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月に一度の礼拝会〜愛に生く教会〜
「教会に行ってみよう」
そう思う時って一体どんな気持ちでしょうか。
存在は知っていたものの、自分には縁のない場所だと感じていた場所に、足を踏み入れる気持ち。
教会に行こうとした理由は、人によって様々なのだと思います。
ふとした興味本位で、
留学先でクリスチャンになったから、
友達に行こうと誘われたから、
それとも、ここには何か自分を救ってくれるものがあるのかもしれないというわずかな希望を持って。
私自身は、進んで自ら知らない場所に行こうとする性格ではないので、
友達に誘われなければ、今もキリスト教とは縁のない生活をしていたと思います。
月初めの日曜日。
この日は、私たち夫婦の自宅を開放して、イエス・キリストを礼拝する会を開いています。
始まりは一人の声。
「共にイエスさまを礼拝したい」
その声に応える形で、7月から我が家での礼拝会が始まりました。
そうなると、私たち夫婦が礼拝会のあるずいぶん前から考え始めるのは
その日のお昼ごはんのこと。
「しゃぶしゃぶがいいかな、お寿司がいいかな。そうだ今回はチラシ寿司にしよう。」
美味しいものが好きな夫の有生は、大変な気合の入れようなのです。
そうしてチラシ寿司を作るための寿司桶を購入したり、スーパーで具材を揃えます。
季節のものとして、サンマも食べようと決めたら、それを聞いた友人が北海道のサンマを送ってくれました。
どんどんその日が待ち遠しくなって、
その時だけは家中を念入りに掃除をします。
私はいわゆる教会で、何年間か下宿生活をしていたことがありました。
教会にとって、礼拝がある日曜日は一番重要な日だったので、
土曜日にはみんな大忙しで準備をしました。
土曜日には、0時より前に就寝したことはほとんどなかったと思います。
その頃は、礼拝の準備はとにかく早く終わらせようという一心でやっていました。
それでも、いつもとは違う雰囲気が味わえる日曜日が来るのは好きだったのです。
現在自宅を開放して、礼拝の準備をしているときに気づいたのは
これは大切な友人や家族を家にお迎えする時と同じだな、ということ。
来てくれる人のことを考えながら、
料理をしたり、玄関先を掃除をしているとワクワクします。
少ない人数での集まりだからこそ(そして月1だからこそ)、そう思える余裕があるのかもしれませんが
こうやって丁寧に準備ができることに感謝しています。
初めて礼拝というものに参加する人の気持ち、
初めてクリスチャンに会う人の気持ち
色々な思いを持って来られる方々の気持ちを、受け止められる場所を作っていけたら、と思います。