我が家で毎日食卓にのぼるもの
結婚してから初めて食べたものがある。
ひきわり納豆だ。
いや、初めてというのは嘘だ。納豆巻きを食べたときにそれと意識することなく口にしていたはずだから。
ともかく、これがひきわり納豆なのだとはっきりと自覚して食べたのは、結婚後のことだった。
結婚する前は納豆を好んで食べてはいなかった、と思う。
出されれば食べるけれど、自ら積極的に納豆を手に取ったりはしない。
ちなみに、納豆に対して中間的な立場は存在しない。そう思っている。
私が知る限り、納豆が好きな人はとことん好きだ。
いや、好きという表現も正しくはないのかもしれない。それは水か空気のように当たり前な存在で、冷蔵庫の中には常に納豆がある。
納豆を食べない人は、ほとんど、もしくは全く食べない。
普段は納豆の存在なんて、家の側に立っている邪魔な電信柱ほどに忘れていて、白米のお供に漬物とか梅干しなんかがあれば満足してしまう。
結婚する前は、私は後者だった。
結婚後、納豆好きの夫のためにスーパーで納豆を買おうとしたとき、その種類の多さに驚いた。
小さなスーパーに10種類はくだらない納豆がひしめき合っている。値段も2桁のものから、300円台のものまである。
とりあえず「国産」とでかでかとした黒文字で書かれた納豆をしばらくは買っていた。
ある日のこと。
「これを食べてごらん」と夫が納豆を差し出した。
パッケージにひきわり納豆と書いてある。
その頃には、私も常に冷蔵庫に納豆をストックする大量納豆消費者、つまるところ納豆好きになっていた。
差し出された納豆の、白いスチロールの蓋を開けてみる。
粒がこなごなになっている!
それまで食べていた納豆の粒が、籠に盛られたフルーツのように一粒一粒その存在を主張しているのに対して、ひきわり納豆は、皿に乗った冷奴のごとく、パックの中にひとつの塊となって収まっていた。
夫の強い勧めでご飯に乗せて食べてみた。
あら、おいしい。
粒が小さいから白米とよく絡む。
粒の大きさだけでこれだけ変わるとは。
納豆のバリエーションの多さを舐めていたのかもしれない。
またひとつ、美味しいものを知ってしまったものだ。
最近は夫と私と娘、3人で毎日のようにひきわり納豆を食べています。