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まちづくりはDNAと同じ構造、という論文を読んでみた。

 前回の論文に気になる一文がありました。
現代社会はポストモダニズムとは異なる再帰性の高い後期近代社会であるとする再帰的近代化論が提起されている」

 …。
 何やら頭の良い高所得者層が読みそうな雑誌にでも書いてありそう。そもそも単語の意味がよくわからない。ポストモダニズム、サイキセイ、コウキキンダイシャカイ。社会学を体系的に学んでない私には、もはや呪文。このところ漂流教室を話読みしてるので「催奇性」と脳内変換されて、えらいこと気になってしまいました。
 「再帰性」とはなんぞや、を探して見つかったのが今回ご紹介する論文。「再帰性と近代社会ーギデンズの再帰性概念の徹底化を論じるー」中西真知子氏の1998年にソシオロジに発表した論文です。


再帰性とその価値とは何か?

 確実さを求めるには、アレかコレかと、明確さを求めるけど、アレはコレの、コレはアレの影響を受けてスッパリ割り切れるものではないんじゃない?この発想からだと、社会は個人、個人は社会の影響を受けてるよね、と、ギデンズさん(知らんけど)は考えたとか。そこで他者に自分を映し、自分を規定する「再帰性(reflexivity )」(人の振り見て我が振り直せってことでしょう)に着目します。
 再帰性の働きとして、近代化の進んでいない伝統社会では伝統の再解釈と明確化に働き伝統を強化し、近代社会では目新しいものを取込み現状の問い直しへと働く、と考えます。この近代社会の再帰性の効果から、ハバーマスさん(知らんけど)は技術至上主義を危惧し、ギデンズさんは知識の増大により疑いや批判も促進されて技術至上主義にはならない、と、考えてたそうです。
 再帰性により自然科学と社会科学が影響し合うことも本稿では述べてます。地球温暖化は気温上昇という自然の状況だけど、地球温暖化という問いの設定により社会的テーマになり、自然環境への働きかけにもなる、と考えます。
 そして、西洋の価値観が啓蒙思想として世界に広がる中で、ちがう考え方と触れ合うことで絶対的でなくなることを「西洋的価値の崩壊」と捉えることに対するギデンズさんの再帰性からの検討についてや、西洋的な自らの内心の反省による罪の意識が再帰性から他者の視点からの恥が注目されるのでは、といったことが書かれています。

再帰性とまちづくり

 これまで再帰性なんて言葉は知りませんでした。異なるまちづくりの考え方がそれぞれ影響しあって二重らせん構造のDNA のように絡み合い、融合して新たなまちづくりへと発展する、というイメージになって、すごく面白い。
 そして、田舎がよそ者を弾き出すことについても、伝統社会では再帰性によって伝統を強化する方向へ働いてしまう、という説明で納得。都市部で融合による新たな考え方が生まれることに慣れた人からすると、伝統の強化に取り込まれるのみ、ということは理解できないでしょうし、伝統を強化することになれた人からは、それこそ遺伝子の異常として捉えてしまう。そこに田舎におけるよそ者排除につながる、と考えられます。対立を経て融合に向かうのか、排除に向かうのかで、地域の命運が決まると言ってもいいのかもしれません。

SNSと再帰性

 ハバーマスさんとギデンズさんの話は、非常に面白い。ギデンズさんが知識の増大による批判に期待したことに対し、技術の進歩とSNSによって、批判が封殺されてるんじゃないか、と、思えるのが2024年に生きる自分の感想です。そして、SNSは瞬時に伝統社会を築いてしまうのではないか、とも思います。SNS上で好みの意見で固まることで伝統社会における価値観の再構築による価値観の強化と同じことが起きてるのではないか、と、考えられますね。

論文はこちら👇

 この考え方を知ったところで、すぐに仕事に役立つものでもないですし、お金につながるものではないです。でも、再帰性っていうワードから世の中を考えることで、これまでと異な見方、感じ方ができるって面白いなぁって、思います。少なくとも片道2時間超えの暇つぶしには最適です。ご興味のある方は以下のリンクからどうぞ。みなさん、この論文を読んで、色々と思うところがあるんじゃないかと思える内容でした。ぜひ。https://www.jstage.jst.go.jp/article/soshioroji/43/1/43_21/_pdf/-char/ja

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