadCatの使用者として、公式サイトに掲載された。外タレや尊敬する方々と並ぶ自画像は、2020年初頭撮影のモノである。実は結構前から掲載していただけること自体は決まっていたのだけれど、世間がこんななんでね…と、メーカー側と相談していた結果、1年以上寝かせるに至ったわけだ。これは素直に嬉しく、同時に良い音を追求していくことを課されたことでもある。ちなみに、「カタログに載るぞ」とデカい声で言っていたのが効いたらしい。BadCatにはカタログが無いらしいので、相当するこちらのサイト掲載になったわけだ。BadCat、島村楽器、末長くよろしく。
・明け方、風呂に浸かり、LUNA SEAのベストアルバム「PERIOD」を聴きながらこれを書いている。LUNA SEAを知ったのは、バンドメンバーである木野君の影響だ。LUNA SEAの「MOTHER」と「PERIOD」を彼が持っていて、それを借りたのがはじまりだ。僕は代わりに、ラルクのなにかしらを貸したと思う。友人とのCDの貸し借りは、時にTSUTAYAのpopよりも信頼できた。そんな時代だった。(当時、僕らの地元にはまだTSUTAYAが無かった)
・多感な10代の頃に憧れていたものは、いつまで経っても色褪せないのだと思う。好きなものも嫌いなものも等価値で、ルーツとなっている思考/嗜好により、その判断を下すけれど、少年時代に見ていた景色は良くも悪くも消えず、判断の外にある。多くの場合はルーツに直結していると思う。振り返ればヤツがいる、というのは、時に大きな安心感にも繋がる。振り切るほどの未来を自分の手で掴み取りたいものではあるけれど。男なら。
・自分の外側から、自分の内側を見出す、ということをやっている。暮らしの中で思うことがないのなら、無理に何かを叫ぶ必要もない。いつだって終わるし、いつだって始まる。いつだって特別で、いつだってなんてことがないのだ。
・憧れへの初期衝動で割と生きていた。今は当時の衝動にすら憧れる。いろんなものを見て、知って、触れて、手にして、壊して。おおよそルーティーンとも言えないような生活をしていたつもりが、大枠で見た時は確実にルーティーンで、それは自分にとって、性に合ったものだったことに気付く。起床6:00、就寝22:00、みたいなものは守れた試しがないけれど。そうなると不思議と、なにかがうごめくような感情にもなったりして。後期衝動、いや、好奇衝動とでも言おうか。(検索候補がいい仕事をした)
・「簡単に消えない感情、静かに消えていく思い出」なる歌詞を書いた。いつにも増してストレートで、人を選ばないような言葉たちだ。でもそれでいいのだと思う。悲哀と慈愛はセットにしてはじめて優しく飲み込める。余剰が溶けていく中で余情に浸る四畳、この浴室はそんなに広くはないけれど、明るくなる空を無視して、言葉遊びに意味を持たせたりしていたい。今は何だかそんな気分で。こうして昼間学校に行かず、大学を留年していたことを思い出した。これもまたルーツ。
fusetatsuaki
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