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「自分に自信を持つために」今日からできること
キリスト教会の牧仕をしている夫、石川有生(通称ともみん)。
半径3メートルから綴った、そんな彼の想いと生き方。
8月29日
その日の夫の仕事はYouTubeの撮影だった。
彼は自身のYouTubeチャンネルで、キリスト教や宗教にまつわる内容を投稿している。最近ではゴスペルシンガーの矢嵜風花さんと一緒にコラボ動画を挙げている。
帰宅した夫に「撮影どうだった?」と訊ねると、「今日はね、『どうやったら自信が持てるか』という内容で話したよ」という返事が返ってきた。もはやキリスト教との関連がよくわからないところが夫らしい。
「どうやったら自信が持てるの?」
動画の公開を待たずに夫に聞くと、簡潔な返事が返ってきた。
「自分で自分を褒めるんだよ!」
「自分の頑張ったこととか、すごいなと感じるところをとにかく自分で褒めるの」
そう話す夫を見ながら、確かにいつも自分で自分を褒めている夫の姿を思い出した。
✳︎
夫がたまに料理を作ってくれることがある。
5歳頃から包丁を持って魚を捌いていたという夫。料理には元から自信がある。
そして彼が作った料理を2人で食べると、いの一番に「美味しいね!」と自ら声を上げる。
そして「天才かもしれない!」と更に自分を持ち上げる。
時には味付けや調理方法がしくじることもある。夫はあまりレシピを見ず、自分の勘と経験を頼って作るので、予想外の出来上がりになることもゼロではない。
そんなとき、「いただきます」をして料理を口に運ぶ夫は、さすがに神妙な顔をしている。しかし、二口、三口と続けると「なかなか美味しいね!」と言い始めて、食べ終わる頃には「今日のご飯もとっても美味しかったね!」と晴れやかな顔をしている。
これがもし、逆の立場で、自分の作った料理がイマイチだったら、わたしは食事の間しばらくは落ち込んでいるかもしれない。そうじゃなくて、美味しく作れたとしても、自分から「美味しいね!」とはなかなか言えないものだ。(最近は夫の影響で少し言うようになったが)
自分じゃなくて、あくまで他の人が自分を褒める。そう信じてきたわたしにとっては、あけすけと自分を褒める夫の姿が当初は気になって仕方がなかった。
特に、かつて通っていたキリスト教会では、ちょっとでも自分が得意になる瞬間があると「傲慢だ」と叱責された。得意になってはいけない。自分で自分を褒めるなんてもってのほか。そんな考えに慣れていたわたしにとって、夫の姿は衝撃だった。
しかし、夫と共に暮らしながら、夫が自分を褒めることでいつも自分を肯定的に捉えながら生活している姿を見て、言われていたような「傲慢さ」なんてどこにもないことに気付いた。
それどころか、「今日もよく頑張ったなあ」と労ったり、「すごいじゃん!」と自分を褒めることは、自分の心を健全に保ち、意欲的に過ごす力になっているようにも見えた。
✳︎
「確かに、なかなか自分を褒める人っていないよね」
「そうだよね。どうしてみんな自分を褒めないんだろう」
そうつぶやく夫に、その理由を考えてみた。
「わたしの場合は、世の中の基準とかに比べると、自分なんて褒めてもらうには値しないと思っちゃうんだよね」
夫がわたしを褒めてくれるときがあったとしても、もっとできる人は世の中にいっぱいいると想像しながら「わたしなんて全然」と言って、夫の言葉を否定してしまうのだ。
その話をすると、「それは僕の言葉よりも、世の中の基準の方を大切にしているってことだよね」と夫に言われ、言葉に詰まった。
「でもさ、世の中の基準とか、世間ではこう言われている、みたいなことって、実際には存在しないことだよね」
夫はそう続けた。
「さもそういうものがあるように振る舞って、勝手に自分を低めたり小さくなりながら生きているけど、本当にそういうものがあるわけじゃないよね」
言われてみるとその通りで、言葉が出ない。
「みんなさ、自分を褒めていいんだよ」
いつになく優しく夫は言った。
「人は幸せになるために生きていると思う。幸せになっていいんだよ」
その言葉を聞きながら、勝手に自分は「駄目だ」と決めつけて、幸せになることに歯止めをかけていたのだ自分自身だったのかもしれない、と気付いた。
上へ上へと自分を駆り立てながら、いつになっても目指すところに到達できなくて、一度も自分を褒めることができないのであれば、それは苦しい生き方なのかもしれない。
自分で勝手に設けた基準に囚われないで、素直に自分を褒めてあげることができたらどうだろう。
「有生はいつから自分を褒めるようになったの?」
そう聞くと、「『会いに行くキリスト教会』を始めてからかな」と返ってきた。
「この活動を始めて、応援してくれる人はほとんどいなかったし、それどころかたくさんの批判もあったよ」
「そのとき思ったの。自分だけは自分の味方でいようって。それからだな。自分で自分を褒めるようになったのは」
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自分を否定する声、自分を肯定してくれる声、生きているとたくさんの声が聞こえてくる。もし一つに耳を傾けるとしたら、自分を大切に思ってくれる人の声を聞きたい。
もし周りに、そういう言葉を言ってくれる人がいなかったとしても、自分は自分の味方でありたい。そして自分を思い切り励ますような、そんな言葉を思うだけではなく、声を出して、自らかけてあげたい。
今回のYouTubeのテーマを聞きながら、そんなことを思った。