ブラシ * チェンマイ俳句毎日
【チェンマイ俳句毎日】2024年10月13日
今朝は気温がぐっと下がった。コルクノウゼンの白い花がくるくると地面に舞い落ちて甘い香りを漂わせている。洪水の被害が残る街も、確実に秋めいてきている。
来てもいいよと言ってもらったので、床上浸水をして片付け中の友人のお宅にお邪魔して、泥汚れを落とす作業を手伝った。
写真では見ていたけれど、実際に目の当たりにすると被害の深刻さが身に迫り、正直ショックだった。すばらしい仕事をされている友人のオフィスが私はとても好きだった。様々な資料が年季の入った木の机や棚に整頓されていて、たった一度だけだったが、そこに入ると背筋がすっと伸びるようだった。仕事場なのでその時は遠慮して言い出せなかったが、いつか仕事部屋の写真を撮らせてほしいと思っていた。今、その部屋には何もなく、タイル貼りの床に泥が広がっている。家の前には、水で膨らんでしまった合板の家具や黒いゴミ袋が山のように積み上げられていた。
洪水から8日たって、とても疲れていると思うが、友人家族も応援に駆けつけた他の人たちも明るくて、受け入れること、これから良く暮らしていこうと決心することなど、前向きに事態に向き合っている姿に大切なことを学ばせてもらった気がする。
それにしても、泥汚れを落とすのは大変だ。水につけておいてこすれば簡単に落ちると思っていたけれど、泥の粒子は憎いほど細い。隅に溜まった泥を取るのにブラシなど掃除道具をいろいろ変えながら挑んだ。プラスチックの棚なんかでも、使っている年月が長いと、プラスチックそのものの表面が擦れていたりして、そこに細かな泥の粒子が残るのか、ピカッときれいにはなってくれないのが悔しかった。しかも私が洗ったものなんてほんの一部でしかない。
そして、噂には聞いていたけれど、洪水の後片付けには高圧洗浄機という機械がどれほど有能なのかを知った。(電気と水が正常に使えればの話だが)手作業だけでは到底取れない泥汚れをシャーーーーっと勢いよく洗い落としてくれて気持ちがいい。泥が流されて、広々とした美しい床を見たら、疲れも吹き飛ぶような清々しい気分になった。一階の電気を使えるようにするのはそうした清掃が終わってから、という当たり前のことも初めて知った。
友人の家には、お子さんや手伝いに来た大学生など若い人たちがいた。溌溂とした彼らを見るととても心強く感じる。現場の人たちを勇気づけられるし、いつも当たり前に暮らしていることがどれだけありがたいことなのかが分かるので、若い人たちにはこういう災害時にはできるならボランティアに出てみてほしいなと思う。
とにかく今は、洪水の被害に遭われた方たちが一日も早く通常の暮らしに戻れることを願うばかりだ。
今朝の秋掃除道具のバリエーション
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デッキブラシがどこも売り切れていて、柄のないブラシを持っていったが、乾いていない泥汚れにはスポンジも使えるし、隅の掃除には先の尖ったブラシが重宝した。