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帰り道という小さな旅。

私は住まいの立地についてはかなり恵まれている。
コンパクトなのに心憎い品ぞろえをする愛しいスーパーから10分ほどで家についてしまう。
その短い旅の間にもいろいろと見どころがあるものだ。

まず出会う『美容室すみれ』。テント看板がすみれ色だ。
この色がここにあってくれるだけで小さく幸せにしてくれる。
『すみれの花咲く頃』を口ずさみたくなる、なぜかわくわくと胸をかき立ててくる色だ。
窓から見える“お釜ドライヤー”は遠い日の祖母に連れられて行った昭和のパーマ屋さんを思わせる。
年配の美容師さんが一人でやっているようで営業日が少なく、毎月カレンダーをクレヨンで手書きして開店日を赤色で丸く囲んでいる。
店先に置かれている低い鉢の植物たちも愛情深く育てられているのが伺える。

隣には謎の整形外科。
朝8時には患者が待合室にひしめいているのが窓から見える。
気になって調べてみたら受付は午前にしか受け入れていない。
年寄りの長い話を嫌がらない高齢の名医が評判らしい。

道を挟んで12世帯ほどのマンションがあり、そのさらに隣の駐車場は私にとってお月見スポットである。たいがいこの付近で「お、今日月でかいな」と気づく。
古い黒ずんだ銭湯の煙突がそこから見えていたのだが、2年前に64年の歴史に幕をおろし今は解体工事のための覆いがついている。
サウナがない銭湯なので入ったことはなかったが天然井戸水薪沸かしの43℃のお湯で愛されていたらしい。
浴衣姿で小脇に洗面器を抱えた恰幅のいい粋な男性を見かけたこともあるが彼はどうしているのだろう。

この私鉄の線路は静音化されているので高架沿いの道でもうるさくない。
それでも停車する音など聞こえてはいるが、あまりに暮らしに馴染んでいて車の音程度にしか気にならない。
駐車場をショートカットで斜めに横切ると住宅街なのでさらに静かである。

二軒ほど住宅の前を歩くと蔵のある広い庭のお屋敷がある。
門とは別に普段の通用口があるほどで、建物はかなり古く「人が住んでいないのでは」と思うほど夜も灯りがついていない。
でも緑の多い日本庭園といったかんじの庭は手入れが行き届いていて、いまの季節は柚がなっている。
冬至の頃は「うちに余ってる漢方薬あげるから一つ二つ交換してくれないかなぁ」と思う。


<中略>


するともう私の住む年季の入ったマンションである。
たまにどこかの家の焼きそばや何か煮物の出汁の香りが漂ってくる。
夏の夜はよその家のシャンプーの香りがしてきて季節を感じるのだが、隣の民家にいたっては窓を開けて入浴するのでかけ湯をして洗面器の置く音まで聞こえてくる。

マンションの玄関から見える道路を挟んだ向かいのお宅の立派な梅の木はもう花をぽつぽつとつけている。
ステイホーム期間でもできれば毎日ここまでは来て、この扇のような枝ぶりの立派な梅を見たいものだ。

冬来たりなば春遠からじ。いつも梅が花をつけ始める頃自分にそう言い聞かせている。


※東京青猫ワークスの宿題で冬に書いたものですが一部編集して略しました。

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