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草薙の剣

草薙剣(くさなぎのつるぎ)とは天皇家に伝わる三種の神器の一つで正式には天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)と呼ばれます。
現在は名古屋にある熱田神宮に祀られています。

日本神話において素戔嗚尊(すさのをのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したときに、その尻尾から現れたのが草薙剣だと言われています。

それを天照大神(あまてらすおおみかみ)に献上し、その後、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けられて以降、代々天皇家にありましたが、やがて伊勢神宮に祀られるようになりました。

その後、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征を行った際に、立ち寄った伊勢神宮でこの剣を授けられ、剣とともに東に向かいましたが、ヤマトタケルノミコトは駿河の国の草むらで敵に囲まれて火を放たれてしまいます。

その時にこの剣が周囲の草を薙ぎ倒して難を逃れたという話に由来して草薙剣と呼ばれています。この話に由来して静岡には焼津(やいず)や草薙(くさなぎ)という地名が残っています。

東征を終えたヤマトタケルノミコトは尾張の国で妻を娶ります。この時に草薙剣を妻に預けたまま伊吹山の荒神を退治しに出かけますが、剣を持っていなかったため病に倒れ、大和国へ戻る途中に息を引き取ってしまいます。

尾張の地に残された妻は草薙剣を祀り、その場所が現在の熱田神宮の起源だとされています。こうした経緯で、現在草薙剣は熱田神宮の御神体として祀られています。

三種の神器とは草薙剣の他に八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と八咫鏡(やたのかがみ)の二つを合わせたもので、これら三つを持つことが天皇であることの証とされてきました。


現在、三種の神器で宮中にあるものは八尺瓊勾玉のみで、草薙剣は熱田神宮に、八咫鏡は伊勢神宮に祀られていますが、これは第10代天皇とされる崇神天皇が、神器の威力があまりにも強いとのことで、形代(かたしろ)を作らせそれを宮中で保管し、オリジナルの三種の神器は八尺瓊勾玉のみを手元におき残りの二つを伊勢神宮に祀ったためです。

その後草薙剣はヤマトタケルノミコトによって熱田神宮に移りましたので、現在三種の神器は熱田神宮、伊勢神宮、宮中の3箇所に分かれて祀られています。

しかしながら宮中に保管されるレプリカである形代にも神が宿るとされ、オリジナルと同じように扱われています。皇位継承の儀式において、三種の神器を引き渡されますが、この際にはこれら宮中に伝わるものが使用されてきました。そのため、皇位継承の争いに巻き込まれてきた歴史があります。

最も衝撃的だったのは壇ノ浦の戦いで平清盛の妻、二位尼が幼き安徳天皇を抱いて入水した際に、三種の神器を抱えて海に沈んだ事件でしょう。

この時、八尺瓊勾玉の実物と八咫鏡の形代は、収められていた箱が浮いてきたため回収されましたが、草薙剣の形代は失われてしまいました。この事件はその後の天皇の即位に大きな影響を与えることになりました。そのため20年以上にわたり海中の探索がなされましたが、遂に発見されることはありませんでした。後に伊勢神宮に納められていた剣を形代とし、この剣が現在も皇室に伝わっているとされます。

安徳天皇に関しては、実は生き延びてその後は人里離れたところででひっそりと暮らしていた、という話がいくつか伝わっています。その中で最もよく知られているのが、徳島県にある祖谷渓(いやけい)です。

この土地に平家の落人と共に安徳天皇がたどり着いたという伝承があります。草薙剣は安徳天皇が持っていて、この地にある山の頂に奉納したとも言われています。剣山という山が徳島にありますが、これは安徳天皇が草薙剣を納めたことが山の名前の由来だと言われています。

三種の神器は天皇であっても見ることが許されていないので、その多くは謎に包まれたままです。

神話と史実の境目も曖昧で、それがまた魅力でもあります。
こうした伝承の足跡を辿る旅も面白いかもしれませんね。

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