一年間「大変だった」と言えることも「良かった」と言えることも、大切な人がいたから
「今年はどんな一年だった?」何度となく夫婦の間で繰り返されていた質問は、その度に違う答えになった。
単純に「良い一年だったね」と言う時もあれば、過ぎた一年を通して経験したこと、出会った人のことを振り返りながら、印象に残ったことを話すこともあった。
でもある日、夫が同じ質問をした時、「一年間大変だった」という言葉がつるりと口から出てしまった。
言葉にすると、苦々しい感情がふっと心の中に落ちてきた。
そうだ、大変だったのかもしれない。
2月に経験した初めての出産。そして終わることも途切れることもない子育て。こんなにも子どもを育てるということが時間も心も体力も使うものだということを知らなかった。私が軟弱なのかもしれないけれど。でも自分が望む、望まないに関わらず、100%の愛情を求める我が子と向き合い続けるのはそりゃあまあ大変だった。
一年を総括する言葉が「大変だった」ではなんだか報われない。そんなつもりではなかったのに、言葉にすることでずっと心の奥にあった感情が不意に現れてしまったようで、一人で勝手に暗くなってしまった。もうすぐ年越しだというのに。
夫は私の感情の変化を察したようで、すかさず労いの言葉をかけてくれたが、素直に受け止めることができなかった。
思えば、私はこの一年、夫にとっても良い妻だったのだろうか?子どもが生まれて、妻は妻兼母へと突如変貌した。柔和であったはずの妻は、主張の強い母となった。生活の中心は子どもになり、常に夫に対して「あれをして」「これをして」という要望ばかりではなかっただろうか。私は夫に苦労をぶつけても、夫はそれを受け止めるばかりで、どこにも吐き出す場所がなかったのではないだろうか。
いや、でも私も悪かったところだけではない。毎日、料理、家事、掃除をこなした。夫が泊まりがけで仕事に行く時も、文句を言わずに子どもと過ごした。
自分をあれこれと評価する不毛なリストを頭に巡らせていると、引き寄せられるように評価の対象は自分から夫に移るのだった。
夫は滅多に料理をしてくれない。結婚当初はあんなにしてくれていたのに…。もっと子どもを見てくれてもいいのではないだろうか…。
でも夫はこんなにも全力で仕事をしているではないか…。
この不毛なリストは少しでもマイナスが多くなると、自分自身を自己嫌悪に、そして夫には糾弾してやりたいという思いを起こさせるのだった。
なんて嫌な人間なのだろう。
夫とも口をききたくなくて、早めに子どもを連れて寝室に入った。
しばらくすると、暗闇の中、夫が部屋に入る気配がした。
隣で夫が横になり、しばらくしてからささやくような声が聞こえた。
「僕はふさこちゃんを愛しているよ」
私は何も答えなかった。愛しているという言葉よりも、私が欲しいのは私を何かの行動で助けてくれることなのだ。心の中でつぶやいていた。
夫はもう一度言った。
「僕はふさこちゃんを愛しているよ…
愛は無条件なんだよ」
しばらく間があって、夫は続けた。
「ふさこちゃんは僕を愛している?」
答えられなかった。
例えば夫が、もっと家事をしてくれたり、もっと子どもの面倒を見てくれたり、もっと一緒に過ごす時間をとってくれたら、その時に私はようやく夫を愛していると言うのだろうか。そう考えているとなんだか泣きたくなった。
結婚する時、「あなたを愛します」と言った。その時の愛はどんな愛だっけ?
「愛は無条件なんだよ」
その言葉を何度も何度も反芻させているうちに、隣から規則正しい寝息が聞こえてきた。
私は今日、不機嫌で扱いづらい、嫌な女だった。
そう自覚があるからこそ、「愛している」は思ってもみない言葉だった。
でも、その言葉は頑なになっていた心を溶かした。
プラスとマイナスの長いリスト。どんなにマイナスが多かったとしても、愛されているという事実だけで、全てが帳消しになった。
「良い一年だった」
良いという言葉の裏には、たくさんの出来事がある。
嬉しかったことも。泣きたくなるようなことも。
でも「良かった」と言えるのは、自分を大切に想ってくれる人がいるから。そして、大切に想っている人がいるから。
良い一年をありがとうございました。
今年もまた、よろしくお願いいたします。
(写真は今年最もお世話になった物。スマホとペン。)