![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/171538724/rectangle_large_type_2_92a0328e3fb0e4e8400bb72ba92397b8.jpeg?width=1200)
真田昌幸・幸村親子が幽閉された九度山を見る 男50代ひとり旅④
これまで羽柴秀吉の紀州征伐の跡を巡ってきましたが、帰路に気になる名前の場所がある。
「九度山」。
この文字を見れば、日本史好きは血が騒ぐでしょう。日本一の兵とも呼ばれる真田昌幸、幸村(信繁)が関ヶ原で活躍したことで家康に睨まれ死罪になるところを高野山に流され、幽閉されていた場所。長年、行ってみたいと思っていた場所が帰路の途中にある。これは無理してでも行きたいところ。
既に日暮近い午後4時。車を止めるとすぐさま真田庵へ向かう。
![](https://assets.st-note.com/img/1737799892-Hdt32ZEQnfjKbRwSNszUJD49.jpg?width=1200)
午後4時で閉まると書いてあるので、もうダメかと思いながらも外からだけでも見ようと行くと門が空いている。入っても良さそうな感じなので、中に入ると真田昌幸廟が!
![](https://assets.st-note.com/img/1737800416-fyk7OqL1VB3DeNEUJGj08iWb.jpg?width=1200)
真田昌幸は九度山に幽閉され、許されることを願いながらも九度山で亡くなってしまい、ここに葬られているようです。大河ドラマ「真田丸」で草刈正雄が好演しており、草刈正雄の顔が浮かんで仕方ない。
真田昌幸といえば、徳川軍を2度も翻弄した徳川キラーの名将。
長篠の戦いで兄二人が亡くなってしまい急遽真田家を継ぎ、武田家滅亡後に独立大名として北条、上杉、徳川に挟まれながら自立し続け、関ヶ原の戦いでは秀忠を騙して釘付けにし、関ヶ原に遅刻させるという荒技までやってのける。
素晴らしい名将だ。しかし、どうしてこうも真田家は名将だらけなのか。
どうやら真田庵は閉まっている様子。
![](https://assets.st-note.com/img/1737801199-xAGBLhFIV43ZQR1camKToyY8.jpg?width=1200)
右手前の木の引き戸は開けることができ、中に真田グッズが売られていました。六文銭煎餅が売っていたので、職場のお土産として購入。
![](https://assets.st-note.com/img/1737801366-Em7eJAxglbsFMfa6GLwiuPRr.jpg?width=1200)
さぁ、時間がない。真田の抜け穴というのがあるというので、小走りで向かう。
真田が大坂城まで抜け穴を掘っていた、という伝説があるそうです。それがこの場所。
![](https://assets.st-note.com/img/1737802616-5U6EGbsOKjLek0aNdHYfRI3Z.jpg?width=1200)
どうも古墳の石室が露出してしまった場所のようです。そのためもう少し写真奥に向かうと…、
![](https://assets.st-note.com/img/1737802708-tJKLZlku3Iivq4Qn5MjE0Xo1.jpg?width=1200)
まぁ、それだけ真田昌幸、信繁が皆さん好きで、さまざまな伝説を生んだんでしょうね。判官贔屓もあって人気は高い真田親子。だからこそ私も立ち寄ってるわけですし。そして、Googleマップで九度山真田ミュージアムがまだやっていることを確認。大急ぎで向かう。
![](https://assets.st-note.com/img/1737802830-kogX8Qzy7FTSeZ2OGa0uiljx.jpg?width=1200)
中に入ると真田親子がお出迎え。
![](https://assets.st-note.com/img/1737802975-mi4UCG2BoDvFgcJu8HzNVpxl.jpg?width=1200)
本当なら混ざり込んで写真を撮りたいところですが、ひとり旅だし時間もないしで撮影のみ。中はさまざま真田の歴史がわかります。
![](https://assets.st-note.com/img/1737803066-I8zY67dqMoeWJjtw1x4yDTAK.jpg?width=1200)
ミュージアムショップでは真田紐のネックストラップが販売されており、3,500円とちょっといいお値段ですが、自分の社員証をぶら下げてるやつが壊れかけていたので、思い切って買う。やっぱり自分の首から真田紐ぶら下げてるって、誰にもわからないけど自分だけはすごく満足。それに、なんか軽い。1ヶ月程度利用していますが、全くほつれる気配もなく大変丈夫です。これ、結構お勧めです。
これで満足して帰路に着く。
よく見ると真田庵の屋根が傷んでいました。
![](https://assets.st-note.com/img/1737803378-Ppkf8HxjULnae1mozSsA4By6.jpg?width=1200)
高野山の麓、九度山の山々を見ながら当時の様子を想像すると、結構寂しい感じだったのだろうな、と思う。真田昌幸は九度山で窮乏しながら最期を迎えたものの、ある意味やりきった感はあったでしょうね。でも信繁(幸村)は、このまま活躍できずに朽ち果てるのは嫌だっただろう。真田太平記を思い出しました。
それだけに、最後の最後に大阪の陣という死場所が与えられてさぞや喜んだのでは、などと思いを馳せながらの旅となりました。
やっぱり歴史の旅は楽しい。これ書いてると、またどこかへ出かけたくなってしまいました。次はどこ行こう?