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エッセイ | 絵を描くこと、文字を書くこと

昔から、自ら「かく」ことができる人に憧れていた。
「絵を描く」こと、「文字を書く」こと。


幼い頃から、自分はそれらが苦手なのだと思ってきた。

飽きっぽくて絵を描く細やかさはないし、活字が苦手で本を読むことも自分で文章を書くことも苦手だ。
苦手だからこそ、それらができる人にずっと心のどこかで憧れてきた。

絵に関していうと、芸術をもっとわかるようになりたいともずっと思ってきた。
「芸術をわかろう」ということ自体が、芸術家にとってはアプローチが違う気がするが・・・
時代背景や画家の当時の状況などにヒントを求めて聞きかじったこともあった。


先日初めて絵画教室に行ってきた。
まだ数回デッサンを描いた程度でおこがましいが、自分で描くようになって、ほんの少しだけ画家の気持ちがわかったような気もしている。

「何を描きたかったのか。」
「なぜ描きたかったのか。」
「どうしてそのように描いているのか。」
「描いている時にどんな感情になったのか。」

絵には正解がない。何を描いてもいいし、人によって表現の仕方はいく通りもある。
筆跡ひとつとっても、なぜそのような表現を選んだのか、どのようにその表現を選んだのか、画家の意志が現れている。


私は絵を描きながら、自分が人に答えを求めていることに気がついた。
初めてのデッサンはハサミだった。なんの変哲もないハサミだが、どのように描けばいいのか、まったくわからなかったのだ。
初めは実線でハサミを描いた。小学生のような絵になった。

初めてのデッサン「ハサミ」

2回目は影や素材感を表現した。一方でハサミのツヤッとした部分の表現をどのようにしたら良いのかわからず、年甲斐もなくすぐに先生に頼りたくなった。

その時に、すぐに聞くのではなく、自分にはどのように見えるのか、どのようにしたらエンピツ1本で質感が表現できるのか考えることが大事だと感じてウンウン唸った。

少し成長した「ハサミ」


まだ絵を描くことについては、靴を履けたくらいの段階だ。一歩も踏み出していない。
それでも、自ら描くことによって芸術家の気持ちの0.1mmくらいかじったように思う。

夢は自分が描きたい風景を描けるようになること。

 眠れない夜にいつも心に浮かぶ晩夏のプールの情景。
 心を奪われる夕焼け。
 永遠にそこにいたくなるような波のきらめき。
 自分の心、自分の人生を絵で表現したような抽象画。

老後にひたすら絵を描いて過ごす。
そんなことを妄想するだけで幸福な、2022年秋である。

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