思いのまま
どうも中央です。昔から文章を書くのは好きだった。
卒業文集とか、弁論作文とか。周りが
「何書くか決まった?」
「ゼンッゼンキマッテナイー詰んでるー」
「みんなありがとう的なことかいときゃ良いよね笑」
みたいな会話をしていた中で私はとても便利な機能を持っている。
「自分が考えてたことを手が自主的に出力してくれる」ということ。
私は常に何かを考えている。ぼーっとしている事がまぁまずない。何かを考えてる。
寝る前とかも、考えの延長線でだんだん夢を見るような感覚。どこからが顕在意識でどこからが潜在意識か境界線がふわふわしている。
このレベルなもんだから今考えてることを出力するだけで良いわけです。
中学の卒業文集。
作文って簡単だねぇ〜^_^もうちょちょいのちょいですわ!!!
って思ってたわけ。
すーぐ完成させて提出した。
速攻で書き直しをくらった。(添削ではない)
まぁ大体察しつきますわな。
こういうのはセオリー的に親への感謝やら、思い出やらを書くのが一般常識だった。
そりゃそう。
何書いたか微妙に覚えてないけど、多分小説?怪文書?を書いた。
怪文書を卒業文集に紛れ込ますためのカモフラで「踏み出す夢」みたいな題名にした。
本当に自分が見た夢の話をした。その当時は都市伝説で夢日記をつけるとヤバいみたいなのがチラホラ噂されていた。(悪夢が現実となって夢の世界から帰れなくなるみたいな。)
そのため、結構自分の中でも「夢」について語るのは怖かったけど、何日かの夢の記憶を、手は勝手に原稿用紙に書き続けていた。
内容はよく覚えてないけど、多分夏目漱石「夢十夜」の下位互換みたいなやつだったと思う。
今考えるととてもイタい人だったと思う。
ま、その文章を文集に載せるわけにはいかないってことで書き直し。
その後、これなら良いだろうと思い、
「登下校の道」みたいな題名で家から学校までの道と、その道で起こった思い出を事細かに書くのをやった。
そしたら個人情報(自分のみならず友達の家等。でも一応許可は取ったんだけどね)がダッダ漏れで、万が一をもって書き直しになった。
これはまぁ確かにぐうの音もでない。
そこで私は諦めて、三年間の思い出みたいなやつを書いたんだと思う。思い返せば確かに全然筆は乗らなかった気がする。あと、すっごい字が汚かったから、嫌だったんだろうなぁ〜って思う。
読んでてもらつまらなかった。
「周りの人のおかげで成長できました。ありがとう」
みたいなことを書いてある。
悔しかっただろうなぁっていうか、ルールがあってこうやらなきゃっていうのを1番最初に言われなかったからわかんなかった「自分」にもちょっと、ショックを受けてるのかもしれない。
みんなはわかってるのに自分は察せなかった。
これ結構怖いよね。
ま、今なら反発してでも「我が家で大人気カツ丼の作り方」とかで書いちゃうだろうよ。
こうやってたくさん消えてった言葉ってあるんだろうと思うとnoteは自由で好きだ。
すごい物腰柔らかそうなイメージの人から信じられないくらいの「死」を感じさせる文面が面白い(笑い事ではない)。現実世界でこんな人も生きてるんだなぁ…どんな人がかいてるんやろなぁって思う。
あーなんか考えてたらお腹空いてきたわ。
カツ丼食いたいカツ丼!
あと歩きたい。人が多いところ。出るかぁ…繁華街。
なので池袋駅まで遠路遥々現れて西口を真ッッッすぐ進んだ。要町駅までなんだかんだ歩いて、その後も歩いていた。
そしたらね!あったのよ!!!
お蕎麦屋さん。ドキドキしながら入っちゃった。こーゆーお店って大体常連の方がいてさ、なんかきまづ〜くなる(勝手にそう思ってる)のなんか…と思ったけど、そんなことなかった。
少し小さめの地域の人に愛されてるお店って感じ。店員さんも、厨房にいる人もニコニコしてて丁寧。
カツ丼!!!!!
これがまぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁあぁじで美味い。
味がしっかりしてて。これぞカツ丼って感じ。
「蕎麦屋のカツ丼」のイデアかもしれない。
東屋のカツ丼もまじで美味しいんすよね。うわー良いわ〜。幸せダァ〜。
ご馳走様でございました。あっちゅーまにぺろり。
さてまた歩いて腹ごなししたいと思います。
いっぱい食べると帰るのめんどくせ〜なげーんだよなぁ帰り道。
それではまた明日。
中央でした。
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