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「わたし」を「わたしたち」にするワークショップの範囲を考える論文を読む。

まちづくりの意思決定の仕組みを調べるため論文を読んでます。
今回は「熟議」をテーマに個人の意見を集合体への判断に広げるメカニズムについて考察した論文です。2021年に地域社会学会年報第33集に収録されている「参加するまちづくり、熟議のコミュニティ」で明星大学伊藤雅春教授のものです。


こんな論文

 まちづくりでよく行われるワークショップ。
 議題の利害関係者が参加することが多いものの、無作為に選ばれた一般市民が参加する市民討議会などと呼ばれるワークで一定の地域意見を出そうという「ミニ・パブリック(≒熟議)」というものもあり、これを使えば、首長や議会、行政が一方的に決めた感もなく、多数決で押し切っちゃう訳でもなく、まちづくりが進められるのではないか述べています。ただ、1.参加者の個人意見がワークの中で公共的な視点が加わることで地域意見へ変化させること2.ワークの結論が正当な地域意見として扱われること、の2点が必要としています。
 そのためには参加者が多いと話がまとめにくいので、参加者の範囲が重要。地域社会には、家族のような他者へ配慮がある「親密圏」と見ず知らずの人との関係である「公共圏」という範囲があるとされているが、伊藤氏は公共圏の中で親密圏の範囲を少し広げた「コミュニティ圏」を提唱し、この範囲が熟議向いていると考えます。
 コミュニティ圏での熟議では①「わたし」を「わたしたち」へと拡げる「コミュニティ圏からの熟議」②「あなた」から「わたしたち」へと連帯する「コミュニティ圏をめぐる熟議」があるとして、それぞれ具体的事例を紹介しています。特に②の「コミュニティ圏をめぐる熟議」では、自治会等コミュニティの構成団体といった「しくみ」だけでなく、「しくみ」である様々な地域団体が出会って熟議することで新たな活動や組織が生み出される点に着目し、「場」が重要であり「場」の運営がコミュニティのマネジメントにつながると考えています。
 なお、①はオンラインでも、②は対面の方が良いともしています。

内容が盛りだくさんすぎる!

 こんな内容だ、と、記載することが非常に難しかった論文です。
 要は、範囲考えて熟議を行うと、市民を巻き込んだ地域意見を形成できるんじゃない?と、いうことが書かれている、ということでしょう。それぞれの章ごとだけで一本の論文として読んでも良いレベル。結論導くための前提を書いてくれてますが、知識のない自分からすると、へぇ、ほぉ、と、読みこんじゃう部分が多い。
 ただ、それぞれの章や項ごとに、なるほど、と、思えても全体を俯瞰すると一体何だったっけ?と、前後の関係性を何度も読み返すことになってしまい、読むのにだいぶ苦戦しました。多分、これまでの蓄積を基に、一気にまとめたからかな?と、想像します。危うく自分に課している、通勤時間を利用して週に一本は論文読んでnoteに書く、というルーティンが未達になるところでした。笑。

熟議の効用

 熟議の範囲としてコミュニティ圏を提唱することは、自治会等の既存の地縁組織が高齢化で力を失う中、その受け皿作りとしても有効ではないかと思います。また、合併で拡がった市町村域に対して細かな目配りをすることも可能になるかもしれません。私が支援している地域活動もコミュニティ圏での活動に分類されます。
 また「わたし」を「わたしたち」、「あなた」を「わたしたち」へと変容を促そうという発想は、まちづくりの考え方としてすごくわかりやすい。こうして言葉として整理されるとまちづくりを進める際に混乱しにくく、極めて共有しやすいフレーズです。どっかで使おうと思います。笑。

熟議の正当性?

 個人的には、ワークの結論に対する「正当性」という言葉が引っかかります。法的に間接民主制が採用されている中では「それってあなたの感想ですよね?」と選挙で選ばれた人はが言えてしまう。コミュニティ圏に限り、仮に議会と首長で取り決めたとしても、その取り決めを破る人が出たら対抗できない。要は地方自治法なりに位置付けられない限り無理かと。そもそも首長と議会という二元代表制は、議会での議論を通じた「熟議」で長期的視野に立って物事を考え、決定するために導入されたもの。さらにいえば選挙等で責任も問われます。
 そのため、あくまで責任と決定権を持つ二元代表が熟議をするための基本情報として熟議を補助的に活用する、あるいは、地域社会で活動する団体が自分たちの活動の目的や有用性を確認するということに留めた方がよいんじゃないかな、というのが個人的感想です。
 あまりに正当性にこだわると直接民主制になり、そこまで踏み切る覚悟があるなら良いです。ただ、無作為抽出での市民討議会参加者の中には、自分たちの意見がそのまま地域意見になるとまで考えて参加していない、とか、じゃあ、一体何のための選挙で選ばれた人がいるの?という声を聞いたこともあります。正当性という言葉に私が過剰反応しすぎなのかもしれませんけど。

さいごに

 この論文では再帰性というフレーズが出てきました。調べてみたらなかなか面白いので、次回は再帰性について書こうと思います。
 今回は、全体よりもパーツパーツで含蓄の多い論文でした。この熟議についてはさまざまな論文が出てるようなので、別のも読んでみようと思いました。今回の論文にご興味のある方はぜひ。👇

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