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まちづくりの意思決定のプロセス論文読んで、悩みが深くなった話。

ここまでの経過

今年に入って興味の赴くまま論文を読み散らかしてます。
未成熟なまちづくり集団の話し合いを前に進めるにはどうすべきか、から、決め方についてゴミ箱モデルを読み、その後、決める「場」について読みました。そして今回は決断のプロセスを理論化しようという論文出会う。2017年にガバナンスに掲載された「まちづくりにおけり意思決定モデルの構築」という九州大学の土中氏、德永氏、古橋氏の3名による論文です。経済、社会科学、歯学という異分野の共同研究で「九州大学持続可能な社会のための決断科学センター」というものがあるそうです。すごい名前のセンターだな。そして、面白いテーマだ。


概要は…。

PDCAとか様々な決断の理論があるけど、まちづくりに特化して決断を理論化しようという野心的な内容。まず決断する主体であるまちづくり団体には①自治会のような地縁型集団、②目的があって作られた自発的集団の2パターンあるとし、本稿では②を分析してます。
結果、これまでのPDCAサイクルに平面的に時間軸を加え、立体的に一連の流れ(ストリーム)を提唱し、そこで必要となるリーダー像について書かれていました。

まちづくりって理論化できるのか?

テーマ設定は非常に興味を惹いたのです。が、書かれていることに目新しさはなく…。立体的、と、書いてありますが、従来の理論より決断に至るプロセスを細かく分解したように見えます。そして細かくした分、かえってこの論文の目指す理論の枠組みから外れる事例が増えはしまいかとの疑問もありました。例えば自分のフォローしてる活動は①と②の中間で、そこでのプロセスは何度も行ったり来たりしており、綺麗なストリームではない。
この論文を読んで、社会科学に自然科学の手法を当てはめて理論化することの限界を感じます。例えば、同じ時間、同じ人たちに同じ場所で全く同じ原稿を読んで説明しても説明者の話し方や参加者の体調によって正反対の結果が出てしまうことがある。要は、仮にまちづくりを全数調査をしても再現性がないのでないか。これ言い出すと収集つかなくなりますが。この論文は綺麗にまとまってるだけに余計に目立つのです。
自分も同じように事例からなんらか類型化を考えていただけに、あれ、このままだと俺も同じことにならないか?と、ハタと気付いた訳です。どこまで行っても、〇〇という事例では▲▲ということがわかった、という結論に留めざるを得ないろ思ったわけです。

社会学系の論文の価値って?

社会学って自然科学のように、再現性が高くないと考えると、ある程度大括りにしておかないと例外だらけになって、結果的に理論にならないのではないかと。それこそ量子コンピュータで全数調査か要素を極めて細分化したら理論化できるかもしれませんが。
じゃあ、社会学系論文の価値ってなんだろう?と、思う訳です。
学者ではなく現場で活動する自分が思うに、読み手に様々な気づきを与えてくれる論文が良い論文ではないかと。中には著者の意図を越えた理解すら読み手が発見することもある論文。実際、私は非常に困難な案件を扱った時、住民達から散々突き上げくらい困り果ててネット検索した時、ある大学院生の論文を見つけ、その論文を基に説明をしたところ住民の納得を得た経験があります。こういう論文というのは世の中の役に立ってるのは間違いないわけです。少なくとも私は救われました。
余談ですが、偶然にもその後、知り合った大学の先生がその論文を書いた院生だったことが判明し、結果、私が社会人院生時代の指導教官になってもらいました。笑。いまだに師匠として指導してもらってます。

最後に

色々論文からは脱線しましたが、今回一番心強かったのは、まちづくりの決断に着目して調べてる人がいた、ということ。しかもセンター組織まで作って。そして、今回の論文を読んで思うのは、人の集まりについて考える場合、不確定要素が多すぎて科学実験のような明確な流れで結論を出すことは難しくない?ということ。とはいえ、理論化してくれると分析枠組みとして使えるのでぜひ成功して欲しい。ひょっとしてもうしてるかな?追っかけてみようかと思います。
気になる方はこちらから👇

https://api.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1910475/023.pdf


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