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付け焼刃

一見切れそうに見えるが、実際は切れない刀を意味する表現。切れ味の悪い刀に、鋼の焼き刀をつけたことに由来する。転じて、その場しのぎのために、一時的に知識などを覚えることを意味する語として用いられる。

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間に合わせの知識としてなんとかごまかした経験。
そういった失敗は、反省して勉強することで挽回できるが、それをくりかえしているのも注意が必要。

間に合わせの言葉、知識は、あたかもちゃんと知ってるかのように表現してしまうが、自分が返答できない部分をつつかれたときに、変に自分の言い回しでカバーしてしまうこともある。
いろんな状況があるからそういう逃れ方も必要だよな〜と感じますが、
”意味合いを変えてしまうこと”もある。

自分で発案する分を自分の表現で伝えるのは、自分自身が責任をとれるが、
伝達していくものごとを情報不足で伝えていくことで、
本筋をズレてしまったりすることもある。

大元の情報が、こっちの方向にと言ってるのを、
そっちじゃなくてもいいよ、という勝手な解釈で意味を持たせてしまう。

そのまま伝えごとがころがっていくとどこかで辻褄が合わなくなるように感じる。

一番の原因は”思い込み”かなと。
なんにしてもそう。
自分勝手な”思い込み”が判断を間違い、伝達を間違う。

自分の受け取れる許容量みたいなのもある。
自分なりのどっかでライン引きしないと日々の出来事を処理できないから。

だから、常に、目の前のものごとの、
言いたいこと、目的、意味、みたいなのに対して、
自分なりの問いをもつことが大事に感じる。
”問う力”というのは、日々繰り返さないとなかなか身につかない。
習慣にしないと。

自分も割と楽観的なので、なんとかなるよ〜と深掘りしない部分もあって、
それが悪いとは思わないけど、
ひとつひとつの”意味”みたいなのには、自分なりの”問い”を持つように意識しなきゃと思う。
それが、批判とか愚痴とかじゃなくて、もっと肯定的な方向で。

自分の”思い込み”に気づくこと。

そして自分の力を芯から鍛える意識を持つ。

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