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文殊山城と塞ノ神城を縦走する。その②塞ノ神城
塞ノ神城
塞ノ神城は、来歴不明な城だとか。作手領主奥平氏がやってくる前の米福長者時代の城だとか、あるいは、武田氏の傘下に入った際に築かれたとか、さまざまな言い伝えはあるようですが、はっきりしたことはわからない、ということだそうです。(by現地案内看板)
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文殊山城を降りて尾根筋を歩いて行くと塞ノ神城へ繋がっています。この時点で12時30分頃。古宮城整備活動ご参加の顔馴染みの方から着到状況の連絡が入るやも、と、思いスマホを見ると、なんと「圏外」。電話もLINEも繋がらない。
このご時世、作手のど真ん中の地区だけに、圏外は全く想定してなかった。繋がってないことに驚くも、万が一怪我したら、とにかく自力で下山せねばならない。まだまだ熊の出没情報は聞かない作手地区なのでよっぽど良いとは思うものの、予期せぬ圏外にはかなり動揺する。デジタルデトックスが手軽に体験できる、と、前向きなことを考えて気を紛らす。城の北側には作手診療所や支所もあり、確か5Gがいち早く整備されていたはず。ただ、5Gの特性として範囲が狭くなることも影響してるのかな?とか、色々と考えながら尾根を歩く。結構高低差があるので、山に慣れてない方はご用心です。
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山道を歩くこと10分も行かないくらいで電波が届く。この安心感。デジタルデトックスが必要なのは自分ではないか…。そしてワシワシ歩いて行くと塞ノ神城に到着。塞ノ神城は曲輪が分かれており、なんとなく長篠城近くにある武田勝頼の本陣医王寺城を彷彿とさせます。本丸も相当大きく、土塁も高く掻き上げてます。西側の文殊山城方面とは尾根で繋がっているだけに、出丸的な曲輪を設けており、そこから本丸に入るには本丸下の道を通り見下ろされながら行く必要があります。 城の東側は高低差が大きいため、ところどころに曲輪が聳えて攻撃側を削り取っていく造りです。
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この高さを利用して、本丸虎口に至るまでのルートを見下ろす形状に築城者の意図を感じ取ってワクワクします。道を遮るように聳え立つ曲輪を見るにつけ、ああ、これは大変だ、と、1人山中で北叟笑む。誰もいないので、どれだけニヤつこうが、感嘆の声上げようが構わない。ヤバい奴来た、と、むしろ獣が逃げていってくれることでしょう。
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時間もないので、あまり城を見ることができませんでしたが、久々に塞ノ神城をみて、その大きさを実感。これだけの城がこの狭い地域に集中しており、緊張関係が続いた地域だとわかります。
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城から降って行くと、そこには溜池が。夏場は蚊が凄そうです。
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結局、古宮城には13時05分には到着。つくで手作り村から1時間で行けました。じっくり城を見るならプラス30分から1時間と言ったところでしょうか?古宮城に来られた際には、ぜひじっくりと合わせてご覧いただきたい城です。作手の城で一日すごすというのは贅沢な気がします。