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鳥渡る *チェンマイ俳句毎日

【チェンマイ俳句毎日】2024年9月1日

母校の大学生さんたちが、チェンマイの文化を学びに来ている。私がお手伝いをするのは明日からだが、今日のプログラムは、近所の村の、いつも夫が土を買っている陶芸村での土器づくり体験だというので、これは覗きに行かないわけにはいられない。

この村では、もともと水差しや水瓶、土鍋などの日用雑貨を生産していたが、時代が変わり、冷蔵庫やガスコンロが普及して、素焼きの器を使用する機会は激減。それでも、観光化が進んだチェンマイでは、レストランやホテルなどのインテリアとしての需要がある。また、素焼きの燭台や花火の器などは伝統行事に大量に用いられるため、それらの生産が細々と続けられている。(素焼きの猫の家という新製品も誕生しているが)
話を聞かせてもらった70代のおばさんは、小さな燭台のオーダーを2000個受けていると話しながら、轆轤の手を休ませることはなかった。このような村の年配の職人さんたちは、12、13歳頃から作り始めていて、みな60年くらいのキャリアがある。他に何をやっていいかも分からないし、これしかできないからやっているのだと言う。若い人たちはもっと割のいい仕事を求めて街に出る。
後継者不足の問題はずっと前からあるのは知っていて、寂しく思っていたが、ここで、日本から来た大学生たちが手轆轤を体験するなんて、私にとって、なんだか不思議なことなのだった。

この村の轆轤は、地面に置いた首の長い手轆轤を片手で回しながら引いていく。ほんの少し斜めになっているのがポイントだ。

もちろん、初めての人が簡単にできるものではないが、村長さんが時々整えて、いい感じにゆるりとした形になっている。授業で陶芸を選択した事があるという学生は、ちゃっちゃか轆轤を回して上手に花瓶を仕上げ、村長さんに褒められていた。


手轆轤に生まるる微風鳥渡る




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古川節子
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