よごれた服
我が子は可愛い。
しかし、口でどんなに可愛いと言い、心で思っていたとしても、ふとした瞬間に「子どもよりも、結局自分が可愛いのだ」と悟って恥入る時がある。
分厚い雲の広がる午後のことだった。
数日前から雨が降ったり止んだりを繰り返し、その日も午前中は雨が降っていた。
公園で遊びたい娘はひっきりなしに窓ガラス越しに空を眺め、午後になってようやく雨が止んだことを知るやいなや、「公園に行こう!」と叫んだ。
予報は、その日の午後は雨が降らないと告げている。
娘に靴を履かせ、共に家を出た。
家の近くにある広い公園には、雨が降ると決まって大きな水溜りができる場所がある。
公園に着くと、娘はその水溜りを見て目を輝かせた。
靴先で水をぴちゃぴちゃと弾きながらも、さらに中に入りたくてうずうずしているのが伝わってくる。
汚れてもどうせ洗えばいいのだからと思い、「入ってもいいと」と声をかけた。
どんなに嬉しそうに遊んでいたことだろう。
水溜りの中を駆け回り、ズボンも服も、もちろん手足も泥だらけになった。
あまりにも娘が楽しそうに遊ぶものだから、近くで遊んでいた数人の小学生たちが水溜りの遊びに加わった。
しかし、春先のまだ気温も上がりきらない季節である。
夢中になって遊んでいる娘はいざ知らず、側で立っている私は次第に寒さが堪えてきた。
「そろそろ帰ろうか」
「もうちょっと遊ぶ」
このやりとりを何度か繰り返したあと、ようやく娘は水溜りから上がった。
水溜りの近くには、いくつかの遊具があり、その一つにうんていがあった。
「やりたい」と娘がうんていを指差した。
娘の力ではひとりでぶら下がれないので、親が抱えてやらなければならない。
「いいよ」と言い、娘を持ち上げた。
娘は力を込めて鉄の棒にぶら下がろうとする。
そのとき、反動で思いっきり足を蹴り上げた。
避ける間もなく、その足は私の身体に真正面からぶつかった。
先ほど水溜りで遊んでいた、泥だらけの足である。見事に私の服にも泥がついた。
怒りが心の内から湧き上がってきた。
「もう帰ろう」
厳しい声で娘に言いつけた。
そのときの私の顔を見ることができたら、きっと恐ろしい表情をしていたに違いない。
それから、「もっと遊びたい」と訴える娘の声もろくに聞かず、引っ張るようにして家に帰ってしまった。
散々、子どもと遊ぶ時間を大切にしたいと言いながら、ふとした瞬間に自分の身勝手さが現れる。
たかが服である。しかも、子どもの服は洗えば済むと思っていたのに、自分の服では同じように思えなかったのだ。
汚れたら洗えばいい。そもそも汚れて困るような服なら最初から着て来なければよかったのだ。
家について人心地ついたとき、私の言動を娘はどう感じただろうと思うと、ひとりで顔が赤くなった。
優先すべきはなんだったか。
優先すべきものを優先せず、人を振り回してしまう。
我が子だからよいと思うのであれば、他の人に対しても同じようにしてしまうのが私の心ではないかと思うのだ。