(番外編)ドアラさんのバク転タイムリニューアル発表
2022年のシーズンがいよいよ開幕。
の前に先日発表されたドアラさんの
試合中7回裏終了後の
バク転タイムのリニューアル
率直な感想は、ホッとしました。
2018年から球場でドアラ先生のバク転する姿を何度も見て来て、本拠地では大々的に。
ビジター球場ではラッキー7の時、燃えよドラゴンズに合わせて軽く1回バク転をしていたドアラ先生。
そりゃもうかっこいいんです。
身体能力の高さを改めて感じる軽い走り、フッと息を吐いてスタートする姿、成功した時の『見たか!』と言わんばかりの喜ぶところ、失敗して頭から突っ込んで悔しそうに足をバタバタさせるところ。
どれもその時にしか見れないドアラ先生の、何かしら頑張る姿だったと思います。
過去には骨折や靭帯の損傷。
ここ数年でもコンディション不良な時には飛ばずに、グッズの販促タイムにするなど…
飛んだ後に腰や、脚をさする姿
着地の衝撃が身体に響いていそうな姿。
見ていて心配になる瞬間は何度もありました。
楽しみなコーナーだけど、怪我しないか気になってしまう時も。
それでもバク転が成功した時は声をあげて喜んで、凄く思い出になったし、後半戦の試合のモチベーションを上げてくれる存在でした。
ドアラ先生が、ドアラ先生のままで居続けてもらいたいと思う限り、こうやってやることの制限はつきものだと思っています。
バク転を永遠に続けるのは体力的にも年齢的にも、人間界もコアラ界も限界がある。
パフォーマンス重視で、ドアラ先生の心を変えてしまうのは、絶対にやめてほしかったんです。
北海道日本ハムファイターズ
北海道みらい大志のマスコット、BBは
2017年シーズン終了時のメインマスコット勇退の時にこんなコラムをあげていました。
マスコットとて機械ではありません。時間と共に、様々な変化は嫌でも起きてくる。マスコットの場合、選手とは違って永遠の命を得る「特効薬」があることはあります。但し、それは「記憶」という大きな代償と引き換えになり、そのマスコットに想いを持ってくれるファンの心に大きな傷を残すことになります。ファンは事情を知る術もないまま、その傷をただ受け入れるほかない。僕は今まで、そんな心の傷を経験した他球団マスコットファンの方から、「せめてB・Bだけはそうならないで…」というお手紙を何度もいただきました。
僕は常々、マスコットにとって一番大切なものは、ファンとの「記憶の絆」だと考えています。一番大切な記憶と、永遠の命――どちらが重いかは、マスコット達にとって永遠の課題。そこに絶対的な正解はないと考えています。世間一般では今までの「常識」が正解なのかもしれないけど、その常識は果たして、ただ無条件に受け入れなければならないものなのだろうか…?
BBのこのコラムが更新され、メインマスコットの勇退が決まった時この文を何度も読み返し、いつかやってくるその終わりをまじまじと感じ号泣してしまいました。
マスコットの永遠の命を得る「特効薬」。
その特効薬のおかげで終わらずに繋がったマスコットも居ると思います。
でもそれと同時に、BBが書いたように特効薬で心が変わってしまったことによるファンとの記憶の絆が失われる大きな代償。
私にとってはこの選択、凄くキツイと思いました。
当時まだほとんど交流したことがなかったドアラ先生に置き換えて考えた時、人の命がなくなる事と同じくらい辛いと感じました。
マスコットに興味の無い方からしたら、心?なんじゃそりゃ?だと思います。
替えのいない唯一のマスコットであることは
個性や思い出がたくさん感じられる分、なくした時の代償はめちゃくちゃ大きい。
推しは推せる時に推せ。
よく耳にしますが、その通りだと思います。
マスコットも、アイドルも、俳優も、大切だと思う人にはたくさん会いに行って、たくさん思い出を作ることがいつか来る終わりの時に少しでも後悔しない手段なんじゃないかと。
もちろん、それぞれ事情があるので簡単には会いにいけなかったり、今の時代SNS上だけでの応援もアリだとは思います。
どんな応援の仕方でも後悔することのないよう、たくさん楽しんでたくさん愛することが出来たらと思います。
バク転タイムのリニューアルの話から少し脱線してしまったかもしれませんが、ドアラ先生が球団に身体を気遣ってもらいバク転コーナーの終了と応援コーナーへのリニューアルが出来たことは、
球団マスコットの第一線を走り続けているドアラ先生にとっても、他球団マスコット、その他のマスコットにとっても大きな一歩だと思います。
2022年シーズンがドアラ先生にとって、健康で楽しいシーズンになること、そして中日ドラゴンズの1つでも多くの勝利を期待しています。
個人的な感想、備忘録にお付き合い頂きありがとうございました!