七夕笹 * チェンマイ俳句毎日
【チェンマイ俳句毎日】2024年7月6日
切り紙の川の幾筋七夕笹
あまり体調が良くなくて、家で大人しく本を読んだ。友人に貸りた、坂本龍一さんの『音楽は自由にする』という自伝で、心に残った場面や言葉がいくつもあった。
その中でも、2001年9月11日に起きた米国同時多発テロを目撃した場面は強烈だった。
あの頃、私はタイに来てまだ2年目くらいで、写真を撮りながら日本語教師をしていた。家賃月700Bの長屋タイプのアパートに住んでいて、テロのニュースは隣人の部屋の古いテレビで見たのだが、まるで映画を見ているような、現実に起きていることだとは思えない映像に言葉を失った。まだ携帯電話もなく、国際電話をかけるにはチェンマイ大学の中の郵便局に行って繋いでもらわないといけなかった。ネットカフェはもうあったかもしれない。
夫は、日本の瓦工場で長期間のアルバイトをして、タイに来るお金を貯めていた。重労働だが、体作りにもなると黙々と働いていたようだ。そして、この惨事は、実家のテレビで見ている。
夫が通っていた瓦工場の正社員の中に、皆から嫌われていた偏屈なおじいさんがいたという。なんでもそのおじいさんは、毎朝、仕事が始まる前に必ず、「あー! 今日も地獄のはじまりだー!」と大声で言うのが日課だったらしい。
とても迷惑な話である。
しかし、そこで夫は、全ては心の持ちようであることを学んだ、と言うのだ。
体調が悪いだの、湿気による自律神経失調症かもしれないだの、うだうだ言っている私に、なんでも心の持ちようだよ、と教えたいらしい。
一方、当時私が働いていた日本語学校では、毎年、七夕の日には、短冊を書く活動があった。当然、「日本語が上手になりますように」とか、「漢字が覚えられますように」と書く学生が多かった。どの学生も優秀だったで、みんな短冊に書いた願いが叶い、バンコクなどの大都会の日系企業で通訳として立派に活躍している。私なんてもう20年以上も住んでいるのに、≪ 日本語もタイ語も下手で七夕祭 ≫という気分だ。
教室に飾った七夕の笹には、短冊以外にも、折り紙を細かく切って作る天の川なども飾った。切り紙細工の天の川には2種類あるが、袋状の網の形をしたものは、実は北タイにもある。作り方もほぼ同じだ。
北タイでは4月のタイ正月のときに、お寺の境内に作る砂山にこの紙の網を吊るした竿を立てると、地獄を彷徨っている祖先の魂を網が掬いあげて天国へ運んでくれると信じられている。「トゥン・サイ・ムー(豚の腸の旗)」という、とんでもない名前だが、確かに、この虫取り網のような形は、魂を掬いやすそうに見える。雨に濡れれば破れてしまうような細やかなものに魂が救われるとは、なんともやさしい世界だ。
笹や竹に似た植物にカラフルな紙の旗を吊り下げてお寺に運ぶ様子は、日本人なら七夕の笹を思い出さずにはいられない懐かしい光景である。もしかしたら、紙の天の川と魂を掬う紙の網は、どこかでつながっているのかもしれない。
あのテロがあった時代から、世の中は大きく変わった。特に通信面はとても便利になったが、戦争は終わらない。
夫が通っていた瓦工場のおじいさんは、毎日、生き地獄を味わっていたのだろうか。本当の戦場はそんなものではない過酷な世界に違いなく、それは私には想像もできないが、もし、この世が地獄になってしまったとしても、北タイの紙の網は、彷徨う私たちの魂を救ってくれるだろうか。
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旧暦7月7日の「七夕」は秋の季語ですが、今日詠んでしまいました。