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S/es

・精神を蝕まれていた。元々そういうやつではある。出たとこ勝負!なのが人生だと思っているけれど、それでも破壊された夏になったことは否めない。

・ただ暑かった。バテが酷かった、ということで全て処理するのが賢明かもしれない。

・9月になった。8月後半はどうしても考えることが多くなりがち。更に今年は色々と例年通りとはいかなかったので、割とどうしようもない気持ちになっていた。生活に、重なる1秒に、次の1日にやられていた。どう生きるか?みたいな部分って、結局は選ぶ側の問題でしかないと思うのだけど、「選択肢に至るまでの選択肢」があまりに多いと、人は動けなくなる。そうしたら8月なんてすぐに過ぎ去ってしまった。

・生まれた日が近付くにつれて緊張感が高まって、当日を迎えたら多幸感に包まれる!という流れが例年あった。今年はそれがない。年齢を重ねることは嬉しいはずなのに。日常の中にある特別な日というのは、演出を施してこそなんだなあと。今年はなんの仕掛けもしていない。ちなみに12日。32歳になる。

・友人数名がフライングで「誕生日おめでとう!」の連絡をくれている。直接、個別できているのでどうやらネタとかではない。別の世界線の自分の誕生日とか、少し意識してしまう。マンデラエフェクトみたいなことが起こっている気がしてしまう。「某SNSが今日誕生日って表示してた」から、連絡をくれたという友人もいた。俺の誕生日って本当に12日で合ってるのか?

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上記の内容までが、9/7までに書き上げた部分。おそろしく筆が進まなかった。自分のことなんて全くコントロール出来ない割に「らしくないわな」とか思ってしまった。

・「らしくない」と思った理由としては、「やる気が無いからやってない」のではなく「やる気があるのに進められてない」状態だったからだ。改めて、気持ちだけではどうにもならない部分を痛感したりした。金属バットの漫才の終わり方によくある、「おらおらあざしたぁ!」みたいな勢いというか、あのノリで常に生きていたいなあと切に思う。(気になる人は見てみてね)

・無意識の部分で抵抗や拒絶を示していることというのは、意識でなんとかできるわけではない。やれたとしてもいずれガタが来る。心か身体か、違和感を覚えたなら一度休むことをオススメする。休み続けていると不思議となにかやりたくなったりもするので、そこから動くといいかもしれない。

・「そこから」って打ったのに入力された言葉が「さかな」だった。無意識がさかなを欲している…?

・最近は眠りが浅いのかよく夢を見る。大体学生になっていて、架空の同級生たちとなんてことのない日常を過ごしていたりする。あれって誰なんだろう。夢は脳の調整、記憶の整理の際に見るものと聞いたことはある。そうなると、自分の見たもの聞いたものから、彼らは生成されているはず。自分の中にしかいない存在。イマジナリーフレンドとかX番目の人格とか、案外簡単に生まれてくるのかもしれない。

・ちなみに僕は、過去の記憶に現実なのか夢なのか混同しているものが多々ある。というか「これどっちだったっけ…」というものが多い。AルートBルートみたいなのが、両方記憶にあるのだ。例えば、卒業祝いにみんなで行った焼肉屋がAだったか、またはBだったか、みたいな。本当に些細な部分で、別にどちらだったとしても問題は無いのだが、なんか、両方行ってる記憶があるのだ。どこかのタイミングのものと混同している可能性が濃厚ではある。それでも、自分の中では、そのタイミングで両方のルートを選んだ自分が記憶にあるというか。

・記憶とか過去とか、改めて不確かなものだなと思える。

・この記事が公開された数時間後、僕は32歳の誕生日を迎える。やはりここまで(1つの記事を数日かけて書いてきてはいるものの)実感がない。ただ、いよいよ本当に大人だな、というか、「自分なんて全然ですよ!」とか思ってた割には悲しくも出来てしまうこととか言えてしまうこととかが生まれてきていたりして。「責任」というものを一層負っていくことになるのだろうな、と思う。

・音楽や付随した活動のことばかり考えていた20代、その終わり辺りで転機が訪れて、壊れたものも得たものもどちらもある。30代に入って少しだけ時間が経った今、「人間として」という部分で考えることが多くなった。これから先、40代、50代と続いていくなら、どう在るべきか?という問いを、自分に投げかけることが増えた。

・「1秒ずつ死んでいる」とは、僕の座右の銘のひとつであり、逃れようのない事実である。「30なるまでに売れてやる!」みたいな尖りや必死さを上京当時から持ってはいたものの、いざ「大人たち」に囲まれて「仕事」としての音楽活動をするとなると、見えてきたものは違っていた。「自己肯定/否定」というものは常に繰り返されるものではある。ここにないものを見過ぎで、手の中にあるものを忘れがちだ。僕は20代の終わりに、「何処か安心していた自分」を殺した。「これをやってさえいればいい」みたいな感覚では生きていけなかった。自分の時間を自分の為に使う、その為の選択だった。

・30代になり、コロナ禍となり、本当に色々なことを考えた。ことあるごとに僕は「青森に帰りたい」と思ってしまう。これは帰巣本能みたいなもので、視覚の情報量を減らして、穏やかな気持ちでいたいという部分が大きい。両親のことも気にしている部分はあるし、リモートという言葉が蔓延した今では、「現在地」の概念はあまり重要ではないような気もして。それでも、やはり基盤となるのは当然東京だ。バンドで音を鳴らす時間や、急に連絡してきた友人と会う時間は、多幸感に包まれる。こればかりはリモートでは味わえない。どうしたって、僕たちは生身で生きているわけで。

・ただ、「青森に帰る」は資金と時間の問題をクリア出来れば可能であることに気付く。青森に住んでいたって、誘われたら行けばいい。リハがあるなら、ライブがあるなら、東京へすぐ向かえばいい。4時間あればスタジオから実家までいける。(実際にリハ終わりで帰省したことがある)

・「これは無理では?」という制限をかけているのはいつも自分だ。問題点を洗い出して、クリアするための道筋を見出せたなら、後はそれを実行するだけだったりする。ただその実行に至るまでが厄介なのだ。なんやかんや理由をつけて面倒くさがる。みんなそうだ。特に僕もそういう奴だ。それでも今は、面倒くさがらずにそこに向き合うことで面白いことが生まれるような気がしている。やったことないこと、知らないことは怖い。だからこそ飛び込みたい。20代の頃にはこの考えには至れなかった。

・「変わらないために変わり続ける」とはよく聞く名言だ。その意味がわかってきた。自分の生活や自分の音楽を、より良くしていきたい。その為に必要なものが沢山ある。今まではそれをぼんやりと眺めているだけだったが、これからはそこに手を伸ばすどころではなく、しっかりと掴みにいきたい。

・こんな気持ちになったら自然と身体は動いたし、なんだか歌にも力が宿った気がしました。配信ワンマンで出せたらいいな。この感じ。(チケットはここから買えます)

・そういうわけでこの記事が公開された数時間後、僕は32歳の誕生日を迎えます。32…?自分でもビビる。なんかもっと大人だと思っていた。色々。見た目も中身も。でもまあこんなもんなんでしょうね。祝い金という名のサポートはいつでもお待ちしておりますので、何卒よろしくお願いします。来年はギター弦をおねだりさせてください。本当はイベントやりたかったです。悔しいが仕方ない。配信ワンマン「GHOSTS」を楽しみにしていてください。ここにぶつけましょう様々。

・しかしまあ、22から音楽活動をして世に出ているので、10年経つわけですよね。歴史…そりゃある程度は積もりますね。…改めて皆さま、いつも応援ありがとうございます。生きられている一端には、確実にあなたが僕のことを認識してくれているから、というのがあります。自分以外の誰かの中に自分の存在が生きていること、それだけで僕は、本当は嬉しく思えるので。

・ということでここから数日、うまいものを食って自分を祝いたいと思います。東京は全部ある。そこだけは褒める。便利。

fusetatsuaki


僕が良質な発信を行い続ける為には生きていないといけないので、サポートしていただけたらその金額分生きられます。主に家賃に使います。