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計画通りに行かない誕生日と、お母さん5年目の決意。

「今日は誕生日だよ!4歳になったの!」

朝、そろそろ起きて朝ごはんの準備やら掃除やらを始めようかとごそごそしていたら、急に背後から声がした。娘だった。まだ6時過ぎなのに、きっと嬉しくて早く目を覚ましたかったに違いない。

「誕生日おめでとう!」
満面の笑みの娘。この日が来ることを、何日も前から楽しみにしていて、友人からもらった大きなカレンダーの数字に、毎日シールを貼りながら自分の誕生日が近づくことを確認していたのだった。
そんな娘の姿に、自分の子どもの頃の姿が重なる。私も誕生日を心待ちにしていた。いや、誕生日そのものよりも、「おめでとう」と言われて祝われることが嬉しかったのかもしれない。きっとそれは娘も同じ。

いつの間にか起きてきた夫も、おめでとうコールに加わる。

その日は幸いにも日曜日。
幼稚園がないので、家族で娘を祝うための計画をたくさん立てていた。

まずは、娘と一緒にバースデーケーキを作ること。
夫が(彼がプレゼントしたダンボールカッターで)恐竜のマスクを作ること。
夫が娘の大好きなミネストローネスープを作ること。
私が娘の好物の長芋とレンコンのふわふわおやきを作ること。
そして、家族で近所で開かれているマルシェをのぞきにいくこと。

でも結果どうだったのかと言うと、その計画の半分くらいは実行されなかった。なぜならお昼ごはんを食べている途中で、突然娘が「お腹が痛い」と言ってそのまま布団で眠ってしまったから。

お昼ごはんを前にして、少し顔を赤くしながら「お腹が痛い」と繰り返している娘。
「トイレ?」と聞いても「違う」と答える。
夫が作った大好きなミネストローネは一向に箸が進まず、見かねた夫が「一緒に横になろうか?」と声をかけた。
娘は素直に頷く。
残された私と息子。

子どもたちは本当に頻繁に体調を崩す。それは娘が幼稚園に通い始めてから痛感していることでもある。そして意外にも治りが遅くて、見かけには元気そうでもいつもよりも疲れやすかったり、食欲がなかったりするので、侮らずに様子をよくみてやらなくては、と思う。

夫が何度も作っているミネストローネ。
野菜スープと言って良いほど、具がたくさん。ザクザクと切られた野菜が柔らかく煮込まれていて、美味しい。
娘が残したスープも平らげたあと、ケーキ作りの作業を進めておくことにした。

床に置かれたおもちゃで遊んでいる息子を横目で見ながら、小鍋に牛乳を入れて温める。


娘が産まれたとき、最も欲しかったのは「ひとりの時間」だった。
子どもの声、子どもの世話から切り離されたところでひとりになりたかった。
望んでも、望まなくてもオムツが汚れたら替えてやらなくてはならないし、お腹が空けば食べさせてやらなくてはならない。大泣きすれば、抱き上げてやらなくてはならない。
「お母さん」というのは、休みのない新しい仕事をもらったようなもので、たまには休みの日をくださいよ、といつも思っていた。

でも、いざひとりになってみると、考えるのはいつも子どものこと。
これじゃあ意味がないなと内心苦笑いながら、すぐに恋しくなって子どもたちのところに戻るのだった。

行動も、そして考えさえも、子どものことでいっぱい。
自分がやりたいことに一直線に進んでいる夫を側で見ていると、応援している気持ちの反面、どこか羨ましい気持ちもあった。

こんな風に子どもたちに時間を遣いながら、私はどうやって自分の人生を歩んでいけばいいのだろう。
そのときの私は、自分のための時間は、子どもたちのために遣う時間とは完全に別のものと考えていたのだろう。
だから、少し苦しかった。

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イエス・キリスト大好きな夫と、ふたりの子どもと過ごす日々。 暮らしの中の気付きや学び、時に見つけたありふれたものの持つ輝きを書き留めておく…

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